海外の俳句の魅力
コロナ・エルジビエタ
イントロダクション:
ポーランド人で日本文学を研究している者として、私の最初の俳句との出会いはポーランド人によるハイクでした。自分の好きな海外の作品を選んで、その魅力を紹介したいと思います。個人的な好みに沿って選びましたが、それを通して外国語のハイクの楽しさが伝われば何より嬉しいです。海外の俳句・ハイク・Haikuは言語、文学と文化の境界線を歩むとよくいわれています。しかし、それはいかに作品に現れるのか、見ていきましょう。
1.
ポーランド語で最初にHaikuと呼ばれた作品は1975年にLeszek Engelking レシェック・エンゲルキングによって作られました。エンゲルキングは日本の俳句の形式を模倣し、17シラブルの作品を作り始めました。彼の俳句の中で、私の好きな作品は以下です。
Autobus zimą
Kto napisał na szybie
Poemat bashō
Autobus do Hotelu Cytera, 1979
Antologia polskiego haiku, red. Ewa Tomaszewska, Nozomi, Warszawa 2001, str.56
上記の句の直訳は下記です。
冬のバス
誰がガラスに書いたのか
芭蕉の句
また、エンゲルキングの意図に従い翻訳を俳句の形式に変形すると、以下のような形が考えられます。
冬のバス
ガラスに書かれた
芭蕉の句
想像できる風景は、おそらく冬の寒い日に暖房で曇った窓ガラスに誰かが芭蕉の句を書いたと言うことだと考えられます。窓ガラスの句は日本語の原文だったのか、それともポーランド語の翻訳だったのでしょうか。芭蕉のどの句だったのかは読み手に任されています。大切なのは、芭蕉の句を書いた者と、芭蕉の句を一目見て分かった者が知らないうちに寒いバスの中ですれ違ったことです。二人を繋げているのは400年前に詠まれた芭蕉による伝言のみです。その幸運の縁、いわゆるSerendipity、一期一会の感覚が句の中に込められています。
2.
現在、ポーランド語で俳句を詠む詩人がますます増加しています。その中で、代表的なのはリシャルド・クリニツキ(Ryszard Krynicki)(1943-)です。彼はポーランド人の詩人で、自分の出版社を経営しつつ、翻訳者としても活動しています。
2014年、クリニツキ自作の俳句と俳句の翻訳を集めた『俳句。名人の俳句』が出版されました。この作品集は三つの部分に分かれており、第一部の „Prawie haiku”(「俳句らしきもの」)と第二部の „Haiku z minionej zimy”(「去った冬からの俳句」)にはクリニツキが創作した詩と俳句が収められています。第三部の „Haiku mistrzów”(「名人の句」)は作品全体の半分以上を占め、クリニツキが訳した芭蕉・蕪村・一茶・子規の句集です。
クリニツキの短い詩の中で、様々な形式で現れたとしても、俳句の創作と翻訳の際には五七五シラブルの句の形を守っています。以上の句集から好きな句は以下の句です。
W skrzynce na listy –
dziś, prócz reklam, rachunków:
skulony pająk.
In the postbox –
Today, apart from bills, leaflets:
A curled up spider
郵便箱 ―
今日、請求書やチラシの他:
蜘蛛が身を丸める
ポーランド語らしい句ですね。ダッシュなどは切れ字の役割を果たします。句の味は、サプライズから生まれてきます。季節は秋と推測します。蜘蛛は隠れる場所を探し、郵便箱に身を丸めています。そして、私たちは郵便箱を開き、小さな、可愛らしい蜘蛛に驚き、日常生活の疲れから少し休息を取り、季節の変化に気づきます。
3.
