【句集を読む】
21世紀新宿風土記
北大路翼『天使の涎』を読む
平山雄一
この句集を後に振り返れば、北大路翼の中期の代表作ということになるだろう。『天使の涎』は、新宿を根城に作句を展開した2012~2014年の3年間に溜めた15000句余りから抜粋された2000句 からなる。当然、翼は少年時代から句作をしていたし、今後もそれは続くから、この句集は翼の俳句活動の中に忽然と現れた地続きの島、半島 のような存在なのだ。だから、その成り立ちの特殊さを含めて、彼のキャリアの中で特筆される作品になることだろう。
この句集のいちばんの特徴は、テーマを新宿に絞っていること。俳人は、それぞれ生まれた土地や暮らす地域をテーマに置いて作句するケースが 多く、詠む対象は美しい山河や独自の気候だったりする。自然の少ない都会がテーマの中心に来ることは、極めて稀だ。特に新宿なら、なおさらだ。翼は新宿生まれではないが、2012~2014年の間、どっぷり新宿に生きていた。新宿にも四季があり、その移ろいを知らせてくれる独特の風物がある。いわゆる花鳥風月とは素材を異にするものの、翼はこの街の季節を見逃さなかった。だからこの句集は、新宿の風土から生まれたといっていい。
〈しんじゅ句〉
トンカツの重みに疲れ春キャベツ
話してゐる八割が嘘アロハシャツ
鯊日和オリンピックは他所でやれ
ハロウィンの斧持ちて佇つ交差点
四トン車全部がおせち料理かな
家出少女など社会的弱者を徹底的にレポートするジャーナリスト鈴木大介は、著書『援デリの少女たち』で、新宿は未成年者の“巨大な闇の職 安”になっていると書いている。虐待を受けて家から脱出を試みる子供たちは、たとえ非合法であってもその職安を利用するしかない。そうした未成年者やパチンコの打ち子、オレオレ詐欺の受け子たちも、ヤクザと並んで新宿の重要な構成要素になっている。その他、ゲイ、レズ、ト ランスジェンダー、アルコールやギャンブル依存症者など、新宿には社会的弱者が多くいる。
〈ごくら句〉
唄もよし余生僅かなおでん屋よ
祖母の香のするストーブの焚きはじめ
マスターとヒーターだけの立ち飲み屋
綿菓子のやうなおかんを連れ歩く
〈ぢご句〉
夏や朝カラスの落しゆく肉片
金融の笑顔絶やさず水を打つ
寝苦しき夜ニンゲンを売る話
通勤に怯えマフラーかたく巻く
毛糸編む不幸を我慢するかたち
事故車から下半分の鏡餅
この町を出るため寒鴉の餌に
冬帽子目深に無人契約機
戦死者と傘の忘れものの数
そんな街だからこそ、新宿には今も風狂たちが集う。60年代にアンダーグラウンド文化の象徴だった新宿も、90年代に入るとバブルの影響でかなりのエリアが整頓されてしまった。しかし、2010年代に入ると、復活の兆しが顕われ始めた。その拠点の一つが、翼のホームグラウンドである俳句&女装バー“砂の城”だ。
ここは馳星周の悪漢小説『不夜城』のモデルになった店で、ゴールデン街が現在の場所に移る以前に賑わった“元ゴールデン街”の一角にある。おそらく翼はそれを知らずに店を構えたのだろうが、その場所が惹きつける人種は、間違いなくその筋だ。夜更けには、パフォーマー、デザイナー、絵描き、漫画家、カメラマン、薬剤研究者などがどこからともなくやってくる。彼らの大半は、強固な反骨精神の持ち主たちだ。
〈ロッ句〉
チンピラのままの一生春の蝿
穀雨かな雑民を継ぐ志
長き夜のギターの腹に丸き闇
翼自身も、正業に就いているとはいえ、酒と女とギャンブル に明け暮れる日々を送る不良だ。その性癖に即した句も多く、『天使の涎』には伝統俳人が顔をしかめるような題材=新しい言葉や俗語がたくさん登場する。だが、問題は題材ではない。俳句として成り立っているかどうかだ。「名句であれば、新しい言葉であっても認められる」という俳人がいるが、そもそも作らなければ何も生まれない。俗語を使おうが季語がなかろうが、まずは言いたいことを言うのである。創作には誰の許可も必要ない。翼はそこから、自分自身の俳句を生もうとしている。そして、そのいくつかは成功している。“見た事もないような成功 作”にたどりつくには、多くの未認可作があって当然だ。もしこの句集を読んで、自分も未認可句にトライしてみようという俳人が現われれ ば、翼の思うつぼだろう。
〈ファッ句〉
雪催キープボトルに女陰の絵
祭の夜口移しで飲むワンカップ
蚊を打ちてお前が俺の命だと
喉が痛い頭が痛い今会ひたい
沈丁花君の便器でゐたかつた
誰がために剃りし陰毛夏来る
寝タバコで暑さを言へば抱き着き来
両性具有雷は金の雨
こんにちはスケベな花咲爺だよ
さくらさくら浮気するのは逢ひたいから
