【みみず・ぶっくすBOOKS】第10回
イザベル・アスンソロ『草の上の俳句』
小津夜景
日頃、自分が俳句を書いていることは口外しないようにしているのだけれど、なにかの拍子でそれが人に知られてしまうことがある。そんなとき厄介なのは話がそこで終わってくれないこと。決して少なくない確率で「あ、課外授業でやった」とか「うちの子が学校で書いた」などと相手が反応し、自分などには俄かに判然としない蘊蓄を語りだすのだ。
こうした状況に陥るたび「私は一度も書いたことがなかったのに、フランスの学校ってなんなの?」と不明瞭な気持ちでいたのだが、最近その霧がいくぶん晴れた。今週とりあげる『草の上の俳句』が「フランスの小中高における俳句の教え方」といった、まさにその謎を扱う書物だったからである。
著者のイザベル・アスンソロは俳人かつ iroli という出版社の設立者。フランス語俳句協会の理事もつとめており、さらには教育現場への俳句の普及にまで実践的に携わっているという、たいへん精力的な女性だ。
こちらのサイトで見つけたこの方がイザベルさん。彼女が手を添えているのは四ツ谷龍、冬野虹、ティエリー・カザルスの共著となる『草に呼ばれぬ』だ。カザルス氏はイザベルさんが初めて目にした俳人で、氏との出会いをきっかけに俳句と恋に落ちてしまったイザベルさんは、ガリマール社の俳句アンソロジーを繰り返し読みふけり、ついには「俳句を世にひろめるために出版人になろう」と決意したのだそう。
そんなイザベルさんが綴ったこの本、まず感じたのは、子供たちに対しどのように俳句を説明するかといった課題は、フランスにおける俳句の理解の核心を最大限シンプルにさらけだすことでもある、ということ。たとえば本書の冒頭は、
私は湧き水を飲む
紅をさしているのも
忘れて
という句(千代女「紅さいた口もわするるしみづかな」です)を引いて《良い俳句は精神的なイメージではなく生きられたイメージを大切にします》と始まる。そして《千代女の句の一途さには瞬時性や共鳴性といったインパクトが同時に織り込まれており》、つまるところ《俳句に必要な基礎、その第一の水源は、俳人自身の体験です。生きることそれ自体が、俳句を育むに必要な腐葉土なのです》とこの項を終える。あくまで単純な、だがれっきとした哲学から入る姿勢に、子供たちの理解力に対する信頼が感じられて心地よい。
右ページの句は冬野虹「明るい岸へ雪の球なげてゐる」。
この本では、カエルが頻繁に文章に割り込んでは「俳人の言葉」を呟く。
「読んだ瞬間、味わった瞬間に俳句は生まれる/ランディ・ブルックス」
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吟行中の生徒 |
それはそうと、本書中、私がなによりも衝撃を受けたのは季語の説明である。
《俳句は五感とよばれる感性の世界に錨を下ろします。見習い中の俳人はまずもって生活に立脚して書くのであり、精神世界に立脚した場所から始めるというのはとても稀か、全くないと思っていいのです。俳人は書く為のインスピレーションを待ったりしません。生活および書くことの正面へと自ら進み出てゆくのが俳人です。》
《どんな場合でも俳句は季節を示す語、あるいは一日の或るひととき、あるいは場所などの語を含んでいます。実を言うと、私は俳句を教える場でこの「錨となる語」の話をするのが好きなのですが、日本においてこの「錨となる語」は長い間「季語」が担ってきました。「季語」とは季節にまつわる事柄を体系化したもので、そこにはアルマナも含まれます。》
アルマナというのは、子供から大人まで、多くのフランス人が使用しているボードないし手帳のかたちをした生活暦のこと。天体の出没、気候、宗教行事、聖人の誕生日、年中行事、旬の食材とその調理法、畑や庭の手入れ法、余暇やスポーツ、子供の遊びなど、日常に欠かせない知識や情報が、年暦によって配当された月日に記されている……ってこれ、まんま歳時記じゃん! 信じられない。今までずっと目にしていたのになぜ気づかなかったんだろう。フランスに歳時記があったとは……。
フランスの生活暦手帳。これはノート部分がやや小さめ。 |
もともとアルマナは天体および宗教(吉凶)情報を記した暦がその起源だそうで(ウィキによると紀元前8世紀ヘーシオドス『仕事と日々』の付録暦が最古)、15世紀以降は行商人が毎年売り歩く「民衆向けハンディ百科全書」としてもいろんな人気商品が出現した。あの有名なノストラダムスの歴書もアルマナで、これはカレンダーに天体&宗教&農事に関するインフォメーション、天気予報、医学衛生の助言、ハーブ化粧品の作り方(!)、本日の占いなどが記された画期的アイデア商品だった。そのほか「地方の歳時記」「催し物歳時記」「スポーツ歳時記」「インテリア歳時記」など一つの分野に特化したタイプも存在し、なかでも「お料理歳時記」と「庭づくり歳時記」は根強い需要がありそうな雰囲気。ちなみに我が家にあるのは行政が無料配布しているもので、カトリック、プロテスタント、オーソドックス、イスラム、チベット仏教の行事情報が記載されており、写真を眺めるのが楽しい。
