自由律俳句を読む 128
「鉄塊」を読む〔14〕
畠 働猫
いよいよ3月。
年度末業務みなさんお疲れ様です。
私は元気です。
「はばたいたミサゴは必ず次へゆく」(中筋祖啓)
春のそれは巣立ちを思わせる。
ちぎれそうなほど張り詰めた羽に、強い風を受けてぐんぐん上昇していくミサゴ。それぞれの新しい環境へと飛び出してゆく若者よ。期待と不安に紅潮したその頬を、春の冷たい風がやさしく撫でることだろう。どうかその前途が苦難に満ちてその身を鍛えることを願う。まっすぐに振り返らずに羽ばたいてほしい。
今回も「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。
第十五回(2013年7月)から。
当時の句会での自評も再掲する。
文頭に記号がある部分がそれである。
記号の意味は「◎ 特選」「○ 並選」「● 逆選」「△ 評のみ」。
この回から、当時の自分は全句に評をすることにしたようである。
◎第十五回鍛錬句会(2013年7月)より
風のかたちに夜のジョギング 馬場古戸暢
△夜のジョギングは気持ちがいい。僕も夜の運動が好きです。(意味深)(働猫)
最近ウォーキングさえできない日が続いていた。
かつては、何か気持ちが落ち込むたびに走っていた。
心の疲弊に身体の疲労を追い着かせると、心身のバランスをとることができた。
今は運動の時間がない。
過労死が職業病の業種にあって、夜の運動の時間どころか嫁も探せないでいますよ。
さっきと違う人が寝ているベンチ 馬場古戸暢
○作者自身も寝場所を求めて彷徨っているのだろうか。終電を逃した夜か。それとも昼休みのひとときか。ちょっと時間をおいてまた来てみたのに、違う人が寝ている。なんだよ、もう。という感じがよく出ている。(働猫)
この句の乾いた感じがよい。
選句結果をまとめる手の玉葱くさい 馬場古戸暢
△ハンバーグでもつくったのでしょうか。選句が生活の中に溶け込んでいる。自分はまだこのような境地になれない。(働猫)
玉ねぎの匂いはとれないものだ。
生活の匂いがあり、同じく生活に俳句がある者へ向けた句と言える。
朝起きていきなりすぐの朝ごはん 中筋祖啓
△小学生まではこのように、「起こされて」「ごはんが出てくる」という普通の生活が送れていました。今思えばそれこそが幸福だったのかもしれない。なんだって失ってから気づくものだ。(働猫)
学生時代の合宿や旅行行事でもこのような経験をしたものだ。
一人が長すぎて忘れかけている感覚でもある。
はばたいたミサゴは必ず次へゆく 中筋祖啓
◎これはかっこいい句。前向きであり、雄々しい。ミサゴをもってきたことで非常にイケメン句に仕上がっている。ネイティブアメリカンの格言のようでもある。おそらく作者自身の心境をはばたくミサゴに仮託しているのだろうが、「ミサゴ」を「オスプレイ」のことだとすると、政治的な風刺ととることもできる。(働猫)
以前の記事でも紹介したように、自分が祖啓の句の中で最も好きなのがこの句である。
ミサゴならずとも、必ず次へ行かなくてはならない。
留まればいずれ腐るものだから。
鉄塊という集団が活動を停止した理由の一つでもある。
記念碑をずっと眺めていたい気分 中筋祖啓
△自らの偉業なのか。それとも哀しみの碑であるのか。(働猫)
「そうですか」としか言いようのない句であるのだが、なんとなく知っている、経験したことのあるような景なのである。こんなことが確かにあった。
無愛想なレジの女ピアスの穴が膿んでる 松田畦道
△「無愛想」と「ピアス穴の膿み」は両方入れるととっちらかってしまう気がする。だいたいピアス穴の膿んでるような女は無愛想に決まっている。「耳たぶ腐って取れかかってるのにやたら愛想のいい女」だったら句材にしたい。いや、うまくできる自信はないけど。(働猫)
今現在の自分の状況をお知らせすると、洗剤でもついたものか右目蓋がかぶれて少し腫れています。愛想はいい方ではないが愛嬌はある方です。
どうですか。
愛想のよさ、というのは精神的な余裕に左右されるものだ。
他者に対して配慮できるかどうか、他者の存在や心情を意識できるかどうか。
レジのような対人業務においてそれができないということは単なる甘えである。
プロ意識の欠如だ。
職業に貴賎なしという言葉は、どんな仕事も真摯に行われることが前提となっている。私が句材にしたいと思うのはそうした真摯な人間の姿である。
叱られて歩く子も一人前の荷物 松田畦道
