2017-01-15

BLな俳句 第11回 関悦史

BLな俳句 第11回

関悦史


『ふらんす堂通信』第146号より転載

若者には若き死神花柘榴  中村草田男『萬緑』

この連載の初回で永田耕衣の《少年の死神が待つ牡丹かな》を取り上げたのだが、若い死神と花というモチーフは、草田男のこの句を踏まえたものか。

高齢になってから自身に引きつける形で詠まれた耕衣の句とは違い、草田男の句は他人のこととして三人称的に詠まれているが、だから一般論的な作りになっているかというと、そうとも言い切れない。一般論としてこういう内容をいきなり思いつくとも考えがたく、具体に執する草田男の性質からすれば、こうしたことを考えざるを得ない何ごとが実際に起こったのではないかとも思われる。

耕衣句の堂々たる牡丹=死神に迎えられての大往生には、例えばアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』に描かれた人類滅亡のような、死ぬことによって、より上位の何かに参入するといった趣きが感じられる。もっともクラークの長篇では、人類以後を担う子供たちは、普通の意味での知性や感情がかけらもなさそうな、殺伐たる理解不能な姿で描かれていたので、まがまがしくも円満な美を呈する耕衣句とはかけ離れた雰囲気ではあるのだが。

さて草田男の句だが、こちらは対照的に夭折の傷ましさが際立つ。

柘榴の花は赤っぽい数センチほどのものが木のあちこちに咲くので、牡丹のようなどっしりした求心性はない。どちらかといえば、若者の肉体の健康な血色を引き出している季語だろう。また実がなればなったで、「柘榴のように」といえば推理小説の惨死体につきものの形容であり、これも大往生の円満さからはほど遠い。

そうした残酷美的なイメージを背後に沈めて、夭折の理不尽さを寓意化したのがこの句だといえるだろう。絶対的な力を持ちながらも「若い」死神に無理矢理迫られる若者、あるいはそれと気づかれないまま若者にひっそりとつきまとい、ふいに「花柘榴」のごとく鮮やかな姿をあらわす若い死神というイメージは、特に曲解しなくとも充分にBL的である。

耕衣句との違いは花の種類や若さだけではない。むしろ「待つ」の一語の有無のほうが大きい。耕衣句は相手が待っていることを知っているという状況での「牡丹」だからこそ霊的完成ともいった意味合いが出てくるのであり、草田男句にはそうした死へ向かう熟成はない。なまの肉体がむきだしになったような破壊の相である。それゆえにこの句は、動詞をひとつも含まないにもかかわらず、カラバッジョの絵にも通じる動的な血なまぐささを帯び、若さが暗い輝きを放つのである。


浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」 中村草田男『銀河依然』

戦後しばらくはじっさいにこういう境遇の子供が少なくなかったことを思えば、これをあえてBLとして見るというのは気がひけないこともないのだが、制作時にはまだ表面に浮上していなかったさまざまな意味を時代の変化に応じて産出し続けるのが古典というものの条件であるといった理屈を持ちだすまでもなく、この句の語り手の「浮浪児」への関心は害意よりは慈愛に近いものであろうし、その中での「なんでもいいやい知らねえやい」というツッパリようは、「ツンデレ」の一語を呼びよせずにはいない。

「昼寝」はここではふて寝であって、コミュニケーションの遮断という反抗であると同時に、その子供っぽさを発揮しているのが本当の子供であることにより、語り手をかえって招き寄せているのである。


くどからぬ夕立に道濡れ友恋し  中村草田男『美田』

草田男に《妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る》という有名句がある。「砂利踏みて」の重さがなまなましく、「妻」の立場からすると少々恐怖を覚えるのではないかという句である。

こちらはその「友」バージョンとでもいえようか。湿度を帯びた地面をバネに人を恋うという点では共通している。こちらの句では濡れた道は踏まれたとは書かれていないし、「恋し」というだけでさすがに「抱く」の直接性まではいかないが、「夕立に道濡れ」のしつこい字余り描写、「くどからぬ」がかえって反語的に浮上させてしまうくどさがなかなかになまなましい。「夕立」はくどくなかったとしても、「草田男」はくどいのだ。
 考えてみれば、友を恋うのに「濡れ」るというのもいささか妖しい。情が濃いというだけではかたづかない、語り手自身が自覚していない不穏さが、ここには潜んでいるのではないか。


白鳥や王子の眉目(みめ)して少年工  中村草田男『時機』

「白鳥」が『みにくいあひるの子』を、また「王子」と下層民たる「少年工」の対比が『王子と乞食』をそれぞれ連想させてしまうあたりが図式的といえば図式的なのだが、そうした道具立てのわりには、不思議なことにさほど陳腐さや浅薄さを感じさせない。

