【八田木枯の一句】
あやめ咲く箱階段を突き上げて
角谷昌子
あやめ咲く箱階段を突き上げて 八田木枯(『鏡騒』)
第五句集『夜さり』より。
手弱女のような風情の〈あやめ〉が花首をつつと伸ばして咲いている。いかにも嫋々とした様子で風にも頼りなげに傾く〈あやめ〉だ。だがこの句の〈あやめ〉は限りなく強靭で、あたかも金釘の強さで〈箱階段〉を突き抜け、天井に届かんとする。〈突き上げ〉られた〈箱階段〉の抽斗からは、つぎつぎと妖しいくらやみが噴き出す。〈あやめ〉はいつのまにか女身となり、古代紫のはなびらは乱れた髪に変わり、垂れ下がる。狂気のさまに髪を振り立てどこまでも闇を〈突き上げて〉ゆく。
木枯のことさら愛着のあった第二句集『於母影帖』は山口誓子の「天狼」の影響から脱却し、独自の句風に踏み出した記念碑的な句集だ。その『於母影帖』に〈母戀ひの光琳あやめ横たへて〉があり、初めて象徴的な〈あやめ〉が現れる。亡き母を慕う作者が供華として捧げるのは〈光琳あやめ〉であり、〈あやめ〉は単なる花というより、いつの間にか母そのものの肉体とたましいを与えられている艶ある象徴のようだ。第三句集『あらくれし日月の抄』には〈白あやめ逢魔が刻はそびえけり〉の一句がある。いよいよ木枯ワールドのあやめの登場だ。〈逢魔が刻〉の闇の中に屹立する妖しい〈白あやめ〉には圧倒的な存在感がある。
第四句集『夜さり』には、にわかに「あやめ」の句が増える。〈空井戸にいつか捨てたる花あやめ〉〈すれちがひたるは母ともあやめとも〉〈うらがなしオキシドールと花あやめ〉〈死ぬときに間に合はせたる花あやめ〉〈あやめまじならば日暮を嗜むらし〉〈枕頭をよぎりあやめに逢ひにゆく〉〈やや濃ゆく母に瓣ありあやめどき〉〈小夜ふけてあやめに修羅の走りけり〉がある。
木枯は、季語や言葉を陰陽師があたかも式神を使役するように、俳句に用いる。木枯偏愛の「式神」の働きをする季語の一つに「あやめ」がある。たおやかで楚々とした雰囲気にたぶらかされてはならない、したたかな花の一つが木枯俳句の「あやめ」なのだ。大変よく似ている菖蒲や杜若ではなく、敢えて「あやめ」を選んだのはなぜだろう。毒の成分イリジェニンなどを含んでいる植物だということを木枯は認識していたのではなかろうか。はんなりと雅な姿でありながら、手ごわい花であることを踏まえてきっと「式神」として働かせていたに違いない。
2015-05-10
【八田木枯の一句】あやめ咲く箱階段を突き上げて 角谷昌子
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