2017-01-01

【新春対談】〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学 小津夜景✕飯島章友

【新春対談】
〈身体vs文体〉のバックドロップ
格闘技と短詩型文学

小津夜景✕飯島章友


はじまりはカンフー

飯島●小津夜景さんは2016年10月に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)を上梓されたばかりです。句集や歌集のタイトルに「カンフー」が使われている例をわたしは知りません。しかも、ただのカンフーではなく『フラワーズ・カンフー』ですからね。フラワーとカンフーの取り合わせには意表をつかれました。

Ozu Yakei ©saki irimajiri
小津●この句集をワン・フレーズの技名で呼ぶとしたらこんな感じかな、と思って。「ふわふわ山脈」とか「一人ゆらゆら大移動」とかでもよかったんですが、やっぱりオリジナリティが欲しくなって、自分で一から考えました……というのは全部ウソで、なんの由来もなく5秒で思いついたタイトルです。

飯島●「ふわふわ山脈」「一人ゆらゆら大移動」もいいですね!

Iijima Akitomo
あ、わからない方のためにいちおう解説します。これはたぶん、古舘伊知郎が金曜夜八時のプロレスで発したフレーズがオリジンかと思います。むかし、アンドレ・ザ・ジャイアントっていう2m23cm、体重230kgのどでかいレスラーがいたんですが、古舘さんは「一人というには大きすぎる、二人というには世界人口の辻褄が合わない。人間山脈、一人民族大移動、アンドレ・ザ・ジャイアントがゆっくりと入場してまいります」と実況したんですね。

小津●古館伊知郎ふうに実況すると「世阿弥の化身か、はたまた芭蕉か、侘びケ原の主戦場にゆらりと戦ぐフラワー・シンドローム、まさしくフラワーズ・カンフーです!」というブルース・トークになるのかしら。そこまで行っちゃうと、完全に興行ですね。

飯島●句集タイトルと同じ「フラワーズ・カンフー」という連作には、

教師三十六房僧と化し朧

という句があります。世代によってわかるひととわからないひとがいると思いますが、わたしなどはカンフー映画を子供の頃に観て育ちましたので、『少林寺三十六房』という映画を想起しました。日本公開は昭和58年です。

小津さんが武術に初めて興味をもったのは、やはりカンフーとか中国拳法とかそのあたりなんですか?

小津●はい、香港系のカンフー映画が最初です。サモ・ハン・キンポー率いる洪家班のコレオグラフィーが好きでした。

飯島●サモ・ハン・キンポーかあ。ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ、リー・リンチェー(ジェット・リー)、よく観たなあ。

句集には、

仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音

という句もありますね。かつて『週刊少年サンデー』に連載されていた『拳児』を想います。

わたしは『拳児』自体はおぼろげな記憶しかないのですが、原作者で中国拳法研究家の松田隆智さんが書いた『謎の拳法を求めて』は思い出の一冊です。わたしとおなじ格闘技好きの友人が「読んでみろ」と強引に貸してくれて、しかも後日感想を聞かせろというもんだから、しぶしぶページを開いたんだけど、どうしてどうしてこれが面白いのなんの! 無我夢中になって読み進めました。

小津●松田隆智もわたしの原点ですね。彼の発行していた『武術』とか。たまに気が向くと「ひらけ!ポンキッキ」で放映していた彼の演武(楽曲『カンフー・レディー』のこと)をプロジェクターで壁に映しながら練習もします。


「動けるデブ」の躍動

小津●最盛期のサモハンの映画はラム・チェンインが中心となってカンフー・シーンの動作設計をしていたのですが、それが他の映画と比較してずば抜けて良いんですよ。『鬼打鬼』(1980年)のラスト・ファイトとか。

飯島●サモハンは「動けるデブ」として日本でもすごく人気がありましたよね。

小津●「動けるデブ」ってテクニカルタームなんですね。耳にはするけれど、まさか概念として存在するとは思っていませんでした。

でも考えてみると、お相撲さんってみんな「動けるデブ」……。

飯島●たとえば運動神経のいい巨漢のひとって走っても速いんですが、スピードが出るまでにけっこう時間がかかるんだとか。だからお相撲さんの瞬発力って驚異的なんですよ。われわれは見慣れてしまってるからあれですが。

