【みみず・ぶっくすBOOKS】第7回
モーリス・コヨー『ヴェトナムの路上の声、そして俳句』
小津夜景
この世界は多くの不思議な書物に満ちていて、それらに魅了されていたら夢から一度もさめないまま一生を費やしてしまっていた、なんてことがしょっちゅう起こる。
先日たまたま古本屋をのぞいたら、その手の愉快な本をみつけた。タイトルは『ヴェトナムの路上の声、そして俳句』。著者のモーリス・コヨーは1934年ハノイ生まれ、パリ大学およびグラン・ゼコールで教鞭をとっていた言語学者である。
彼の専門言語はロシア語、北京語、モンゴル語、ビルマ語、タガログ語、朝鮮語、日本語など広範囲に及ぶ。またフォークロア研究のための出版社(P.A.F)の設立・代表もしており、本書はこの出版社の企画物らしい。
A4判の本。2€=250円で購入。もともとの値段は45フラン。 |
本書の前半は、
・ドゥ・フェニス「ハノイの路上における行商人の売り声」
(雑誌『ラ・ルヴュ・アンドシノワーズ』掲載、1925年)
・ベルジェ「サイゴンの路上における歌と売り声」
(雑誌『アンドシーヌ』掲載、1943年)
の再録で、後半にはコヨー自身の論文「口承文学における人間らしさの源としての、文法規則の侵犯」が収められている。
上は「サイゴンの路上における歌と売り声」。鴨の雛の卵、米粉の蒸しパン、さつまいも、自転車に乗った粽売りの歌と呼び声を採取している。
黒大豆の甘いピュレ売り、煎りナッツ売り、西瓜の種売り、毛ばたき売り、筵売り、水売り、新聞売りの呼び声など。
こちらはハノイの景観。人類学固有の、一種の夢心地が溢れ出すかのよう。で、ここからが本書だけの風変わりな特色になるが、こうした心ときめくフィールドワークのところどころに、もうほんとに「一体どういうことよ!?」と呆気に取られるのだけど、なぜか写楽のラクガキが挿入されている。こんな感じで。
こ、こ、これを書いたのはコヨーさん? どうやら彼は絵が大好きらしい。もういっちょ。
何故このようなことが起こったのか? その原因はひとつ。コヨーさんが自身の言語学人生において日本に特別な愛着をもっているからだ。なかでも俳句がお気に入りのようで、本書の論文でも「とにかく言葉に興味があるんだったら俳句に行き着かないとダメよ」的見解(筆者の語学力にはかなり難があるので話半分に聞いてください)を繰り広げつつ、巻末に13頁に及ぶ「コヨー訳、子規句集」を加えるといったフリーダムぶり。(と書いていたら本人に興味が湧いてきた。いつか機会を見つけて「口承文学における人間らしさの源としての、文法規則の侵犯」を翻訳してみよう)。
これがコヨーさんの筆跡。かなり書き慣れた、味のある字。本の見開きレイアウトも愛らしい。
なんて絶妙なバランス! この踊るような、笑うような文字と余白との均衡を眺めていると、コヨーさんが自由と学芸とをこの上なく愛する人物であるのが一目瞭然のような気がしてくる。ご飯を作ってもすごく素敵な盛り付けをしそうだ。おまけとして彼の本をもう一冊、大写しで紹介。
思わずぐっときちゃうような、縦書きのプロポーション。しかもこの妖しい達人めいた筆跡のせいで「紅葉モリス」という筆名までミステリアスな怪人風に感じられ、とてもユーモラス。
今週はこれでおしまい。二冊とも、大好きな人と一緒に、惚れ惚れしたり大笑いしたりしながら読みたくなる本でした。
《参考》
ヴェトナム風米粉の蒸しパン(bánh bò)のつくりかた
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