○スーパーから帰る親子連れを想像した。怒るのでなく叱ってくれる親がいるのであれば、しっかり育つことだろう。なんとなく昭和を思った。(働猫)
小さなころ、町内の商店へお遣いによく行かされた。
当時、ビールと言えば瓶であった。
二本も買えば、小学校低学年の手には相当な重さだ。
お釣りをすべて10円に替えてもらって、店頭のガチャガチャをする。(1回20円だった。)それが楽しみだった。
10円玉が尽きてしまうと、あとは帰るだけである。
もう楽しみはない。
ビール瓶は重く、ビニール袋の取っ手がやわらかな手に食い込む。
何度も立ち止まり、持ち手を変えながら、一向に近くならない家を目指した。
夕日。
思えばすでに人生の苦しみというものについて考え始めていた。
そうして集めたキン肉マン消しゴムは、200体以上になったが、夏休みの暑さの中、円いクッキー缶の中で溶けて固まり、地獄の亡者のようにくっついてしまった。
地球儀を指で止めてここへ行きたいここで死にたい 松田畦道
△ダーツの旅の要領か。ここではないどこかを求めているのだろう。(働猫)
死にたいと思うことは久しくないが、どこでいつ死んでもいいなあとは思う。
句意とは(自分の場合は今ここでもいい、という理由で)多少ずれるが、当時より共感できる句となった。
火のついた手紙いつ離そうか 藤井雪兎
△手紙を燃やして完全に消去するためには、十分に全体に火が回らなくてはならない。だから手を離すタイミングは難しい。しかしそれ以上に心を占めているのは、手紙とともに自分をも消去したいという思いだろうか。完全に消去するためには、十分に全体に火が回らなくてはならない。(働猫)
こちらも映画的な情景である。
「離す」という表記を選択したことも、意識的であろう。
手紙そのものではなく、相手との関係からの離別を示しているのだ。
この雨は新宿の地下水となる立ち止まる 藤井雪兎
△循環するものに不意に気づいたのだろうか。足を止めて眺めてみれば、すべては無常であることがわかる。いつかその雨水に再び出会うこともあるのだろう。(働猫)
雪兎の無常観が都市とともにあることがわかる。都会の兎である。
からっぽの花瓶からすぐに指抜き 藤井雪兎
△何やってんだ。仁和寺の和尚か。(働猫)
よくわかる感覚である。
つい指を入れたくなるのだが、抜けなくなるのではないかという不安からすぐに抜く。
破滅を恐れながら、どこかでそれを求めてしまうアンビバレンス。
上の句同様、作者の人生観が表れているようにも思う。
寝てはいけない人と寝る外は雷 小笠原玉虫
○この句は初見で、ハッと思いました。美しい。特選で採らなかった理由はいくつか。まず「外は雷」が余分か。「雷」ではあまりにあたりまえすぎるし、なくてもいい。または、「外は雷」を削って、季語を上の句に持ってきて定型にしてもいいか。友人とぴったりな季語を探してみたところ、「仏法僧」がよいということになった。「仏法僧寝てはいけない人と寝る」鳥の声でもあり、背徳・破戒も表現できる。ね。いいでしょう?(働猫)
耽美な句。しかしやはり「雷」では付き過ぎであろう。用意され過ぎた情景となってしまい、わざとらしさを感じてしまう。
悪夢に跳ね起きる凌霄花窓から覗き込んでる 小笠原玉虫
△花の呪いだろうか。僕も花に囲まれて暮らしたいと思っているが、あまりに生々しく不気味に見えることもありますよね。(働猫)
良い景。
省略できる語を削りたい。
たとえば「跳ね起きる」があれば「悪夢」は不要であると思うし、「凌霄花窓から覗き込んでる」は悪夢の続き、または内容のようにも読めるため、説明的に過ぎると思う。
七夕飾り雨を纏って秘密囁いている 小笠原玉虫
△きれい。秘密は短冊にあるのだろう。(働猫)
美しい景。
夕立に煙る短冊。そこにひそやかな願いが書かれていたのだろう。
雨の匂いを感じる。
しかしやはり語が多いように思う。
文芸コーナー居並ぶ夏の無精髭ども 風呂山洋三
△自分はあまり本を読まないので、文芸コーナーにもあまりなじみがないのだが、こんな感じなのかな?ただ、立ち読みしてるやつは邪魔くさくてイライラする。それがしかも夏で無精髭生やしたデブだったらほんと嫌。(働猫)
いやほんと立ち読み邪魔。せめて人が来たらよけろよと思う。
それに立ち読みされた雑誌は買いたくない。
雨上がり苦笑い青い傘の男さ 風呂山洋三
△雨が上がっても気づかずに傘を差していたのだろう。「男さ」が気障でよい。(働猫)
気障である。
これはきっとミュージカルなのだ。
生乾きのにおいのする昼めしだ 風呂山洋三