小津●あのバネを思うと、うーん、やっぱりお相撲さんっていわゆる肥満じゃないのでしょうね。糖尿病とも無縁ですし。無差別級だから、吊り上げられないように脂肪をつけておこうって作戦かしら。アザラシみたいに。抱き上げにくそうですもんね。アザラシ。

飯島●1980年代、クラッシャー・ブラックウェルっていう180キロの巨漢レスラーがいたんですが、その人はその体重でドロップキックをしちゃうの。それだけで木戸銭が取れる。格闘技なんてわからないわたしの祖母もブラックウェルがドロップキックをすると大喜びしていました。

小津●あはは。愉しいおばあさま。

飯島●ラム・チェンインの動作設計と、サモハンの「動けるデブ」な身体能力。動けるデブばっか連呼するのも失礼な気がするけど、「動けるデブ」って誰が見てもわかる凄さ、娯楽性があると思うんです。

小津●なるほど。相撲の魅力の根っこも、案外そこにあるのかも。

飯島●相撲に「かわいがり」っていう一種の稽古がありますよね。以前テレビで観たことがあるのですが、30分以上、一人の若い力士相手に格上の力士が向かってこさせるんですね。当然途中で若い力士はへばっちゃうんだけど、それでも立ちあがって向かってこさせる。あれを見ると、やはり普通の肥満の人にはない持久力もあるんだなあと思いました。

小津●単なるデブ、じゃない。

飯島●子供のころ、実家にぶら下がり健康器(←昭和だ)があって、よくそれで懸垂をしていたんです。あるとき親戚のおじちゃんが「限界になってからが練習だ」と助言をくれました。極真空手に100人組手という荒行があります。1人の空手家が連続100人相手に組手をするんですが、当然ある人数を超えると限界が来るんですね。でもその限界を過ぎたところからが大切だと。

小津●たしかに。

飯島●いきなりレベルが格段に下がってしまい心苦しいんですが、『かばん』誌への歌を、まだ推敲できそうだけど今の自分じゃこれ以上無理だってところで提出しちゃうことがあるんです。でも翌日その歌を見てみると、難なく適切な言葉が嵌めこめて語順もすんなり改良できる。しもた~、あと一日早く作歌していれば!となる。上の限界を超える話題の文脈とつながっているかわかりませんが、歌作でそんなことが多いのを思い出しました。

小津●それは翌日だから発見できるのだと思います。いったん集中をリセットしているせいで。対象に執着しすぎると身体に〈居着き〉が起こって、かえって切り込む箇所が見えなくなる。それよりか適度にリラックスして、おしゃべりなんかしながら組み合った方が対象を捉えやすい。つまり知覚の判断を鈍らせないためには、気を上手に散らす工夫が大切なんですね。わたしは俳句の多作多捨も、気を分散させた状態での一点力を養う訓練だと考えています。


型の反復=ブルース・リー

小津●カンフーとのなれそめに話を戻すと、ラム・チェンインの存在が大きかった。彼の詠春拳の演武を見て、チャンスがあれば自分もやりたいと思ったり。詠春拳はブルース・リーの学んだ拳法でもありますし。

飯島●ブルース・リーといえば『燃えよドラゴン』(1973年)です。この作品、冒頭でサモハンが対戦相手の役をしているんですよね。二人とも今でいうオープンフィンガーグローブを付けて。

小津●うんうん。サモハン以外にも、のちの香港映画界を支える役者がひしめいている。リーのバク転の代役をユン・ワーが務めていたり、ラスト・ファイトの敵の代役がラム・チェンインだったり。みんなまだ20歳そこそこなのに。

そういえば、この映画のメイキング・フィルムにブルース・リーが棒術アクションの動作設計をしているシーンがありまして、それを見ると彼、棒術のはじめに学ぶ2、3の基本動作だけで殺陣を組み立てているんです。拍子抜けするほど特別なことはしていない。でも体捌きが綺麗だから説得力がある。踊っているようにすら感じられてすごい。

