【八田木枯の一句】
下りるとき少し早足花の山
西村麒麟
下りるとき少し早足花の山 八田木枯
『八田木枯少年期句集』より。
桜は堪能したことだし、あとは帰るだけである。おそらくはもう、頭上の桜どころか、道中の様々な花にも興味を持たず、すたすたと歩いていることだろう。口数も少なくただ早く家に帰ることだけを考える、これが花疲れというものだろうか。
人の心は美しい花に惹かれるが、同時に美しい花にさえ、人の心は飽きる。
桜が最も美しいのは、道中に心を弾ませて、ぱぁっと目的の桜が目の前に現れた時だ。最高の時間が花見の最初のタイミングで訪れるのだから、あとは少しづつ飽きてしまうのも仕方がない。
一本の桜を一時間も見続けることが出来るのは、桜が美しいからではなくて、美しい俳句が作りたいからだろう。普通の人はそんなに長く一本の桜を見続けることは出来ない。
花時、毎年のように上野に行き、人の多さとその花見の俗悪さに、二度と行くものかと、憤慨して帰るが、翌年にはケロッと忘れてまた上野へ行く。
俗悪だなぁ、僕。
2016-04-10
【八田木枯の一句】下りるとき少し早足花の山 西村麒麟
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