時間の上の痣
『冬野虹作品集成』の一篇
福田若之
冬野虹が誰かの名を書いたのを読むときに感じる、このせつなさはなんだろう。
『冬野虹作品集成』(書肆山田、2015年)第II巻の130頁と131頁の見開きに印刷されたこの詩を見て、この愛にあふれた他愛なさを感じながら、ふっとせつない思いが押し寄せてくるのは、おそらくこの書き手がすでにここにいないということと、無関係ではないのだろう。けれど、とにかく、冬野虹が書かれたものの中でたとえばモンテーニュやラファエルや荷風や近松の名を呼ぶとき、僕は不意をつかれたような思いがして、その名前を呼ぶ声に突き刺されるような思いがするのだった。
おそらく、 僕が冬野虹という固有名詞を書くときのせつなさを、冬野虹もまた感じていたのではなかったか。それは、すでにいない人の名前を呼ぶときの、せつなさだ。
「セイ ショーナゴンサマ」に宛てられた手紙は、清少納言に、あの清少納言に届くことは決してないだろう。それは、伝わりさえしないだろう。なぜなら、清少納言と冬野虹とのあいだには、ほとんど埋めようのない時間の隔たりがあり、その時間の隔たりは、書き言葉を大きく変えてしまったからだ。冬野虹の手紙は、冬野虹の時代の書き言葉で書かれている。これを、清少納言は読むことはできない。手紙に時を遡る力があったとしても、ここに書かれた言葉は決して十全に伝わりはしないだろう。
しかし、 冬野虹はそれを「清少納言に伝えます」と書く。伝えます――伝わるとか伝わらないとかではない。伝えるのだ。
「前略」ではじまった手紙は、ここでは「さようなら」で受けられている。普通に読めば、「さようなら」は「セイ ショーナゴンサマ」に向けられている。一度も会うことのない、したがって、もはや二度と会うことのない清少納言に。にもかかわらず、「さようなら」が「虹」に向けられる言葉でもあるかのように思えてくるのは、僕だけではないだろうと思う(むしろ、僕でさえそう思う、と書くべきところだ)。 そして、そのときは、僕らが「さようなら 虹」と書くのである。
冬野虹という人は、おそらく、自分の「虹」という名が、ほとんど固有名詞に見えないということを分かっていたのだろうと思う。第I巻にはこんな句がある。
いつのまに虹とよばれぬ巣に星ふる 冬野虹
自分の名前についての問いかけ。しかし、誰に向けてなのかも分からないような問いかけ。
こんなふうに自分の名前を不思議がる書き手は、他の人々の名も、いくぶんか不思議そうに見つめていたのだった。それが、カタカナで書かれ、しかも空白で分かたれた「セイ ショーナゴンサマ」という言葉によく現れているように思われる。ここには、名に見出された不思議を示すささやかな印がある。
いま、「印」と書いたが、これをあるいは痣と言い換えてもよいのかもしれない。僕がこの詩から、そして冬野虹の詩に現れる固有名詞から感じ取るもの――これを、この詩の言葉を借りて、「時間の上の痣」と呼ぶことができるだろう。
痣というのは痛むものだ。たとえそれが自分の肌の上にある痣でなくとも、痣というのは、見るだけでいくらか痛む。そこにせつなさを感じる。冬野虹の詩において、人の名前とはおそらくそうした痣なのだ。それは、平山先生や、もはや正しい漢字表記の分からないサイトーサン――「サイトー」の表記はさまざまだ。斉藤、斎藤、齋藤、あるいは西東――についてもいえることである。それは紙の上の痣であると同時に、時間のなかに現れてはいなくなった人々を、時間の上で、「時間の上の痣」として感じさせる、そうした痣なのだ。
『冬野虹作品集成』の一篇
福田若之
冬野虹が誰かの名を書いたのを読むときに感じる、このせつなさはなんだろう。
クロッカス safran printanier
いま
薔薇色と
萌葱色の
細い縞模様になろうと
昼が狭くなってきました
棚の上の
セイロン紅茶の缶は
棚の上の
時間の上の痣
熱い湯の中に
セイロン紅茶が香ったら
清少納言に伝えます
〝前略
セイ ショーナゴンサマ
水撒きを
いたしますゆえ
あなたの
木のサンダルは
庭石の上に
並べて置いてくださいますよう
さようなら 虹 〟
〔原本では9行目「痣」に「あざ」とルビ――福田注〕
おそらく、 僕が冬野虹という固有名詞を書くときのせつなさを、冬野虹もまた感じていたのではなかったか。それは、すでにいない人の名前を呼ぶときの、せつなさだ。
「セイ ショーナゴンサマ」に宛てられた手紙は、清少納言に、あの清少納言に届くことは決してないだろう。それは、伝わりさえしないだろう。なぜなら、清少納言と冬野虹とのあいだには、ほとんど埋めようのない時間の隔たりがあり、その時間の隔たりは、書き言葉を大きく変えてしまったからだ。冬野虹の手紙は、冬野虹の時代の書き言葉で書かれている。これを、清少納言は読むことはできない。手紙に時を遡る力があったとしても、ここに書かれた言葉は決して十全に伝わりはしないだろう。
しかし、 冬野虹はそれを「清少納言に伝えます」と書く。伝えます――伝わるとか伝わらないとかではない。伝えるのだ。
「前略」ではじまった手紙は、ここでは「さようなら」で受けられている。普通に読めば、「さようなら」は「セイ ショーナゴンサマ」に向けられている。一度も会うことのない、したがって、もはや二度と会うことのない清少納言に。にもかかわらず、「さようなら」が「虹」に向けられる言葉でもあるかのように思えてくるのは、僕だけではないだろうと思う(むしろ、僕でさえそう思う、と書くべきところだ)。 そして、そのときは、僕らが「さようなら 虹」と書くのである。
冬野虹という人は、おそらく、自分の「虹」という名が、ほとんど固有名詞に見えないということを分かっていたのだろうと思う。第I巻にはこんな句がある。
いつのまに虹とよばれぬ巣に星ふる 冬野虹
自分の名前についての問いかけ。しかし、誰に向けてなのかも分からないような問いかけ。
こんなふうに自分の名前を不思議がる書き手は、他の人々の名も、いくぶんか不思議そうに見つめていたのだった。それが、カタカナで書かれ、しかも空白で分かたれた「セイ ショーナゴンサマ」という言葉によく現れているように思われる。ここには、名に見出された不思議を示すささやかな印がある。
いま、「印」と書いたが、これをあるいは痣と言い換えてもよいのかもしれない。僕がこの詩から、そして冬野虹の詩に現れる固有名詞から感じ取るもの――これを、この詩の言葉を借りて、「時間の上の痣」と呼ぶことができるだろう。
痣というのは痛むものだ。たとえそれが自分の肌の上にある痣でなくとも、痣というのは、見るだけでいくらか痛む。そこにせつなさを感じる。冬野虹の詩において、人の名前とはおそらくそうした痣なのだ。それは、平山先生や、もはや正しい漢字表記の分からないサイトーサン――「サイトー」の表記はさまざまだ。斉藤、斎藤、齋藤、あるいは西東――についてもいえることである。それは紙の上の痣であると同時に、時間のなかに現れてはいなくなった人々を、時間の上で、「時間の上の痣」として感じさせる、そうした痣なのだ。
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