2017-05-21

季語に似たもの  五郎丸と真田丸 阪西敦子

季語に似たもの 
五郎丸と真田丸

阪西敦子


冬が来ている。

昨年冬が締切であったこの原稿を、冬が来てもまだ書いている。

去年の冬…。そうそう、五郎丸歩。昨年今頃、唐突にその名は日本を席巻した。

2015年9月から10月にかけて開催された、ラグビーワールドカップ。日本は予選リーグ4試合中3試合を勝利したが、同リーグで共に3勝した2チームに勝ち点において劣り、全リーグ中唯一3勝したチームで予選敗退した。

特に南アフリカを倒した初戦は、世界のラグビーファンにも強い印象を与え、体格で劣りながら運動の量と質で敵をしのぐ姿はジャイアントキリングとして称えられた。

中でも、独特のポーズから繰り出されるキックで点数を重ねた五郎丸歩は、そのベビーフェイスや個性的な名前とともに人気に火が付き、帰国後もメディアで引っ張りだこになり、一種のブームを生み出した。

もともと私がラグビーファンであることを知っている友人たちは「五郎丸かっこいいよね、敦子がラグビー好きなのがわかる」という勝手な理解を示してくれ、「いえ、私が好きなのは大野均であって…」という小さな声は、「え、大野智?」としばしば聴いてはもらえない(大野智も好きだけどね)。

ちなみに大野均が誰かわからないという方は、特集「ピッ句の大冒険」を飛ばしてこのページをお読みいただいた方だろう。お礼を申し上げるとともに、「ピッ句の大冒険」での私なりの大野均像を見てもらいたい。

さて、五郎丸人気とともにその奇特な名、「五郎丸」についてもワイドショーが調査することがあった。

すごいことだ。ラグビーファンにとっては、五郎丸は早稲田の学生であった時から有名選手であって、その名前の不思議さ―スタジアムなどでアルファベット風に呼ばれた場合、その効果はいや増す―は当初印象的であったものの、それはすでに刷り込まれたもの。そんなに珍しいものだったのだと改めて驚かれる。

確かに珍しい名前であって、そう、季題っぽい。

試しに歳時記で「五」のつく季題をあたってみる。「五加木」のように必ずしも強く「5」という意味を持たないものもあるが、「五月雨」のように「五月」に何かが付くものも多い。

万物の生命力が強まり、また雨の季節でもあるこの季節は、節句を行なって五月玉(=薬玉)のように邪気を払うものや、五月鯉(=鯉幟)など力を増すものを飾った。江戸で相撲が開かれるのもこの季節。強さと護りを表す「五」の文字は五郎丸の背番号「15」にも含まれ、守護神であるフルバックのポジションにも似つかわしい。

ちなみにラグビーでたびたび耳にする「ノッコン」は「ノックオン(knock on)」の略。プレーヤーがボールを自分の前に落とす反則のことである。「残ん」でもなく「野紺」でもない。「ジヤケツ」「キヤムプ」などと同様、「ノコン」としてみたくなってしまう皆さんへ、念のため。

ラグビーといえばボーダーのユニフォーム。

これはもともと強豪チームが一色のジャージを設定して、色が足りなくなったために2色の組み合わせが考案されたという説がある。ボーダーとは「横縞」のこと。横縞には幅を広く見せる効果があって、女性にとってはデートに向かない柄として認識されているけれど、逞しく見せるにはよいのだろう。

「裏白」「目高」「眼白」「頬白」など形状をその名に持つ動植物は多い。そのぶっきらぼうなもの言いが、ラガーマンにも季題にもよく似合う。

しかし、ボーダー効果ももっともながら、やはり重要なのは実際の肉体である。「腹筋割る」とは、最近はダイエットの上のキーワードのひとつ。

もちろん割腹や開腹手術といったものではない。「割る」といいながら、腹筋についた贅肉を落として、各部位がはっきりして割れたように見えること。

現象である「雪解」を言う代わりに、溶けて現れた大地の姿である「雪間」「雪のひま」へ言及する俳句らしい行いだ。「腹筋割る」、季題っぽい。左右縦に三つずつにわかれたシックスパックは憧れの姿らしい。



同じ頃、にわかに話題となり始めた「丸」と言えば今年の大河ドラマ「真田丸」。

真田丸とは真田幸村が築いた大阪城の出城のこと、本丸、三の丸などの丸なのだが、これもまた季題っぽい。

「田」が日本の季節の移ろいの中心であることはもちろんのこと、代田、植田、青田、刈田、穭田の中に真田とおいてみれば、そのすわりの良さは一目。真田に晩年の名、「幸村」がつけば四字熟語の如く、「丸」と付けば、真田を擬人化したもの、佐保姫や龍田姫、炎帝、冬帝のような何かを思わせる。

真田氏といえば籠城。「籠」といえばもう…。俳句では、人々はさまざまな理由でよく籠る。精進で籠り、冬といって籠り、雪といって籠り、風邪といって籠り、煤をよけて籠り、大晦日といって籠る。

しかし、籠るというのは何なんだろう。能動的な屋内退避。この屋内退避というのも不思議な言葉で、屋内へ退避することというのは、内部へ入ることなので、それは退くことかといわれれば、なんだか少し違和感がある。

「籠る」ということにも、もともと内にいるべきものが外へ出ないという受動的な態度であるにもかかわらず、そこに能動性を認めるという倒錯が関係ありそうだ。

たとえば重ね着をして太って見えてしまう「着ぶくれ」、「立待月」「居待月」「臥待月」「寝待月」「更待月」などの「n待月」、「年守る」の壮大でありながらただ大晦日から元旦にかけて起きているというだけのつつましさ、「残る鴨」「残る雪」などの消えるはずのものが消えなかった事象、この何も起こしていない事象や時間をあらためて見出す習慣こそが、「籠城」を季題っぽくしている。「Stay tune」、チャンネルを変え…ない、つまりそういうことだ。

ところでこのドラマ、三谷幸喜の久々の脚本とキャスティングが期待された。

この場合はラグビーとは違って、私はストレートに主役の堺雅人のファンだ。ところで堺さんを主役にして、その役名をタイトルにヒットしたドラマに「半沢直樹」がある。

このドラマの中で半沢直樹がリベンジを決意するときに言う決め台詞「倍返しだ」のなかにある「倍返し」も実に季題っぽい。

まず、響きとしての「海蠃廻し」との類似がいい。

次には、何の倍なのか、語の中に曖昧な起点を含み、読者の理解に任せられている。たとえば「初日」「初雪」「初夏」はなにが「初」なのか、「上り簗」「下り簗」は何から上り下るのか、「うそ寒」「やや寒」は何に比べて「うそ」なのか「やや」なのか、「半夏生」「半仙戯」は何の半分なのかということ。季題っぽさもひとつではない、それもまた読者に委ねられるもの。

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