肛門の用途の無限吊し柿
〈だら句〉
人生の大半を酔ひまた祭
逃げる気のなく縛られて蟹夫婦
〈とば句〉
競艇のない日はただの春の川
全レース外す恍惚花卯木
一方で、翼は古典にも通じている。そもそも俳句という表現手段を選んだ段階で、伝統的な日本文化を肯定する志を持ち合わせている。そこで興味深いのは、翼が伝統を肯定した上で、批判的に読む姿勢を貫くことだ。句集中の作品でも、その批判をパロディとして展開している。
たとえば「一人の時も咳の仕方が大袈裟だ 翼」は、尾崎放 哉の「せきをしてもひとり」のナルシシズムに釘を刺す。西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」には、「無自覚な巨乳よ初夏の風が吹く」と、時代の違いを明らかにしてみせる。
痛烈なのは、「向日葵が人間に見え斬るよりなし」。角川春樹の境涯句と言われる「向日葵や信長の首切り落とす」に対して、それはただの妄想だと切って捨てる。
さらには「萬の下駄芭蕉の弟子を名乗りたる」と、江戸の宗匠を気取る現代の伝統派の輩に一撃を見舞うのだった。
かつてカウンター・カルチャーの側にあった俳句を、翼は取り戻そうとしている。だとすれば、現代のカウンター・カルチャーにも通じていなくてはならない。翼が新宿に反骨の表現者たちの集う場所を 提供していることには、深い意図があるだろう。実際、“砂の城”では、パンクやヒップホップ、コミックス、地下アイドルといった権威に組しない者たちが、毎夜、口角沫を飛ばしながら呑んでいる。翼は句集中のあるページで、「僕達は生きるためのルールを探してる。無頼とは壊すことではない、新しいルールを作ることだ。」とも書いた。
〈パン句〉
倒れても首振つてゐる扇風機
北大路翼の墓や兼トイレ
殴りたるへこみが雪だるまの目玉
蟻はいま穴を出ましたフルチンで
「でも犯人はクーラーをつけてくれました」
銃乱射男に夏休みをやれよ
魚氷に上る原発再稼働
天皇に誂へてある片陰り
もう一つ、この句集が特異なのは、収録句数の多さだ。通常の句集が300~500句で構成されていることを考えれば、2000句 は尋常ではない。しかし水増しかといえば、そんなことはない。俳句の世界で多作多捨はよく言われることだが、膨大な数の中から編まれた 『天使の涎』はその要件を充分満たしている。
虚子の生涯20万句や、二万翁(一 昼夜で2万句を作ったという)を自称した井原西鶴と比べる術はないが、多作には多作にしかない到達力がある。出会うものすべてを俳句にしてしまおうという気概は、時として俳句と俳句ではないものの境界に肉薄する。結果、それが俳句であるかないかは、読み手と時間が答えを出すものだとしても、今回の翼の挑戦の意味はそこにある。
かつて1960~80年代に かけて活躍したミュージシャンのフランク・ザッパは、多作のアーティストとして空前絶後だった。少なくとも生涯で89枚のアルバムを出したザッパは、ロックからジャズ、クラシックにまで及ぶ音楽的興味を洗いざらい表現して、音楽の境界の拡張に貢献した。当時、ザッパは変人扱いされたり、その音楽を難解と評されたが、ザッパの影響を受けた大友良英が朝ドラ「あまちゃん」の音楽を作り出した事実は示唆に富んでいる。あの震災からわずか2年後に制作されたテレビドラマの音楽を引き受けるには、相当な覚悟が必要だったはずだ。大友の覚悟は、もしかしたら敬愛するザッパの多作の冒険心から培われたものなのかもしれない。
多作には、人々を勇気づける力がある。わかり易く言えば、翼の度を超えた多作にはある種の痛快さがあり、門外漢でも俳句を作ってみたくなる衝動に駆られるのではないかと思う。
〈めい句〉
太陽にぶん殴られてあつたけえ
二度寝して人の最期はこんなもの
ワカサギの世界を抜ける穴一つ
聖樹より冷たきものに煙草の火
電柱に嘔吐三寒四温かな
もし“砂の城”が新宿アンダーグラウンドの新しい拠点になるのなら、『天使の涎』はそのマニフェストと見ることができる。悪漢小説のようなこの句集は、新宿という思想を見事に体現している。またそれは“21世紀の新宿風土記”でもある。
多作の幸なる翼よ、才能を持て余せ!
(敬称略)
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2015-06-07
【句集を読む】21世紀新宿風土記 北大路翼『天使の涎』を読む 平山雄一
Posted by wh at 0:07
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