【週俳500号に寄せて】
呑み込まれてゆく渦の中で
三宅やよい
日々の時間はとめどなく流れてゆくけど、「週刊俳句」が出来てもう10年になるのか。驚きである。毎週毎週記事を集めて特集してアップしてゆくのは大変な手間だと思う。1週も欠かさずに10年続けられたことに敬意を表したいと思います。
週刊俳句はブログ時代のものだけど、それからツイッターやフェイスブックやラインやなんやら、一日中スマホをチェックしてないと追いつけない世の中である。ワタシは「増殖する歳時記」が終わってからWi-Fiルータとともに持ち歩いていたタブレットをやめ、今は昔ながらのガラ系の携帯しか使っていない。ネット空間にあふれる情報を追うのに少々疲れていたから、この頃はほとんどネットを覗いていない。そんなこんなで「週刊俳句」のいい読者と言えない実情である。
10年の間「週刊俳句」は相当俳句の世界の風通しを良くしたと思う。俳句総合誌で知りえない面白い俳人や作品を紹介し、優れた評論の書き手を育てていった。
ネットの利点は情報に立ち遅れがなく、地方にいても海外にいても即時にやりとりができること。昔なら仰ぎ見るしかなかった人ともネット上で会話を交わすことができる等など。物足りない点を挙げるとするとすぐ忘れてしまうことだろうか。大量に供給されるものは大量に忘れられてしまう。瞬時に感心したことは瞬時に溶けてしまう。流れゆくことは利点でもあり歯止めがないことでもある。
俳句は短いのでネットと相性が良くて昔は掲示板、今はツイッターでも句会をしようと思えばすぐにできるだろう。いったいどのくらいの膨大な俳句が日々現れては消え去ってゆくのか考えるだけでそら恐ろしい。日々の俳句が呑み込まれてゆく渦の中で「おっ」と思える俳句を心に刻み込めたらいいのに、そんなこともときどき考える。
例えば「週刊俳句」で一句をとりあげ、その一句を長いスパンで話題にしていくことも面白いかも。否定的であれ肯定的であれ一句を中心にやりとりする中で句は覚えられ確実にその一句は残る。うまい!と感心させられる巧みな句は増えているけど、記憶に残る句は少ない。リオオリンピックがあった年の「週刊俳句」の一句は断然あの句だね。なんて年ごとに口ずさめる一句が残っていけばステキだと思う。どうやってそんな一句をピックアップして残る一句に仕立てるか?そこは仕掛けあり、アイデアありの「週刊俳句」の腕の見せどころでしょう。
2016-11-20
【週俳500号に寄せて】呑み込まれてゆく渦の中で 三宅やよい
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