2015-03-08

〔ハイクふぃくしょん〕お参り 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
お参り

中嶋憲武

『炎環』2013年8月号より転載

はっとした。こんな雨の金曜日の夜に、こうして楽器店でCDのジャケットを眺めながら、友人を待っていることが前にもあったような気がした。いま手に取っているジャケットの写真、照明の明るさ、周囲の騒音。そんな状況が確かにあった。いつだったっけ?考えていると、トモミに声をかけられた。そうそうこのタイミングだ。このあとはロシア料理に行くんだ。そういう風になっている筈。夢でみたのか、忘却の過去に同じ状況があったのかは判然としないが、トモミと二人で雨の銀座を歩いたのだ。トモミは、裏通りにある地方テレビ局の支社で経理をしている。わたしもたまたま銀座にある銀行勤めなので、昔の同僚同士、たまに会って食事したりしている。主導権はいつもトモミにある。ショートカットで溌剌と男前なトモミと、ロングヘアーでのんびりと控えめなわたしは、なんとなくウマが合って、三十路も間近というのにお互いに彼氏も作らず、行動を共にすることが多かった。今夜もトモミと相合傘。

「タカラコ、何にする?」そういわれてメニューをみた。トモミが連れてってくれたのは、銀座通りからちょっと入ったところにあるとんかつ屋だった。小津の映画みたいでしょとトモミはいうが、一体どこが小津なのか、小津観てないので分からない。わたしはヒレカツ定食、トモミはスペシャルかつ丼を頼んだ。カウンター席に並んで座って、板前さんの手際に見とれていると、浮いた話とかないの?とトモミが聞いてきた。三十までに何とかするよと答えると、ダメだねえと鼻で笑われた。トモミはどうなの?というと聞かずもがなでしょといって、からからと笑った。

とんかつ屋を出ると、面白い路地があるんだよと、トモミはとんかつ屋脇の薄暗い路地へ入って行こうとする。えっ、そこ?ついて行くと、トモミが手を差し出すので、その手を取った。トモミにぐんぐん引っ張られるまま狭い路地を行くと曇りガラスのドアが見えてきた。こんなところに自動ドアが。ドアが開くとコーヒーショップの店内だ。わたしとトモミは手をつないでコーヒーショップを横切り、同じような自動ドアを出た。さらに路地が続いている。路地をコーヒーショップが横切ってるの。面白いでしょと前を向いたままトモミはいった。しばらく進むと曲り角に稲荷があった。洗面台みたいな稲荷だ。無機質な玩具のような鳥居に手を合わせ無言。ビルになる前は、ちゃんとした祠だったのかもしれない。たぶんトモミも恋のお願いをしたんだろう。そう思っておくことにする。

路地を抜けると裏通りに出た。何をお願いしてたの。ずいぶん長かったけど。ヒミツとわたしは答えた。トモミこそ長かったけど、何をお願いしてたの。世界平和。トモミはいってにやりとした。表通りのさっきのコーヒーショップに入る。トモミはケーキをご馳走してくれた。誕生日だからね。忘れてた。うれしー。スパシーバ!とわたしはいった。

春の街をんな二人のとんかつ屋  飯沼邦子

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