飯島●「基本動作なのに綺麗で踊っているようにすら感じられる」……なるほどねえ。それはおそらくブルース・リーが来る日も来る日も「型」の反復練習を行ってきて、「実」がしっかりしているからではないでしょうか。型というと悪いイメージと良いイメージがあって、悪い方だと「型にはまっている」「よくあるパターンで既視感がある」なんていわれることがあります。逆に良い方だと「彼は型を持っている」「形がぶれず軸が安定している」なんてね。

小津●ええ、言われますね。

飯島●型の悪い面というのは、いつしか伝習になって硬直化・形骸化してしまい、日々の有機的な移り変わりに対応できなくなることなんだと思います。でも逆に良い面というのもすごくある。ものごとをどうやったら効率よく合理的に行うかということの知恵、何といいますか、先人の試行錯誤という篩にかけられた合理的技術の凝縮ですね、そういう面があるんではないでしょうか。

で、それを何千回といわず何万回といわず反復して身につける。そうすると無駄なものは削ぎ落とされる。なので、かたちに美しさがあらわれる。茶道でも華道でも武道でも、あるいは短詩型文学でも何でもいいんですが、型には美しさが感じられます。


プロレスの型と短詩の型

飯島●基本動作がしっかりした人は、「実」という基本を「華」として美しく見せられる。自由自在です。これはプロレスリングでもまったく同じだと思っています。

小津●「実」という基本を「華」として美しく見せるプロレス……。なんだかロラン・バルトの『神話作用』を思い出します。

飯島●ロラン・バルトですか。バルトといえばわたしの家のパソコン、barutoと打ち込んで変換すると「把瑠都」がいちばん最初に出てくる。元大関の把瑠都ですよおぉぉ!!!

小津●それはまた業の深い……。

飯島●わたしはフランスの思想家に疎いのですが、ロラン・バルトはむかし読んだことがあります。

小津●『神話作用』は現代フランスの日常にひそむ"神話的事象"についてのサブカル・エッセイ集ですが、その記念すべき第一節が「レッスルする世界」というタイトルの、今や古典となったプロレス論(1954年発表)です。そこでバルトはプロレスの良さを、マスクやら高下駄やらを含めて〈古典演劇と同種の誇張された見世物であること〉とし〈感性、儀礼による芸術形式〉と定義しています。

飯島●バルトの前提は正直非常にリスクを伴う論だと思うんです。

小津●彼って「はたしてプロレスは演技か競技か?」といった、この世に実在する熾烈なイデオロギー闘争をあっさり無視していますもんね。

飯島●ただプロレス、ひいていえば格闘技が古来からもつ儀礼性一般についてとても重要な指摘をしていたと思います。

小津●「レッスルする世界」にはこんなことが書いてあります。
観客が求めるのは、情熱のイメージであって、情熱それ自体ではない。レスリングにおいては、劇場においてと同様、真実という問題はないのだ。どちらの場合でも、期待されているのは、通常は秘密である精神的状況のわかり易い形象化である。この、外的表象のために内面をからにすること、形式によって内面を汲み尽すことは、正に勝ち誇る古典芸術の原理である。
〈身ぶり〉はすべての余分な意味を切り払い、観衆に対して儀礼的に、自然と同じようにきっちりした、純粋で充実した意味を提供する。
こうした内面に還元されることのない〈身ぶり〉、すなわち「実たる型が、すなわち華だ」という発想は短詩の型でも見られます。わたしは万葉集の巻頭を飾る雄略天皇の求婚歌、
籠(こ)もよ み籠持ち
掘串(ふくし)もよ み掘串持ち
この丘に 菜摘(なつ)ます子
家告(の)らせ 名告らさね
そらみつ 大和の國は
おしなべて われこそ居(を)れ
しきなべて われこそ座(ま)せ
われこそは 告らめ 家をも名をも
が大好きなのですが、これってすごくプロレスに似た〈他者への儀礼性〉や〈誇張された見世物の力学〉を感じさせると思いません? こう言うとなんですけど、古館さんの前口上みたい。