ノストラダムスのアルマナ。
1月1日は、割礼記念日、天候雨、あとは読めない。
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イザベルさんの説明のお陰で、フランス人によるこの概念の把握のしかたが完全にわかって、なんだかうれしい。しかもさらにイザベルさんは、自身が季語好きなのにもかかわらず無季俳句の重要性を述べるところでこの項の説明を終えていて、そういった点もいいなと思う。
《私達は日本の季語から離れ、西洋の事情にあった「錨となる語」を見つけなくてはなりません。季語の問題はそれがローカルな性質を帯びている点にあります。例えばすずらんはフランス本土で五月に咲くけれどもレユニオン島ではそうではない、といった風に。現代の俳句は自然や季節ではなく、時間及び空間的に作者にとって具体的といえる環境——例えば「教室」「工場」「街角」「目覚まし時計」など——に錨となる語を求めるようになっています。季語以外の語をこのように使用するのは当世の傾向(日本も同じ)で、これを無季俳句と呼びます。》
大人の句会風景。 |
こうした説明のあと、本書は作句法を実際に考える作業に入ってゆくのだが、それについてはまたいずれ書くことにして、今は生徒の作品のみを紹介したい。
bruit de cavalcade
dans les couloirs du collège
la Joconde regarde
Lucas
中学校の廊下いっぱいの
お祭り騒ぎを
モナリザが見ている
ルーカス
Fête de l’Armistice
un papillon noir
suit le bord d’écume
Vincent
休戦記念日
一羽の黒蝶が
泡の淵を追う
ヴァンサン
barque sur le Nil
prises dans les jacinthes d’eau
PRINTEMPS 2011
Janiss
ナイルの小舟
ヒヤシンスに捕らえられ
2011年春
ジャニス
ヒヤシンスの句は失読症の生徒作品。吟行にゆき、そこで目にしたものを補助教員がメモし、教室に帰ってからそれらの語を並べ替えて作句した。「ナイルの小舟」は旅行代理店のポスターを見たときにメモした語なのだそう。
Sunday I’m in love
lancé une étoile de mer
qui colle au ciel
Dylan
日曜日、ぼくは大好き
空にはりつく
ひとでを投げた
ディラン
こちらは特殊学級の生徒の句。教師の体験した週末のできごとに耳を傾けつつ、その話の中から印象に残った言葉を拾うといった方法で作句を試みた。文法が少し変で、さらに英語も混じっているが、とても素敵な俳句である。下の写真はこの子が教師の話を聞きながらつくったという、超ヘヴンリーでアイム・イン・ラブな俳画。
『草の上の俳句』から一貫して感じられるのは、あくまで子供たちの知性を「水と土の匂い」のする土台から育むひとつの方法として俳句をその場に差し出そうとするイザベルさんの冷静な判断力だ。この本には「俳句のすばらしさ」を子供たちに伝えるといった発想は微塵もない。あるのは「子供たちのすばらしさ」を俳句が涵養するだろうといった大変気の長いヴィジョンであり、またイザベルさんにとって「俳句を広める」とは即ちそういうことらしい。
今回この本のさまざまな作句法を読み、また生徒たちの作品例を眺めて、学校という空間ではむしろ外国人の子、識字困難の子、特殊学級の子など、感覚と文字とのあいだにささやかな「距離」を抱える生徒たちにこそ、五感をせいいっぱい押し広げて書く俳句という言葉のあり方が有効なのではないか、といった感想も抱いた。最後にイザベルさんの考え方がはっきりと現れた文章として、この本の目次を引用しておく。
『草の上の俳句』
第1章 よい土壌
・水源
・構造
・定着
・句切れ
第2章 よい盛り土のための原材料
・読者という名の分別ある農夫
・五感という光と熱
・日々の水やり
・母なる自然とその恵み
・正確な語という肥料
・ひらめきという雷
・こまどり、その他のまれびと
・微量元素 : 慈愛と人間性
・そして少しの雪と歓び
第3章 正しい道すじに
・書き出しの三つの例
・道にある、いくつかの躓き石
・よくある質問
第4章 さあ書こう! アトリエと活動
・何を書くかについて
・俳句を発見する授業のやりかた
・俳句を書く活動 小中高それぞれの指標
・俳文(俳画の実践もあり/筆者註)
・吟行
・句会
・上記以外の公的現場 : 失読症児童、外国人児童、特殊学級児童の場合
・実現すること
・領域横断的プロジェクト : フランス語俳句と外国語俳句、フランス語俳句と彫刻、フランス語俳句と「生命&環境の科学」(フランスの学校の授業科目名/筆者註)
第5章 用語・書籍・サイト集
・
写真引用元
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