【八田木枯の一句】
家ぢゆうの柱のうらの稲光り
西原天気
第1句集『汗馬楽鈔』(1988年)より。
家ぢゆうの柱のうらの稲光り 八田木枯
稲光(稲妻)の句でまっさきに思うのは《いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子》です。いいですね。しびれます。
稲妻がどの方角に起こるのか。多佳子の句は北だったのですが、掲句は、どうでしょう。
「家ぢゆうの柱」というのですから、全方位。この家は稲妻の真下にあるのか。
と、理屈っぽく考える必要はないのかもしれません。稲妻が照らすのは、いつだって柱の裏。作者は柱の内側にいる、というわけです。
外の稲光り、内の視点。ここにあるのは、それだけです。シンプルな構図。
ところが、そこに「柱」を介することで、木の匂い、さらには実った稲の匂いもしてきそうです。
ところで、家には柱があって当然なのですが、柱の見える家というのも、もはや少ないような気がします。いま暮らしている家は、壁は見えても柱は見えません。
2015-10-04
【八田木枯の一句】家ぢゆうの柱のうらの稲光り 西原天気
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