またさきほど飯島さんが言及なさった〈型〉の長所および短所を『神話作用』に絡めるなら、バルトは「プロレスのルールはルールそれ自体を乗り越えるために存在する」と言いますよね。
正義は故に、有り得べき違反の総体である。法を乗り越える情熱の光景は何よりも価値があるという法則があるのだ。
ルールはやぶられるためにある、という転倒。カーニバルの論理。型の中に生きることの醍醐味はたぶんこれに尽きるでしょう。型というのは決して微温的な閉鎖空間ではない。むしろそれがいつ転倒するかもしれないリングに遊ぶ機知、すなわち「レッスルする世界」を生きる歓びをもたらす装置だと思います。

プロレスに詳しい飯島さんにとって〈プロレスリングの型〉と〈短詩の型〉との類似性はどういった点になりますか?

飯島●はじめに申し上げておくと、プロレスリングというのは時代、団体、国、選手個人によって、てんでばらばらなジャンルなんです。たとえばです、かりに一本の横線があったとしましょう。その横線の最も右端には桜庭和志、田村潔司、ダン・スバーン、ジョシュ・バーネットといったレスラーがいます。総合格闘〈競技〉で大活躍し、なおかつサブミッションホールド(関節技・絞め技・Hook)もマスター級の選手たちですね。むかしのレスラーでいえばダニー・ホッジは間違いなくここに入るでしょう。

小津●ダニー・ホッジかあ……。そういえば、まだ西東三鬼のことを何も知らなかったころ、「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す」の「ワシコフ」はプロレスラーなんだと信じきっていました。YOUTUBEで「殺人狂コワルスキー&地獄の料理人シュミット」の試合を観たことがあったせいで。ごめんなさい。だから何って話でしたね。つづけてください。

飯島●あははっ。コワルスキーvsシュミットを観ようなんて人は、小津さんと同世代にはたぶんいませんよ、このわたしを除いてね。話を戻しますね。反対にロラン・バルトがいうような〈儀礼的〉にレスリングを行うレスラーは最も左端に位置します。平成でいえば大仁田厚。ソ連のアマチュアレスリングの強豪がプロレスラーに転向してきたり、競技性を前面に打ち出すUWFスタイルが一般社会でも注目されていたなか、彼は自覚的に見世物としてのプロレスを再浮上させたひとです。大仁田の師匠だった馬場さんも晩年はそうでしたよね。プロレスの儀礼的な側面をパロディ化して、みんなが楽しんじゃうところまでやり続けた。

小津●大仁田厚の登場がルネッサンスだったのは肌で感じました。とても明快なデスマッチ。

飯島●感情の表し方も凄かった。で、そうするとね、バルトは最も左端のレスラーに焦点をあててプロレスを定義しているんですよ。これはわりと簡単なんです。なぜといって、左端だったら「通常は秘密である精神的状況のわかりやすい形象化である」でしょう。右端だったら勝つか負けるか、強いか弱いかでしょ。でもね、今はどうか知らないけど昔ながらのプロレスファンってのは、格闘技が古くから担ってきた「儀礼性」と、法治・自由意志に基づいた近代的な「競技性」、この両側面の葛藤・逆説・矛盾・二律背反を引き受けていたんです。そして或るエステティックな手応え、境地を探し続けていたんだと思いますよ。

小津●たしかにプロレスファンというのは美学的ですよね。おのれの感性と悟性との交渉を試みる場として、リングでの出来事を吟味している。

飯島●うんうん。先ほど小津さんがいわれた〈型〉に話をつなげていくために、ここでちょっとプロレスリングの歴史について話をさせてください。19世紀後半から発展した近代プロレスリングは近代的な競技性と古くからの儀礼性、この二側面が混在したジャンルだとわたしは考えています。「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」スタイル、「グレコローマン」スタイル、「カラー・アンド・エルボー」スタイルという〈競技〉レスリングと、カーニバル・レスリングといういかがわしさ満載の〈見世物〉が合わさり、現在のプロレスリングの原型が出来たということです。

小津●すごくわかりやすい!

