2016-12-11

【週俳10月11月の俳句を読む】俳句形式の力 曾根毅

【週俳10月11月の俳句を読む】
俳句形式の力

曾根 毅


産めよ増やせよのあげくの露の玉  加藤静夫

「産めよ増やせよ」とは、1941年に閣議決定された人口政策確立綱項に基づくスローガン。昨今の高齢化社会にも繋がっている。露の玉は、その背景と時代の流れを象徴し、一句に奥行を与えるのに実に適した機能を果たしている。昭和を俯瞰する平成の秀句に違いない。しかし、だからこそ私はこの狙いすましたような下五の据え方が気になる。極みのようなこの季語の用法に、パターンとしての行き詰まりを垣間見る思いがしている。


つとめての紅葉を下に安芸の橋  樫本由貴

花カンナからりと生けて授乳室   〃

この二句に共通する面白さとして、「つとめての」と「からりと」という一句の中の何気ない言葉の斡旋がある。そこには、「確かなあはひ」とでもいうべき静謐な空間が感じられる。句意もさることながら、調べに心情を通わせるものの表わし方に、この作者の持ち味を見た。


消火器の剥き出しにある文化祭  野名紅里

消火器は本来、非常時に誰もがすぐに使用できるように、あからさまな場所に設置されるべきものだ。そのことに踏み込んで、誇張した表現と受け取れる。日常にあって非常を思わせる真っ赤な消火器。その存在が、文化祭という非日常の空間の中でイメージとしてクロスした。一瞬の違和感が、表現としての誇張を呼び込んだのではないだろうか。作者の明るさと繊細さが通底しているように思う。


あるこほる流るる曼珠沙華は白  福井拓也

あるこほるは、眼前にあらわな形で流れている。それを認識するということは、確かな臭いを伴っているか、自身に関係する行為の内にあるということだろう。近くに白い曼珠沙華がある。曼珠沙華といえば鮮やかな赤色のイメージが強い。そのイメージの赤を、白の現実に頭の中で上塗りして、曼珠沙華であることを確かめたくなるような妙な感覚を伴う。「あるこほる」のひらがな書きによる柔らかい言葉のニュアンスと、白い曼珠沙華との感覚的な二物衝撃。


かりがねや展望台の窓の罅  斉藤志歩

言葉が感覚に直接訴えかけてくる。展望台の窓越しに雁の行方を見ているという情況は、平易でイメージし易い。この句の場合、「罅」がその風景と心情に介在して、一句に奥行を与えている。他の10句の中にも、「馬」や「友」「肉」「顎」などの語に同様の効果が感じられた。ポイントとなるこの屈折が、どれも実直な感覚として受け取れるところに個性を見る。


湯上がりの人の剥きたる林檎ぬくし  平井 湊

林檎に宿る熱は、湯上りの人が纏う静かな時間であるとともに、剥いて差し出す相手のために捧げられたかけがえのない時間でもある。そして林檎は双方の思いを繋ぐ。散文として読めば、湯上りで火照った熱が、林檎を介して伝わったということになるのだろうか。ここにも俳句形式の力がある。


加藤静夫 失敬 10句 ≫読む

第497号 学生特集号
樫本由貴 確かなあはひ 10句 ≫読む
野名紅里 そつと鳥 10句 ≫読む
福井拓也 冬が来るまでに 10句 ≫読む

第498号 学生特集号
斉藤志歩 馬の貌 10句 ≫読む
平井湊 梨は惑星 10句 ≫読む

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