△弁当を包んでいたナプキンが生乾きだったのだろう。愛情もルーティンの中で行き届かなくなることもあるのだ。がまんして食べよう。(働猫)
祖啓の「朝起きていきなりすぐの朝ごはん」もそうだが、この句も「誰かにごはんを作ってもらえる人」の句である。私から見れば幸福な状況であるが、どのような状況においても不満は生まれるものだ。
人は足ることを知ることなどないのである。
誘蛾灯があおく蛾もこない部屋です シブヤTヒロ
△誘蛾灯に蛾が来ないというのは製品的な欠陥があるのではないか。もしや、省エネのためにLED電球に交換してはいないか。LEDの冷たい光には虫が寄らないそうです。もう一度電球を確認することをお勧めします。それか誰も来ないなら出かけるべき。(働猫)
夏の夜に悶々としているくらいなら、涼しい夜を歩くのがいいだろう。
部屋に居ながら「誰も来ない」と嘆くのは病人でないならば甘えである。
がたがた音たてやがって寝れねぇじゃねぇか シブヤTヒロ
●若い二人は周囲に気をつかう余裕なんてないのですからしかたがないのです。あなたにもそんな時代があったはずです。広い心を持って、聞こえないふりをしてあげてください。(働猫)
いつの間にか、音たてる側から「寝れねぇ」側になってしまった。
これが老いか。
寂しい限りである。
青色クレヨンが雨になったよ シブヤTヒロ
△初めてクレヨンで絵を描いたときの喜びだろうか。クレヨンが紙の上で何にでも変わる。あどけない発見に満ちた瞬間。そんな時代が僕にもありました。(働猫)
かわいらしい句だ。
初めて絵を描いたときの記憶は残念ながらない。
しかしこんな気持ちになったのではないかと思う。
新しい技術や技能の獲得は、自分自身の世界を広げてゆく。
その喜びが子供の親への報告のような形で表現されている。
月あかりそうっと戸を開ける 天坂寝覚
△やましい心があるのだろう。月に見咎められているような。ばれているぞ。(働猫)
「そっと」ではなく「そうっと」としているのは、戸を開ける動作をゆっくり行っていることを表すためだろう。そこに表れる感情はやましさであろうか、それとも不安であろうか。戸を開ける音さえ気にしながら静かな夜へ出てゆくのだろう。
一日動かない部屋の空気のおもたさ 天坂寝覚
△空気の重たさを感じるのは違う空気の場所から移動してきたからだ。自分の部屋だとすれば、一日留守にしていた部屋に帰ってきて感じたのであろう。しかしそれが他人の部屋だったとしたら、その部屋の住人は一日動かなかったのだ。空気の重さ以上の悲劇が待っているような気がしてならない。(働猫)
父を発見したのは母だった。
私は別の街の高校に通っていたし、兄は本州で働いていた。
母は住み込みの仕事をしており、退院した父は家で何日も一人でいた。
奥の部屋で首を吊っていた父は死後数日が経過していたらしい。
そのときの様子を何度も母から聞かされ、実際にその場面に居なかったにも関わらず、私にはその情景が鮮明な記憶としてある。
光景だけではなく、臭いや肌にまとわりつくような空気まで。
疑似体験であり、錯覚に過ぎない。
そう理解しているが、消去できない。
そしてこの歳になっても、父の死に対する罪悪感は拭えないままである。
風邪の床のぞく明け暮れ 天坂寝覚
△心配なのだろう。やさしい。(働猫)
心配しながらも何もできない感じが伝わってくる。
幼くて、あるいはあまりに不器用で、看病もできずにただ見守っている。
その自分自身の弱さからくる、不安や悲しみがよく表現されている。
* * *
以下三句がこの回の私の投句。
死者おちんこも隠さずに 畠働猫
母の指差す空に私はなんにも見えない 畠働猫
処女だったおんなに子供ができた 畠働猫
確かこの回は自分が編集担当であり、「母の指差す~」が最高得点句だった。
「死者おちんこ~」は前月の研鑽句会(鉄塊参加者以外の俳人の句について検討する句会)で提示された「山吹の蕾何のおちんこぞ」(北原白秋)に対する連れ句である。
地方によるのかもしれないが、父の納棺の前にその身体を近親者で拭くことになった。集まった老若男女様々な親戚たちの前で、着物を脱がされおちんこもさらされ拭かれている様子を見ながら、死後こんな辱めを受けるのかと恐ろしくなった。その上、飛び出したまま硬直した舌を葬儀屋が割り箸でぐいぐいと口中へ押し込む様子を見て以来、しばらくは割り箸を見るだけで気分が悪くなった。
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