飯島●プロレスリングの見方は当然ひとそれぞれだけど、ぼくは「プロレスとはこういうものだ」っていう前提はもたないようにしたいんです。ぼくがプロレスリングに魅力を感じるのは勝負と儀礼、言いかえれば〈私闘領域〉と〈儀礼領域〉の往還を試合のなかに嗅ぎ取ったときなのです。ここでいう私闘領域ってのは「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」スタイルの遺伝子、そして儀礼領域ってのはカーニバル・レスリングの遺伝子が顔を出したとき……な~んてなこと言ったりなんかしちゃってね、ちょっとかっこ良すぎかな。

小津●いまのお話、わたしの視点から少し補足しますと、近代に国民国家が誕生するにあたり徹底された法律のひとつに〈決闘の禁止〉というのがありました。これは国家が暴力を独占するための政策で、この法律以前は命を賭けた殺し合いは悪ではなくむしろ一種の高潔さとして考えられていた。イギリスには騎士道なんてのもありましたよね。

で、決闘という文化はこうした法制化の過程で社会から完全に消滅したのかというと実はそうではなく、近代的私闘としてリングの上に再表象化されたという風にも言えますね。

飯島●力道山が初めてルー・テーズと試合をしたのは1953年、ホノルルです。テーズは当時の世界王者で、とうぜん観客論をわきまえているのですが、格闘家としても超一流。飛行機のない大正時代にわざわざ来日し、日本柔道に挑戦状を叩きつけたアド・サンテルというレスラーの弟子なんです。アド・サンテルは、まあ言ってみれば「逆前田光世」ですな。

で、テーズが言うには、試合開始の直後、力道山が狂ったように頭突きの連打をしてきたのだと。テーズも報復として左ストレートを力道山の顎にお見舞い。なものだからレフェリーが二人をなだめて頭をクールダウンさせたというのです。

要するに、このときの攻防はお客様にお見せできるものではないということ。戦後のプロレスは競技とは違いますが、二人は近代社会で許容される枠を越えてしまったのだと思います。

小津●飯島さんのお話を聞いていたら、なんだかプロレスって凄いもののような気がしてきました。

わたしが武術に関して残念に思うのは、戦後もまだまだ拉致&殺人の術として盛んに活用されていたにもかかわらず、まるで昔から平和的・思索的であったかのように美化されすぎていることなんです。武術をプロレスよりも高尚だと思っている人も珍しくないですし。

でも飯島さんのエレガントな要約によれば、プロレスは勝負と儀礼すなわち〈私闘領域〉と〈儀礼領域〉との交差する場で葛藤を重ねてきた一方、武術は「殺の技術」としての歴史への無関心と、「生の技術」すなわち修身的な側面への自己賞賛とのアンバランスがあまりに酷い……。伝統文化に付随しがちなエリート主義がそうさせるのでしょうけれど。


「空っぽのこころ」という究極

小津●ところで、競技化された格闘技に私闘の匂いを嗅ぐというのは典型的な倒錯です。ルールという縄でリングをぐるぐる囲った上で、その隙間にちらちら見え隠れするナマの暴力に欲情するということだから。場外乱闘にしても、場内のルールがあってこその享楽。これは通常のエロティシズムと全く同じ構造で、リアルすぎる暴力というのは直視できないか、こちらを無感覚に陥らせるかのどちらかになってしまう以上、パブリックな部分とプライベートの部分は絶妙にせめぎあっている必要がある。このせめぎあいのじらしにハマる人がたくさんいそうです。

飯島●先ほどの〈型〉ということにつなげるならば、厳格な〈型〉にのっとって行われる儀礼のなかにおいて私闘を出さずにいられない試み。それは短歌にもあるような気がします。

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫  塚本邦雄

句またがりによる〈型〉と〈私〉のせめぎ合い。新しい律の試み。プロレスでいうと観客席とリングの間にマットが敷いてあるところ、いわゆる〈場外〉ですね、あそこで戦うことも許されるようになった感じでしょうか。

