後記 ● 西原天気
現代俳句協会青年部の関西と東京で合同の句会がありました。場所は銀座。関西各地からわざわざ東京までお出かけになったわけで、私は現代俳句協会・会員ではないのですが、なぜかお邪魔してきました。
私自身は関西出身なので、上方風味、上方ノリはなじみやすく、気持ちが落ち着きます。こちら(東京西郊)での暮らしが長いのですが、まだ関西訛りが抜けません。ごめんな。
関西と関東(あるいは東京)で、何が違うのでしょうか。いろいろと違うでしょう。あるいは、吉本のお笑い芸人が「東京進出」すると、ヘンな東京弁が会話に混じり始めるのを見てもわかるように(あれは、ほんとうに聴いていてツラいです。あまりに陰惨)、「東京ナイズされた関西っぽさ」というのもあるかもしれません。
俳句世間、俳句業界では、どうでしょう? その点で東西を比較したブログ記事がこのあいだアップされていました。
≫かみがた:曾呂利亭雑記
http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
イスとりゲームでひとつとり負けても他のイスがあるというような、いやむしろ、イスの取り合いに夢中になっている人たちを茶化して笑ってしまうような、そんなところがあるのが、上方の強みなのではないか。
「椅子取りゲーム」。
たしかに。
半径5メートル程度の俳句世間で、ポジションを求め、確保しようとする態度、みずからの存在感の如何について過剰な関心をもつという、なんだか悲しく大笑いな状況というのもわからないではありません(椅子取りの比喩をちょっと曲解? ごめんな)。
カミガタ的な身のこなしというのは、そうした無粋に脂ぎった「俳句活動」を嗤い、距離を置くというものでしょう。私などは、それこそが俳句的態度、俳句的スタンスと思っています(季語とか定形とか切れより以前に)。俳句とは、つまり、無粋ではないこと、野暮ではないこと。そんな理解です。
ま、それはさておき、関西と東京の合同句会に参加してみて、関西の俳人と関東の俳人で、「それらしい」違いは見て取れたのか? 答えは「あんまりよくわからない」。でも、俳人さんたちを見ていて、句会や投句を眺めていて、均質(ホモジナイズド)ではない感じ。で、異成分がごちゃごちゃと入り混じっているほうがおもしろいということでした。結論的には、とてもおもしろかった。
全国の地方都市が「東京化」しているという見方もあります。昔の「小京都」ならぬ「ミニ東京」「イナカの東京」。地方性・地方色(ローカリティ)は大事ですね。それがなくなると、つまらない。
で、なんの話でしたっけ? あ、そうそう。俳句の東西。ま、そういう視点もあるということ。話がまとまりませんが、そんなところで。
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じつは、その合同句会の後の二次会・三次会も楽しくて、なかなか腰が上げられず、気づくともう週刊俳句・更新の24時には間に合わない時刻。「1時間かそこら遅れるけど、まあ、許してもらおう」と帰宅後、パソコンを開くと、なんと、村田篠さんが更新してくれていました。
うわー。すんません。ありがとうございます。
なお、村田篠さんも私と同じく関西出身です(しかもかなり近い場所)。関西人気質ということだけでは一括りにできませんね。
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.413/2015-3-12 profile
■山西雅子 やまにし・まさこ
1960年生まれ。岡井省二に師事。「晨」「槐」を経て「舞」主宰。「星の木」同人。句集に『夏越』『沙鴎』。
■田島健一 たじま・けんいち
1973年東京生れ。「炎環」「豆の木」。現代俳句協会青年部委員。ブログ「たじま屋のぶろぐ」
■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。
■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。
■山中西放 やまなか・せいほう
1938年京都生。2012年より「渦」編集長。句集『風の留守』、『炎天は負うて行くもの』。他詩集2冊。
■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter
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