さて、ポーランド語の17シラブルのハイクはたくさん作られていますが、ポーランド語で日本の俳句を詠むことは可能でしょうか。その質問にワルシャワのクズ・ハイク会(葛俳句会)に参加しているポーランドの詩人たちが答えようとしています。
ワルシャワのクズ・ハイク会というのは、アグニエシュカ・ジュワッブスカ=梅田が指導している詩人・俳人のグループです。アグニエシカ・ジュワフスカ=梅田(1950 - )はワルシャワ大学准教授で日本文学の翻訳者で、Poetyka szkoły Matsuo Bashō (lata 1684-1694), (Warszawa : Wydawnictwo Neriton, 2007)(『松尾芭蕉派の詩学(1684-1694)』)という研究論文を出版し、松尾芭蕉の『笈の小文』や『更級紀行』などをポーランド語に訳しました。
クズ・ハイク会は2009年の「日本文化の秋」と2010年の「日本文化の春」の際にワルシャワで行われたハイク・ワークショップをきっかけに始め、毎月開催される「Haiku School」(ハイク学校)になり、現在(2016年10月)も活動し続けています。その活動は日本の俳句と詩学講義、俳句の鑑賞などの他、東京の葛俳句会に日本語でポーランド語のハイクを投句することが中心となっています。
クズ・ハイク会というのは、アグニエシュカ・ジュワッブスカ=梅田が指導している詩人・俳人のグループです。ポーランド語で書かれたハイクを日本語の俳句の理想に近づけるため、アグニエシュカ・ジュワッブスカ=梅田はハイクを翻訳し、日本人の関木瓜 (セキ・モッカ)という俳人の先生に送ります。 関木瓜は日本語訳を訂正し、日本人の俳人の観点から俳句の翻案を創作します。最後にジュワッブスカ=梅田はその日本語最終版を改めてポーランド語に翻訳し、ポーランド人の詩人に紹介します。その再翻訳に関してジュワッブスカ=梅田は「[投句を]なるべく詩的に、また言葉通りに直します。この段階で初めて原文と翻訳の空間に広がるそれぞれの文化の特徴を比較することが出来ます。」と述べています。
ジュワッブスカ=梅田はその翻訳のプロセスとそれによって作られている作品を「文化的な翻訳」と言っています。グループはその翻訳方法を利用して作品を磨くことを目的としています。
その翻訳的な実験の結果、複数の面が現れているHaiku・俳句の一句一句が言語の境界線を越えています。その句を集めた独特の俳句アンソロジー、Wiśnie i wierzby. Cherry trees and willows. Sakura to yanagi. Antologia polskiej szkoły klasycznego haiku『桜と柳。ポーランドのクラシック派の俳句アンソロジー』という作品集が2015年に出版されました。アンソロジーの中ではポーランド語の原作に英語訳と関木瓜の日本語の俳句翻案が加えられ、タイトルを初めとしてこのアンソロジーの全ては三ヶ国語に訳されました。
私は上記のアンソロジーから一つの作品を選びました。2015年2月のIrena Iris Szewczykによる作品です。
bezgraniczna mgła
z drugiej strony wraca
tylko przewodnik
a thick boundless fog
from the other shore returns
only the boatman
亡き兄の霞の果てに消えしまま (季語:霞)
ポーランド語の原作の直訳も紹介しましょう。
果てしない霞
向こう側から戻ってくるのは
渡し守だけ
原作とその英語訳はギリシャ神話に登場するカローンのイメージを連想します。生きている者に見えるのは果てしない霞しかありません。誰かが亡くなり、「向こう側」、つまり、冥界に消え去ってしまいました。
Mgła というポーランド語の訳し方として「霧」「霞」の両方は可能ですが、この句が詠まれた季節などを考えて「霞」のほうが相応しかったと関木瓜が判断したのでしょう。
ドナルド・キーンは、「日本の短詩型文学の魅力」という講義の中で、どうして外国人は俳句を創作しているのかのついて、こう語っています:
「外国人の詩人の中には、俳句でなければ自分の感情や感傷を表現できないという人さえいます。私は、正直なところ、外国人が俳句を作るのはただの遊びではないだろうか、また、日本語の俳句のように面白くもないため、あってもなくても同じことではないかと思っていました。しかし、ある時、知らないアメリカ人からいくつかの俳句をもらいました。その俳句は、亡くなった弟について詠っていました。彼は俳句の形で自分の深い感情を伝えていたのです。季語は入っていないのですが、彼は自分の表現する形として俳句が最も適当なものだと感じていたのです」。(ドナルド・キーン、ツベタナ・クリステワ 『日本の俳句はなぜ世界文学なのか』弦書房、2014年。)
Irena Iris Szewczykの句が作られたのは、作者のお兄様がなくなってからです。以上の引用の実例でもあります。
Wiśnie i wierzby. Cherry trees and willows. Sakura to yanagi. Antologia polskiej szkoły klasycznego haiku, red. Agnieszka Żuławska – Umeda, Polska Fundacja Japonistyczna, Warszawa 2015, str. 37
4.
