2015-06-07

【句集を読む】翼の童心  北大路翼『天使の涎』を読む 久谷雉

【句集を読む】
翼の童心
北大路翼『天使の涎』を読む


久谷雉



北大路翼の処女句集の題名が『天使の涎』になると聞いたとき、実に翼らしいと思った。天使の「恍惚」ではなく、その物質的な残滓である「涎」を前面に押し出すところに、翼の童心を見たような気がしたのである。新井英樹画伯による表紙は、歌舞伎町を駆け抜ける翼とおぼしき青年の姿を真正面からとらえたものであるが、その背後に広がってトンネル状に折り重なっているネオンの灯の色は、まるで春の訪れとともに一斉に咲き乱れた花々のようだ。おそらく画伯の筆が感応したのも、この童心であろう。

翼はかつて自らの作句信条として「すべての表現者に虐げられてきた悪いもの、汚いものを救い出す」ということを挙げていた(『びーぐる』第十六号)。「悪いもの、汚いもの」がしばしば、人類の歴史の本質的な要素を凝縮したかたちで映し出す鏡たり得ることは、すでに様々な場で論じられている。この鏡の世界へ分け入っていくために必要なのが、童心である。善悪や美醜の枠組みを持つ前の精神へと遡行する勇敢さである。

デリヘル嬢、ローター、魔羅、経血、陰毛、生ゴミ、ランジェリーパブ……『天使の涎』一集に顔を出す言葉たちは、一見、俳句という文芸の中では異端の位置を占めるかのように見える。しかしながら、これらの言葉を繰り出す精神は実はオーソドックスとしか言いようのないものだ。そもそも十七文字という短い音数とリズムの醸し出す記憶への定着力にしても、あるいはミニマルな詩形の中に膨大なアーカイブへの扉を設定する季語という仕掛けにしても、俳句は記憶の集積についてのこだわりが強い文芸である。そして「悪いもの、汚いもの」のごった煮の中をくぐりぬけていくこともまた、記憶や歴史の集積への旅に他ならない。それゆえなのだろうか、二千という取捨選択を敢えて放棄しているかのような収録句数であるにも関わらず、繊細な表情を見せている佳句が意外に多い。

入口と違ふ出口や九月尽

「ハプニングバー」と詞書きの添えられた句の近くにあるので、この句も情交のあとのことなのだろうか。果たしてハプニングバーという場所がどういう室内構造になっているのかは私の知るところではないが、「入口」および「出口」というフレーズには建築物のみならず、その中でもつれあう人々の肉体の記憶を喚起する作用があるのではないか。互いの肉体に開いた孔をあるときは「出口」のように、またあるときは「入口」のように探っていく。「九月」の残暑のような気だるい熱を、空間も肉体も帯びている。しかし、空間と肉体が重ね合わせられていることから生まれる抽象性が、透明感を呼び起こす。「九月」が終ったあとに吹き抜けるであろう十月の清涼な風の予感が、一度限りの肌を重ねた相手との距離感をも暗示しているようだ。

眼から乾きだしたる羽化の蟬

「眼」は潤いがあって機能する器官である。この器官の「乾き」は見ることの、あるいは肉体そのものの死の暗示に等しい。しかしながら、それが「羽化」という、生命が新たな形を得ている場で生じてしまっている。いや、新たな形を得ることそのものが、死へと一歩前に進むこと――あるいはかつての形の死――だ。そもそも蝉の成虫の一週間という寿命は、地中に潜伏していた時間の長さに比べれば一瞬でしかない。幼虫の殻を脱ぎ捨てる瞬間から、既に死の兆しがその肉体を彩っているという発見。

肛門の用途の無限吊るし柿

さて、「肛門の用途」とは何だろう。棒切れであったり、ピンポン玉であったり、ビール瓶であったり、小さな孔であるに関わらず様々なものが訓練次第で入ってしまいそうな予感がする。勿論、「吊るし柿」も。また小さな孔が大きなものを呑みこんでいく(あるいは吐き出す)という逆説的な光景は、人を観念的な境地にいざなう。しかしながら、この句の眼目は決して、肛門に柿の実を挿入するという特殊な遊戯の構図ではなかろう。むしろ、乾燥した「吊るし柿」の表面に刻まれた皺が、肛門の内部に広がっている「無限」の襞を想起させる点をこそ汲まねばならぬ。秋の冷ややかな外気にさらされて、己の内部の閉ざされた――またそれゆえに懐かしい――空間にそっくりな物体が、飄々と揺れているのだ。哄笑と恐怖が同時に溢れ出し、詠み手の童心を激しく打つ。

さて、二千句の中から僅かに三句のみを取り上げてみたが、いずれも巧みに読み手を宇宙的な感覚の中へ連れ出していく佳句である。しかしながら巧みであるゆえに、北大路翼という俳句の詠み手の童心の写し絵としては不完全な気がしてならない。巧みな句を作るといった程度でこの男を終わらせてはいけない。やはり蛮勇そのもののような句がなければ、翼の像は描けないだろう。

太陽にぶん殴られてあつたけえ
生チ○コをペロペロバレンタインデー
こんにちはスケベな花咲爺だよ
ビキニ着て股間の盛り上がりが猛虎
口髭がクワガタだつたら食べにくい


一々解釈を付す必要はなかろう。このような句を臆さず隠さず句集におさめ、混沌を生みだしてしまうところに翼の懐と業の深さを私は見る。そして、翼が根城にしている歌舞伎町の混沌の深さをもっと知りたいという思いに駆られる。広いとは言えぬ路地にひしめく黒服の男たち、肩をぶつけてしまったやくざの慇懃な詫びの口調、選挙の幟を自転車の荷台にくくりつけて挨拶に回る李小牧などといったイメージしか、私は歌舞伎町に対しては持っていない。『天使の涎』すなわち翼の童心のかたまりに触れた今、かの街に立つといかなる宇宙がその姿を現すだろうか。世の中の「さみしいこと」を棄てることも受け止めることもできぬ者こそが「不良」であると翼は定義づけているが、銀河の端に宙吊りになっている「不良」の眼で、かの街をまなざすことが私にもできるだろうか。


(注・後で翼本人から聞いたところによれば、実際は二万句ほどあったのを二千句にまで絞り込んだそうだ。)



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