「白鳥」「王子」「少年工」を抜いてしまうと残る要素は「眉目して」だけとなるのだが、ここに具体性への執着と草田男の欲望がかかっているのである。

この句はべつに「少年工」がやがて「王子」の正体を明らかにするなどとはいっていない。語り手が少年工の容貌に高貴さと、多分に精神的な美しさを見出したということだけが示されている。その高貴さが真実その少年工にそなわっているものなのか、あるいは語り手の錯覚にすぎないのかは問題ではない。少年工を介して、そう見たいという欲望が引き出されてしまったことが問題であり、そこがこの句の核となっているのである(これが例えば塚本邦雄であれば、むしろ相手が粗野で無知な肉体労働者であることを欲望しただろう。それも結局は裏返しの高貴さ志向ともいえるのだが)。くりかえすがこの句の語り手は「あひるの子」が「白鳥」に変身する日を夢見ているのではない。労働にいそしむ少年工は、少年工のままで既に王子なのだ。

草田男は途中で神経衰弱を起こして国文科に転じたとはいえ、東京帝国大学文学部独文科に入ってドイツ文学に親しんだ俳人であり、自身もメルヘンをものしていた。そうした資質と、しつこい写生とがねじあわされるようにして成立した、草田男ならではの一種の幻視の句といえる。


ひたに闘いまた薔薇の季(とき)相逢うも  古沢太穂『古沢太穂句集』

この句は、句集の中では「三十代」という昭和二十年(一九四五年)年~二十八年(一九五三年)の部に収められている。

古沢太穂が石川県内灘試射場反対闘争に参加し始めるのがちょうど一九五三年からだが、それを詠んだ有名句《白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ》が次章の冒頭にあるので、これは内灘闘争にかかわりはじめる以前の作かもしれない。その前からメーデーデモやストの句が太穂には少なくなかった。つまり作者名を外すと「闘い」が何を指すかわからなくなるのだが、年譜などのパラテクストからして、これは労働運動のこととイメージできる。

理想を共にし、活動を続けている同志と、街頭で「相逢う」。「薔薇の季」とあるのだから、ビルなどの中で会ったわけではない。示し合わせての再会ではなく、思いがけない偶然の出会いという雰囲気も強い。「闘い」という言葉が持つドラマ性が一句に響いているからだ。

同志愛と再会の喜びが託されているのが、肉厚で鮮やかな薔薇であるのが味わいどころである。若さと覇気に満ちた身体の美しさと友愛が、象徴的にだけではなく、香気や肉感をともなって立ち上がってくる。他の動植物季語であれば、ここまでBL的な美意識と接近したかどうかあやしい。

闘争の現場から詠まれた句ならではのリアルさを残したまま、これだけ埃っぽくもなければ貧乏くさくもない、闊達な青年の美しさを示した作は珍しいのではないか。


睡蓮そよげり袈裟まとわねばまだ少年  古沢太穂『火雲』

たまたま平服でいる雛僧か、これから寺に入る少年か。いずれにしても「袈裟」は句のなかで、戒律や修行の重さ、出離への志向を共示しながら、少年にまといつくような離れるような曖昧な位置に浮遊しており、その浮遊の向こうに半ば隠されつつ、少年の身が輝きだす。

「睡蓮そよげり」は、寺の池の実景という写生的な文脈をたもちながら、少年の身心の清浄と安定をあらわしていると、さしあたりはいえる。寺に入るからといって大きく動揺しているわけではない。端然たるなかの、やわらかく繊細な微動である。

全句集を読んでみても、太穂本人には青少年の美をことさら愛でる嗜好があったと思えないのだが、あくまでヒューマニスティックな関心から、寄り添うように少年に向けられたまなざしが、狙わずして「睡蓮」という花の美しさを呼び込んでしまったこの句は、それ自体が、おのれの容姿にまるで無自覚な美少年のような佇まいを見せている。

しかしそのまなざし自体は、少年の無垢とは別のもので、それを外から見守るしかない。この距離がもたらす、もどかしいような或る感情、それを担っているのもまた「そよげり」なのだ。いわば見ている主体と見られる対象の境界もまたひそかに揺れ動き、浸透しあっては離れるという反復のなかに封じこめられ、ともに在るのである。

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白日傘二青年入り天の如し

少年を入れ得る鞄乱歩の忌

シャワー後のTシャツも借り友と眠る

メンズパンツ冷えをり二人分脱がれ

蘭の秋少年微光帯びやすき

少年ら一度に着替へ体育祭

滑る俺を友が抱きとめ紅葉川

青年の背筋(せすぢ)なぞらば水澄むべし

鏡冷たく俺の後ろに男立つ

戦闘美少年同士契りて氷る未来


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