【2016年週俳のオススメ記事 4-6月】
ああ、そうだった
村田 篠
4月(第467号、第468号、第469号、第470号)は毎週10句作品が2作品ずつ。5月(第472号、第473号)は少し減りますが、6月(第476号、第477号、第478号、第479号)も毎週10句作品が掲載され、しかもどの作品もしっかりと読み応えがあって、この3ヶ月は俳句作品を読むだけでも満足感があります。私的にとくに刺激を受けたのは、第473号に掲載された野間幸恵さんの「雨の木」でした。
フランスの書店で見つけたさまざまな俳句本を紹介する小津夜景さんの連載【みみず・ぶっくすBOOKS】が第478号で終了しました。なかでも興味津々だったのが、第474号の「モーリス・コヨー『ヴェトナムの路上の声、そして俳句』」。口承文学研究者のベトナム人コヨーが、ハノイの街で物売りの呼び声を採取し、絵も自分で描いてまとめた本なのですが、日本の俳句に多大な興味を持って、子規の句を日本語で手書きし、翻訳を付してあるという独特の「自由さ」に引きつけられます。レイアウトの美しさも特筆もの。口承に対する作者の「興味」を縫い糸にして縫い上げた本、という感じがいいです。
面妖さでは第475号の「ライアン・マコム『ゾンビ俳句』」。文末に引いてあるマコムの俳句に本気を感じます。
第477号の「イザベル・アスンソロ『草の上の俳句』」では、フランスの子どもに俳句を説明する文章が紹介されています。「この本には「俳句のすばらしさ」を子供たちに伝えるといった発想は微塵もない。あるのは「子供たちのすばらしさ」を俳句が涵養するだろうといった大変気の長いヴィジョンであり、またイザベルさんにとって「俳句を広める」とは即ちそういうことらしい。」という小津さんの解説には感じるものがありました。
第474号には小誌上田信治の【成分表】が3編。「食パン」の中の一文「意識されたことは、飽きのプロセスにさらされる。」に思わず頷きます。それを繰り返してここまで生きてきたような気がします。
【句集を読む】では、第468号で山田ゆみ葉さん(「小池正博『転校生は蟻まみれ』を読む」)が、第479号で小津夜景さん(「水と仮面のエチカ」)と小誌西原天気(「はじめてください、川の話を」)が、小池正博さんの句集『転校生は蟻まみれ』を取り上げました。同じ句集について何人かの人が書いた文章を読み比べるのは楽しいものです。
第479号の「鴇田智哉インタビュー 季語・もの足りること・しらいし」は、鴇田智哉さんが結社を辞めて以後のことについて語っています。鴇田さんがご自身の作句方法を語る語りは惜しげもなく明快で、とても面白いのですが、だからといって誰でも真似できるわけではなく、というよりはむしろ、誰にとっても「自分の方法を見つける」ということが俳句をつくる際の大きな側面だということに、改めて思い至ります。
中島憲武さんの随時連載【ハイクふぃくしょん】の中から、第468号の「ジャム」。鶴の恩返し的な骨格に施された、ほのほのとした恐怖の味付けがたまらなく好みです。最後まで読んだときに俳句が登場して「ああ、そうだった」と気づく(それも毎回、初めてのときのように)のは、それだけ短編小説として完成されているからなのでしょう。
以上、読み物に偏ったチョイスになってしまいましたが、どうぞご寛恕下さい。
2016-12-25
【2016年週俳のオススメ記事 4-6月】ああ、そうだった 村田篠
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