特急券を落としたのです(お荷物は?)ブリキで焼いたカステイラです  東直子

この丸括弧は、プロレスでいえば〈乱入〉みたいなものかな。

小津●まさか句またがりが〈場外〉だったとは。東直子の〈乱入〉的手法も、一人称文学だと思われている短歌においてラディカルな意義がありそうですね。

飯島●と、思います。

小津●プロレスから武術へと話は逸れますが、わたし、武術の型というのは儀礼として極まってしまうと私闘の介入する余地がなくなる気がするんです。

たとえば暴力に私情を交えないのが建前という意味で儀礼的行動がもっとも徹底されている(ことになっている)のは軍隊ですが、これについて考えるとき、いつも『酔拳』でジャッキー・チェンの敵役を演じた黄正利のことを思い出すんですよ。黄は知る人ぞ知るテコンドーの達人で、ヴェトナム戦争のときは現地教官として米軍からの招聘を受けたほどの腕前なんです。

飯島●『酔拳』と『蛇拳』はテレビの再放送で何回も観ているのですが、髭をはやしたあの敵役のひとにはそんな経歴があったんですか。

小津●ええ。ところがある日の教練中、武術など実戦で役立つものかと馬鹿にした軍人が彼を背後からナイフで襲撃する事件が起こった。で、そのとき黄はどんな行動をとったのかというと、その殺気を背中で察し、ふりむきざまに相手を一蹴で瞬殺しました。

飯島●伊東一刀斎の夢想剣みたいだ! 戦国~江戸初期の剣豪だった一刀斎は、あるとき不意に襲ってきた敵の殺気を無意識のうちに察して斬ったといいます。続きを聞かせてください。

小津●周りにいた軍人たちが100%正当防衛だったことを証言したおかげで彼は無罪になったのですが、今はとりあえず〈無罪/有罪〉とか〈善/悪〉といった話は一切忘れてですね、確認したいのは武術とはこういうものだ、ということ。黄正利は生きるか死ぬかの極限状態において武術をしかるべく使用した。

このエピソードを知った時、武術において〈型という儀礼〉を極めた場合、そこに現れるのは一切の人間らしさを寄せつけない「空っぽのこころ」という〈究極の型〉になるのだな、と思いました。またこの大前提に立った上で、武術家たちは如何にこの血も涙もない場所から〈究極の型〉を救出するかを模索している……

飯島●学者さんたちが〈儀礼〉という言葉を使い、格闘技が担ってきた機能を説明することがあります。そこでは子猫のじゃれ合い、部族間の和解、敗者の従順の証し、神への奉納といろんな例が出され、調停システムとしての〈儀礼〉が説明されます。でも小津さんのいう〈儀礼〉や〈究極の型〉というのは格闘技のそれではなく、生き死にから救出される〈武術〉のそれなんですね。

小津●わあ……整理してくださってありがとうございます! いまちょうどね、言葉が考えを追い越してしまって自分の話が自分にも謎だったので、すごく助かりました。そうです、飯島さんのおっしゃるとおり格闘技の儀礼は調停システム、すなわち〈自己と他者のコミュニケーション論〉の次元で説明されることがもっぱらです。いっぽうわたしはそれを〈生と死のコミュニケーション論〉という次元で語ろうとしていた。で、それによって生と死の二元論を超えてしまった…

飯島●「空っぽのこころ」。〈究極の型〉……。

小津●そう。もはや人間の尺度では測れない世界に行ってしまう。でね、わたし、この「空っぽ」が虚無なのか充溢なのかは決定できないと思うんです。心の中ではその両方の可能性が重なりあっていて、それこそシュレーディンガーの猫のように開けてみるまでわからない。愛と殺、生と死、エロスとタナトスといった可能性がつねに混交している。

飯島●すこし話が煩雑になってきましたので、大雑把にこれまでの文脈をたどると、実践=実における〈型〉の話から、その〈型〉を華としても見せられるブル―ス・リーやプロレスの〈儀礼〉性へと話が移りました。

