2015-12-27

俳句雑誌管見 俳句のデザイン 堀下翔

俳句雑誌管見
俳句のデザイン

堀下翔
初出:「里」2014.8(転載に当って加筆修正)

6月7日、雨のなか銀座へ。「俳句と書の世界」(第32回日本詩文書作家協会書展/2014年6月3-8日/セントラルミュージアム銀座)という書展が開かれていた。俳句を題材にとった詩文書がたくさん並んでいる。

瀧野喜星が揮毫した有馬朗人〈光堂より一筋の雪解水〉は書のみならず絵も描きこまれた異色作。六行書きに短く改行された有馬の句へ向かって、こぢんまりとデフォルメされた武士たちが歩いてゆく。「一筋の雪解水」がつわものどもの行進のイメージに転換されているのだ。

ほか、いずれの作家も佳作揃い。長居してしまった。圧倒的人気は山頭火・子規・芭蕉。虚子はあまりない。他は存命物故・有名無名問わずほぼばらけている。照井翠、高野ムツオ、神野紗希のごく新しい句も取り上げられていた。

磯貝碧蹄館の句が一つもないのは意外のことであった。少し古い近代詩文書の作品集を読めば碧蹄館の句を書いたものが山のようにあった。碧蹄館は近代詩文書の父・金子鷗亭の弟子である。自句を揮毫した作品がたくさんあって、それを手本にした書家が多かったのだ。日本詩文書作家協会といえば、その初代会長は鷗亭。碧蹄館の句も見られるかと思ってきたが、題材にも流行り廃りがあるらしい。

特別展示として俳人が自句を揮毫した色紙も並ぶ。32人の俳人が色紙を寄せている。なるほどこの人はこんな字を書くのかと興味津々に眺めた。金子兜太や小澤實などは普段から句集の題字を揮毫しているくらいだから書として見てもたのしい。そんな中でひときわ目をひくのが中原道夫である。句は「虛子忌なり蝶の色問ふ人もなし」(『百卉』角川書店/2013)。さすがアートディレクター、字も構成もバランスの崩し方が絶品でしばらく見惚れた。書もなす人かは知らないがやはりビジュアルの感覚は共通だと思った。

この色紙が面白いのは、全体としては流れのある行書であるにも関わらず、正字「虛」を、七画目以降、それぞれの字画を続けずにはっきりと書いているところである。まるでこれが正字であることを明示するかのように。この筆の運びを見るとなるほど彼が正字を用いるのはデザインが好きだからなんだな、と思う。美しさもまた正字を選択する根拠である。筒井康隆は江戸川乱歩の小説「虫」に関してこう書いている。
さて、わが乱歩体験の最初、つまり小学生時代に初めて読んだ乱歩作品は、(中略)なんと、(このワープロで字が出るかどうかわからないが)「蟲」であった(出た! まさにこの字でないとこの作品の表題ではないのである。もし「虫」という字しかなかったとしたら、乱歩はタイトルを違ったものにしていたであろう。「蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲」という羅列の凄さは今でも記憶している。「虫虫虫虫虫虫」では駄目なのである)。(筒井康隆「乱歩・久作体験による恩恵」『國文學』1991.3)
正字の精巧な造形は、かように人を惹きつけてきたのである。

ところで田中裕明がかつて、中原道夫は久保田万太郎に似ていると言った。
(堀下註――中原について)唐突に久保田万太郎の句に似ていると思った。「余技としての俳句」が本物だというのも共通点。万太郎は芝居作者、中原さんはアートディレクター。俳句の字面を心をくだいて美しくするというのも似ている。これも大切なこと」(田中裕明「『顱頂』の一句」『俳句』1994.1)。
そうだ万太郎も文字に美しさを見出していた作家だった。この人の場合はむろんひらがなに対してである。

したゝかに水をうちたる夕ざくら 久保田万太郎『草の丈』1952
鶯やつよき火きらふ餅の耳 『流寓抄』1958

これらの句に流れる時間のゆるやかさは、心をくだいて連ねられる文字がもたらしている。

現代においてこの文字感覚が連想されるのは石田郷子である。

なにはびと吉野びとゐる遅日かな 石田郷子「椋」2014.6

ライトで、さっぱりとしている、と彼女の句はよくそんなふうに言われる。理由のひとつにデザインを挙げたい。「難波人」と書けばごちゃごちゃとするものを「なにはびと」と書く。あかるくなる。陽が差したようなあかるさである。

俳人にはデザイナーとしての側面がある。そのことに意識的であるとき、俳句の見え方もまた変わってくる。

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