2017-05-21

死後の名声 藤田湘子――大衆化時代を代表する俳人の細い余韻  関悦史

特集 死後の名声
藤田湘子
――大衆化時代を代表する俳人の細い余韻

関悦史

いつどういう状態になれば「死後の名声」があると認められることになるのか。

〈大いなる春日の翼垂れてあり〉以外の句が現在あまり知られていない鈴木花蓑のようなケースでも死後の名声は皆無ではない。

基準のひとつとして考えられるのは、俳句アンソロジーを編集した際、そこに入るかどうかだが、たとえば平井照敏編『現代の俳句』の場合、収録俳人が多すぎて、藤田湘子をはじめ、今回この特集でとりあげられるグレーゾーンの俳人は大概入っていておかしくない。

そこでややハードルを上げ、朝日文庫の『現代俳句の世界』全十六巻を目安にしてみることにする。全巻の構成は以下のとおり。収録された俳人は全部で二七人である。

①高浜虚子集、②水原秋櫻子集、③川端茅舎・松本たかし集、④山口誓子集、⑤富安風生・阿波野青畝集、⑥中村草田男集、⑦石田波郷集、⑧加藤楸邨集、⑨西東三鬼集、⑩中村汀女・星野立子集、⑪橋本多佳子・三橋鷹女集、⑫高浜年尾・大野林火集、⑬永田耕衣・秋元不死男・平畑静塔集、⑭金子兜太・高柳重信集、⑮森澄雄・飯田龍太集、⑯富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集。

このシリーズが刊行されたのは一九八四年~八五年。全巻の解説を三橋敏雄が書いていた。高浜年尾、富安風生など現在どの程度のインパクトが残っているのか定かでない作者もいるが、刊行から三十年以上経った現在でも、この規模であれば、おおむね妥当な人選ということになるだろう。

この人選を見ると、俳句史的に何らかの大きな変動や新勢力の台頭があったとき、その中心的な存在であった人物が残りやすいらしいことに気がつく。

「4S」と呼ばれ「ホトトギス」一極集中を崩す先駆けとなった秋櫻子、誓子、女性作家「4T」の汀女、立子、多佳子、鷹女、「人間探求派」の草田男、楸邨、波郷、新興俳句の三鬼、赤黄男、窓秋、白泉他、その衣鉢をついで前衛俳句の兜太と対峙した重信、「龍太・澄雄の時代」を担った龍太、澄雄などなど。

そうした俳句史上の役割を果たしたことと、作品本体の魅力によって読み継がれ、後世に刺激をあたえつづけること、この二点が満たされれば名声を維持する確率が高いとはいえそうである。

ただしそれで充分とは限らないのは、大正主観派として一時期の「ホトトギス」を担った飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅、村上鬼城、渡辺水巴らが前掲のリストから落ちていることからもわかる。

単に叢書の規模の問題なのかもしれないのだが、蛇笏、石鼎らの、ほとんど神秘性の域に接近するような高雅で大ぶりな力強い精神世界が、昭和末期の俳句大衆化の時代にあまりフィットしていなかったためとも考えられる。

さて藤田湘子だが、湘子が担った時代とは、まさにその、商業誌に入門記事しか載らなくなっていった俳句大衆化、俳句ブーム、「結社の時代」、「平成無風」の時期である。そのなかで湘子は大結社主宰として多くの弟子を輩出し、一般投句の選に当たり、実用性に富んだ入門書を書き続けた。湘子の俳句史的役割とは、大衆化の時代の名コーチであると見ることができる。

湘子本人がどこかで、俳句ブームのおかげで俳句はこの十年くらいうんと損した、裾野は広がってもその中心に山の高みはあらわれなかったという趣旨の発言をしていたことからすれば、いささか皮肉な役回りであったのかもしれないが、入門書の書き方の上手さ、優秀な弟子の多さといった特質は、表現の高峰と関係しない一般大衆とじかに結びついてこそ発揮される資質であり、それが俳壇的な存在感にも繋がっていた。

湘子の作品もそうした資質にふさわしく、きわめて明快でわかりやすく、永遠に人を引きとめる種類の謎はない。技術のたしかさは、不断の社会生活を送る自己という統合体の枠を少しも揺らがせることなく、かえってそれを強化する方向に作用する。湘子の句に関してよくいわれる抒情性というものが、そもそもそうした枠の上に組織されるものだろう。

「俳句は意味ではない、リズムだ」という言葉が指し示しているものは、意味の彼方ではなく、むしろ句の意味をことさら気にするまでもない指示性の明確さという土台の上に音律的な調子のよさを追及するといった作り方なのだ。

  愛されずして沖遠く泳ぐなり
  枯山に鳥突きあたる夢の後
  口で紐解けば日暮や西行忌
  筍や雨粒ひとつふたつ百
  うすらひは深山へかへる花の如
  わが裸草木中魚幽くあり
  あめんぼと雨とあめんぼと雨と

これら代表句のうち、読解において迷いが生じるのは師・秋櫻子との不和という伝記的情報が付随する〈愛されずして沖遠く泳ぐなり〉のほかは、字義通りにとると「突きあたる」が強烈な〈枯山に鳥突きあたる夢の後〉くらいであろう。

〈湯豆腐や死後に褒められようと思ふ〉〈ゆくゆくはわが名も消えて春の暮〉など死後の名声を詠んだ句にも自己の強固さが目立つし、結社「鷹」を継いだ小川軽舟の『藤田湘子の百句』などを読むと、次々に色んな俳人をライバル視してはそれを梃子に自己革新をはかる湘子像が浮き彫りとなり、俗な部分が原動力となっている点が目立つ。

しかし句を読み返していて気がつくのだが、その自己主張の強さが、句の技術や音律によって、やわらげられるというよりは、干されて軽くなり、うま味を増した何かへと変容させられているような気配も感じるのだ。

この辺、有季定型を墨守した上で自己主張も残し、なおかつ技術的な洗練でもってある高みを追及するという傾向の若手俳人が一定の割合でいる限り、ひとつのいぶし銀的な輝かしさを持つ参照項として、今後も読まれ続ける可能性がある。

ハロルド・ブルームは特定の書物を偉大にするものとは「異質さ(ストレンジネス)」に帰着するといっているらしいが、そうした意味での異質さ=偉大さに繋がる資質ではない。だからこそ死後の名声を云々されることにもなるのだが、大俳人として遇されるのとは別の生き残り方をするのではないか。

俳句人口のボリュームゾーンは現在七十代、現代俳句協会や俳人協会の平均年齢も、商業誌の購読層の主力も七十代である。今後二三十年のうちにはその大部分が退場することになる。結社の多くが存続困難という事態を迎えるはずである。

貧困化と出版不況も止まらず、句集の自費出版も減っていくのだろう。人口動態や格差社会と密着して俳句をとりまく環境が変わっていくなか、後世から見た湘子は、先にも述べたような、俳句ブーム~平成無風期を代表する作家として記憶されることになるだろう。

表現の高みとはさして生産的な関係を結ばなかったこの時代が、ことによったら俳句繁栄の時代として懐かしまれることになるかもしれない。

『現代の俳句』も『現代俳句の世界』も品切れ・絶版になって久しいが俳句が読解・鑑賞・再創造される限り、わかりやすさと玄人芸の間を縫う湘子の句は、そのなかで俳句愛読者=作者に曖昧な刺激を及ぼし続ける可能性がある。

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