来日してから、ボルヘスについての講義に参加し、スペイン語の俳句にも触れたことがありました。翻訳の実験を考えるのなら、ボルヘスのDiecisiete haiku「17俳句」の日本語訳を見逃してはなりません。そのスペイン語の句は「傳奇亭吟草」で二つの方法で山本空子と高橋陸郎によって翻訳されました。
私の一番心に突き刺さった句は7番です。
Desde aquel día
no he movido las piezas
en el tablero.
盤上を駒進まざる幾秋ぞ
その日このかた
私はチェス盤の上の
駒を動かしていない
17句のどれも素晴しい俳句の中から最も優れた作品を選ぶのは不可能です。
しかし、最も好きな作品を選ぶのであれば、迷うことはありません。
その俳句の魅力は、言葉の奥に潜む物語にあります。チェスの相手は誰だったのか。なぜ続けられなかったのか。続きが読者の想像力に任かされており謎めいています。
それだけではありません。チェスというものは、私にとって非常に懐かしいものです。子供の時、初めてのチェスの相手は父でした。今、海外に住んでいることもあり、会話をする時間が限られているため、その句は昔のことを思い出させてくれます。
前半は日本語の17音節の形を取り、季語が入っています。なぜ秋なのか、という疑問が浮かぶかもしれません。しかし、私にとって、ボルヘスの俳句に合うのは秋のみです。
秋は、「ああ、また一年が経ったな。」と思う季節です。そのため、句の切なさがより心に浸みわたります。
La cifra, 1ra ed. Buenos Aires, Emecé, 1981.
http://terebess.hu/english/haiku/borges.html
5.
最後に、好きな海外の句を考えると、「桜」を巡る俳句大会の句がおすすめです。桜は日本文化の象徴でもあり、「桜」という季語を選び、そのテーマに纏わる句を募集する国際大会は多くあります。
大会のハイクをすべて薦めるのは、ずるいといわれるかもしれません。しかし、その句は合わせて読むことが何より楽しいのです。なぜなら、そのコンテストに投句される作品からは人の体験を感じることができるからです。
子どもの遊び、結婚、子育て、癌との戦い、老婢、孤独などに渡り俳句は、私以外の人の経験のかけらです。今年のハイクは以下のサイトで見つけることができます。
特に記憶に残った句を紹介するとしたら、以下の作品を選びます。ブルガリアの国際ハイク大会の第二賞(second place)です。桜の魅力をどのように捉えることができるのか、というアーテイストのためらいを表しています。そして、冬の風景に相応しい白黒の木炭画は春の訪れにつれて水彩画に変えられて、色に満ちてきます。
Billy Antonio – Pangasinan, Philippines
cherry trees in bloom
he switches from charcoal
to watercolor
Били Антонио – Пангасинан, Филипините
разцъфтели вишни
той заменя въглена
с акварел
私が作った直訳と日本語の翻案を紹介します:
直訳:
さくら咲き
彼は木炭画から
水彩画に切り替える。
翻案:
さくら咲き
木炭画より
水彩画
ブルガリアの国際ハイク大会、2016年受賞句
https://vidahaiku.wordpress.com/2016/04/21/second-international-haiku-contest-cherry-blossom/
バンクーバー・ハイク大会、2016年の受賞句
http://www.vcbf.ca/community-event/2016-winning-haiku
参照文献・大会のウェブサイトは各章中に記載しました。
2016-11-06
海外の俳句の魅力 コロナ・エルジビエタ
Posted by wh at 0:10
Labels: コロナ・エルジビエタ, 学生特集