【八田木枯の一句】
黑揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒
角谷昌子
第六句集『鏡騒』(2010年)より。
黑揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒 八田木枯
我が家では夏になると、揚羽の卵や幼虫を採取して、部屋の中で育てている。揚羽の食樹は蜜柑科の植物(ただし黄揚羽は芹や人参などのセリ科)で、庭の金柑や山椒の葉に卵を産み付けると、なるべく速やかに保護する。さもないと卵は蜘蛛や蝸牛、蟻などに喰われたり、幼虫も天敵の脚長蜂などに襲われてしまう。もしくは、蜂に卵を産み付けられ、寄生されてしまう。せっかく育てた揚羽の羽化を楽しみにしていたのに、やっと蛹から出てきたのは巨大な蜂という事態になるので、気を付けないといけない。
ナミアゲハとクロアゲハの若齢幼虫(孵化して一週間ほどまで)はよく似ている。どちらも黒地に白いまだらの入った鳥の糞そっくりだが、やや色が薄いのが黒揚羽だ。一度脱皮して緑色の終齢幼虫になると、色と柄などの違いがはっきりする。
一般的に揚羽類は、羽化すると日当たりのよい場所で華やかに舞っているが、黒揚羽は陰りある場所、たとえば林の薄暗い木立を縫うようにして飛ぶ。産卵のときも、直射日光を避け、薄日の射すような暗がりを好むようだ。そんな黒揚羽の生態が、ミステリアスな雰囲気を漂わせるのだろう。
〈黑揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒〉の「鏡」は、大きな姿見のイメージだ。部屋に立てられた鏡は、庭の青葉を映している。そこをすうっと「黑揚羽」が飛び過ぎると、水面が波立つように鏡がざわざわと騒立つ。
黒揚羽は黄泉からの使者のように、かそけき彼の世の気配を曳きながら、喪章の翅をひらめかせる。黒揚羽の影がよぎり、心の底にふっと胸騒ぎが起きると、そのざわめきが鏡にまで伝わってゆく。
鏡には異界が映るのではないか。そんな思いに駆られて鏡を覗きこむと、奥から青白い手が出て引き込まれてしまう。もうすでに部屋に人影はなく、鏡から薄闇が滲み出て、庭の青葉へと煙のように漂い流れてゆく。やがて薄闇が黒揚羽のかたちとなって、まただれかを攫いに木々の間を縫い、何処かへ消えてしまうのだ。
2016-05-22
【八田木枯の一句】黑揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒 角谷昌子
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