【八田木枯の一句】
とことはに月ぶらさがる物ならむ
角谷昌子
第5句集『夜さり』(2004年)より。
とことはに月ぶらさがる物ならむ 八田木枯
9月27日は仲秋の名月。月をめでながら木枯の句を味わいたいと思い、月の句を探したところ、ふと掲句に目がとまった。「ぶらさがる物」と詠まれたこの月は、あたかも芝居の書き割りに紐で吊るされた、金紙を貼り付けたいびつな代物のようだ。
神格化された月の化身には、バビロニアのシン、エジプトのトート、ギリシアのアルテミス、日本の月読命など数限りない。崇拝された月はさまざまな神話をもたらしたが、掲句は、そんな神々しさを振り払い、いかにも頼りなげで、天空に宙ぶらりんになっている。
太陰歴では、新月から満月へと満ち欠けを繰り返す月の運行に基づき、三年に一度、閏月を一カ月置いて調整する。そうしないと、太陽の運行と関わる実際の季節から、どんどんずれていってしまう。
この句では、まるで太陰歴の月が実に申し訳なさそうに、閏月の余計者のように「ぶらさが」っている。澄んだ夜空を見上げて、神々しく照り輝く月をこのように描いた作者はあるまい。
『夜さり』にはほかにも、〈月のぼりくる両袖をふりしぼり〉〈月光は帚のごとくあわただし〉〈月光がくる釘箱をたづさへて〉〈人老いて月夜の蓼をたべし夢〉〈月よりも古きものなし抱きまくら〉〈情なくてうごきづくめの水の月〉〈月光ははばたき水に火傷せり〉などたくさんの月の句が収められている。いずれも月の本意を超え、読者の固定観念を裏切る作ばかりである。
2015-09-27
【八田木枯の一句】とことはに月ぶらさがる物ならむ 角谷昌子
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