映画や格闘技での〈儀礼〉は基本的に死にはつながらず、むしろ〈調停システム〉として生を謳歌するところへもつながります。

ところが先ほど小津さんは血も涙もない過酷な状況を前提にした分野、つまり武術を出してこられた。そのとき問題になってくるのが、生と死の二元論を超えた「空っぽのこころ」、いわば心的な〈究極の型〉とは何ぞやということですね。

小津さんはその次元が虚無になるか充溢になるかの対立項ではなく、愛と殺、生と死、そういうものがカオスの状態になっている、と。


「我」と「敵」をめぐる弁証法

飯島●「無敵」という言葉がありますね。あれは武道的にいうと「我が無いから敵も無い」という究極の強さのこと、とたまに聞きます。『燃えよドラゴン』の中で主役のリーが喧嘩を売られるシーンがありますよね、船上で。

相手から流派を訊かれたとき「戦わずして勝つ芸術さ」と返答するんです。仔細は省きますが、ここでリーは本当に敵と戦わずに勝ってしまいます。でも先ほど小津さんは、「空っぽのこころ」が虚無なのか充溢なのかは決定できないとおっしゃいました。してみると「我が無いから敵も無い」という理想はなかなか厄介な境地かもしれないぜ、ということになりますか?

小津●はい。冷静に考えると、「我と敵」をめぐる弁証法の彼岸に平安という悟りがあるとするのはかなり怪しい。だって仮に人間が〈死の欲動〉をもつという前提に立てば、二元論のフレームを脱出した瞬間、平安ではなく過剰性の方向へ突っ走ったっておかしくないもの。

この〈死の欲動〉というのは割に誤解されている概念ですが、ジジェクが「決して破壊されないものになる享楽」と説明するように〈死に向かう衝動〉ではなく〈不死への駆り立て〉なんですね。終わりある存在から終わりなき存在への飛翔。バタイユの考えるエロティシズムに似ているかも。我彼の箍を外す小さな死、とか。

飯島●理性による弁証法の果てに全体主義体制が現出したと私は思っています。人間理性が不完全だからです。その意味で人間の未来は不確実であり、理想的状態を導き出せたこともないし、至ったこともない。でもそれでいいと思う。「行」を通じて血や恥が「知」になるよう努めていく終わりなき存在……それが人間という気もします。

さて専門的な用語も出てきましたが、要するにこういうことでしょうか。〈死の欲動〉というのは……人間も最初は生命を持たない無機物だったわけだけど、あるときいきなり生命が宿ってしまったことで緊張が生じる。その緊張を解消しようと思って生命の無い最初の状態に戻ろうと欲する。確かこれが〈死の欲動〉だったでしょうか。

で、この〈死の欲動〉は言ってみれば破壊本能です。本能だから容易に消せるようなものじゃないぞ、と。したがって下手に我と敵、つまり自他の区別が解消されてしまったら見境のない攻撃性が生じてしまう懸念もある……という感じでしょうか? だとするとやはり「空っぽのこころ」とは……。

小津●結局「空っぽのこころ」という〈究極の型〉を血も涙もない場所から救出するためには、その型の縁ぎりぎりに立つしかないのかもしれません。限界まで〈究極の型〉に近づきつつも、決して私を手放さない、というような。


〈究極の型〉から〈型の溶解〉へ

小津●現実的な話、「戦わずして勝つ芸術」ができる無敵の達人って、実は無我じゃないですよね。みんなが思うような空っぽじゃない。〈究極の型〉におのれを預けてしまえば己が鬼になると知っているから、いつでもその型の縁すれすれで、ゆらゆらしている。

飯島●なるほど! 形而上の平安を安易に持ち出すのではなく、あくまでも実存的な姿勢を離れないのですね。そういえば鎌倉時代に日本曹洞宗をひらいた道元などは、無っていうのは目指すものではなく自分自身が無だというのを悟ることだ、と『正法眼蔵』現成公案の巻に書いていたと思います。

小津●わたしね、詩歌の世界でそれをラディカルにやると、型がトリック・アート的に溶解することになるのでは、と思うんです。例えば、

いましがた姉にあねもねいま胸にわすれもしねえむねえもしゅねえ  小池純代
(ルビ : あねもね=風の娘 むねえもしゅねえ=記憶の女神)

