2016-03-20

【八田木枯の一句】壺の意のしづかに朧満ちにけり 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
壺の意のしづかに朧満ちにけり

太田うさぎ


壺の意のしづかに朧満ちにけり  八田木枯

『八田木枯少年期句集』より。

掲句の前に「朧夜の花無き壺のありどころ」、「朧夜の壺のありどのしづかなり」が並んでいるのでついつい比べてみたくなる。

前に置かれた二句は壺そのものよりも、壺の存在が周辺に及ぼす何がしかの気配を詠もうとしている。その気配が生じるのは、花が活けられていない壺の存在の静けさによるものだ。朧な夜気が壺の輪郭に纏わればなおのこと。

でも、どうでしょう。いまどきの句会に出せば「”ありどころ”がちょっと思わせぶり」、「朧夜と”しづか”はつきすぎでは」という感想が上がるのではないか(私の心の声をすり替えているだけかもしれないけれど)。朧夜という時間の設定も説明的でなくもない。

そこで真打として登場するのが掲句。先の二句はこの句へ飛躍するための助走と踏み台だったのだと思われる。

朧夜を内に取り込んだ壺は周囲もひたひたと朧化させてゆく、それが壺自身の意志であるかのように。前二句では取り合わせとしての役割を担わされていた季語がここでは句の血管の中を流れている、そんな気がする。

後年の木枯好みのタームとなった違い棚。そこにはこんな壺が飾ってあったのかもしれない。

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