この作品は、無我無心に似た言葉のふるまいが、型の縁をかすませたように感じられます。あるいは、

静かなうしろ紙の木紙の木の林   阿部完市

この句は、しずかな後ろで紙と木といった質料と形相がくるくる回転するうちに、型が錯視的に消されてしまっている。

飯島●上五が7音で、そのあと句またがりをして「紙の木」が反復される。おっしゃるようにくるくる回るような不思議な感覚になってきます。阿部完市の俳句と重なるところがあるかはわかりませんが、川柳にもこういう句があるのを思い出しました。

らららなのはな春はすくらんぶるえっぐ  内田真理子

内田さんには他に、

イツカワタクシヲタベツクスコトバ

という川柳もあります。「言葉」ならぬ「コトバ」に食べつくされてしまうという想い。「言葉」というものは歴史を背負っています。

言葉を用いるときはその歴史の文脈のなかで発展してきた〈型〉、いってみれば予めの慣用があります。後期のヴィトゲンシュタインも「語の意味とは言語内におけるその使用」なんだといっていました。

でも反対に「コトバ」といった場合、それは型をもたないのでしょう。型のないところでは不安も出てくる。コトバに遊ぶ者の恍惚と不安、そんな感じを受ける句です。

小津●カタカナ表記が、人間に捉えがたい異界を演出しているのですね。その上で、私が言葉を欲望していたはずが、いつのまにか言葉が私を欲望していたという「コトバに遊ぶ者の恍惚と不安」を語っている、と。

あと「言葉」が「コトバ」になっただけでなく「私」も「ワタクシ」になってしまっている。型もなければ自己もない。さらに食べ尽くすということでお互いが溶解している。この句には、生と死、愛と殺、エロスとタナトスなどが対立項ではなく混交するものだということが描かれている気がします。


私闘と〈私〉性

小津●あらゆる格闘技は儀礼と私闘といった二つの領域にまたがるがゆえに二律背反を内包するわけですが、このことの確認は「俳句の型のなかでどのように書くか」を考える上でもたいへん参考になりますね。大切なのは、このアンチノミーを第三の項によって解決しようとせず、ふたつの原理のあいだで揺れていること。ふたつの原理の相互リアクションをじっと味わいつつ、矛盾と生きる姿勢。そういったメンタルコンディションを保つことだと思いました。

それにしても、実はわたし、今まで格闘技全般と短詩の共通項どころか、それぞれの性質についてまったく考えたことがなかったんです。だから今日の対談もだいじょうぶかしらと心配していたのですが、さいわい飯島さんに導かれました。すごく霧が晴れたというか、なんだかカウンセリングを受けた気分です。

飯島●短詩型文学という儀礼のなかにどのようなかたちで私闘、つまり〈私〉性が反映されてくるのかという問題は、プロレスリングを参照するといろいろ示唆されるもんだなと今回気づかされました。あと小津さんがお話になった武術の〈生と死のコミュニケーション論〉ね。あれも境涯詠とか社会詠に向き合うときの手助けになりそうです。要するに、そういう深刻なテーマに対峙しても出来るだけメンタルコンディションを保つということ。ちょうど格闘技の観客が、一見、戦いに熱狂しながらもオプティミストであるようにね。

あと小津さんとお話をさせていただきながら、短詩の型っていうのは五七五や五七五七七のことではないかもしれない、と思いはじめました。定型というのはあくまでも柔道とかプロレスの試合場みたいなものではないのかと。

ついでにいうと季語っていうのは柔道とかサンボの道着に当たるもので、それを着ていないのが川柳といえるかもしれない。だから川柳人はプロレスラーみたいなもので、正統派もいるけどブルファイターや凶悪ファイター、はては覆面レスラーまでいて、レフェリーのブラインドをついた攻撃をしようとする。次にまた機会があるのならぜひ小津さんの血性、いえ知性をお借りしながらこういうところもお話できたらと思います。今回はとても面白かったです。ありがとうございました。

企画・進行:西原天気

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