2017-07-23

時評のようなもの1  「中心」が見えない……上田信治

時評のようなもの 1
「中心」が見えない  

上田信治

『俳誌要覧2017』(東京四季出版)より転載


俳句の2016年は、相変わらず、前年までとよく似た一年ではあったけれど、小さな変化を、大きな持続的な変化の一部として捉え直すことをしつつ、その眺望をスケッチするように、俳句の現在を記述してみよう。

俳句の「中心」が見えにくい

明治期、俳句の誕生に、ジャーナリズムが果たした役割は大きい。新聞・雑誌の投句欄は、日本の津々浦々にいた俳諧愛好家を、地域を越えたネットワークに結びつけた。同時に「選」の権威を全国単位に拡大しそれを担保したのも、また活字メディアだった。

俳句がシリアスな文芸であることは、子規が俳句革新を通じて主張し定着した、いわば貴重なフィクションであり、俳句ジャーナリズムは、それを疑う必要もない前提として扱うことによって、そのフィクションを育んだ。

そこに俳句の「中心」が生まれた。それは、メディアを通して俳句を見つめる人々の視線の中にだけ、存在するものだ。 

俳句が、同時代の天才たちによる営みであり、しかも、その天才たちの活躍する「舞台」には「投句」によって誰でも参加できる。子規が準備し虚子が確立した「全員参加の仮想的ひのき舞台」こそ、俳句という文芸の基盤をなす装置であった。

しかし、現在の「総合誌」は、俳句に向けられるシリアスな視線を束ね、その求心性を維持するという役割をほぼ放棄している。それに伴って浮上し存在感を増した「楽しみのための俳句」「芸術であることをやんわりと拒絶する俳句」は、近世への先祖返りと見て間違いない。そうして明治以来の俳句のインフラは、いったん失われたのだと思う。

もちろん、俳句ジャーナリズムの変質には、前提として、俳句の側の変化がある。

およそ十年前、岸本尚毅は「極論すれば、戦後俳句史は有力俳人の加齢の過程だったのかもしれません」(『俳句』2007年8月号)と書いた。身も蓋もない言い方だけれど、この印象に同意する人は多いだろう。それから、さらに十年経ち、一人一人退場していった大俳人たちに匹敵するような存在が、その後の俳句にどれほど生まれただろうか。

それはしかし後続世代の責任ではなく、むしろジャンルの消長という、野生動物の生息数にも似たものの端的な現れなのだろう。

かくして、自分のような一般参加者にとっても、同時代の俳句は、仰ぎ見るものではなくなりつつあるように、思われる。

同時代の俳句をいっせいに価値づけるような、中心性や求心力が失われて久しい。いや、そういったものは、もう現れないのかもしれない。

近現代の俳句史は、メディアによって成立する全員参加の「舞台」の上で展開されてきた。しかし、その「中心」の価値は見えにくくなり、かつて仰ぎ見られた「舞台」の「高さ」は、下から序列づけられるメンバーの列の「長さ」に置き換えられた。いまや、俳句はその文化現象としての輪郭を、メンバーの所属と評価の欲求によって、なんとか保っているように見える。

自分が、俳句における二〇一六年的な現象として取り上げたいのは、かつてあった求心力の消失によって生じた空白を埋めるような、いくつかのモーメントについてだ。

トリックスターの活動と、二十代の俳人たち

そのような環境下、それまで俳句と無縁だった人を巻き込み、注目を集める俳人がいる。

夏井いつきは、テレビ番組「プレバト!!」の「赤ペン先生」として、すっかり俳句の「顔」になった。

もちろんそれ以前から、夏井は「いつき組」「一〇〇年俳句計画」において、組織的にも出版活動においても、さらには表現内容についても、旧来の結社とは違う「カジュアル」なオルタナティブを志向し展開してきたのだし、さらにそれ以前から、俳句の普及活動(「俳句ライブ」)につとめ、それを職業化してきたのだから、現在の活躍は、まさに所を得たものと言えるだろう。

同心円のひかりに咲いて白鳥は 夏井いつき

北大路翼は、句集『天使の涎』によって「第七回田中裕明賞」を受賞した。

彼は「街」(今井聖主宰)に所属しているけれど、活動の軸足はグループ「屍派」にある。その集団は、北大路が、新宿歌舞伎町を中心とした俳句ライブ、ゴールデン街の酒場を主宰しての連夜の句会活動などによって、北大路が周囲を巻き込んでいった結果生じたものであり、ネットを通じて同時性のある発信をすることもふくめ、どこをとってもオリジナリティにあふれている。

街路樹がどこも伐られて風邪流行る 北大路翼

夏井、北大路の二人は「運動としての俳句」に自覚的な積極的組織者であり、いわゆる俳壇とは別の、いわば自前の「舞台」で活動している。

佐藤文香もまた、結社や協会の序列から離れた場所で、俳句の「顔」の一人になりつつある。

小学館から刊行した『俳句を遊べ!』という入門書は、長嶋有、又吉直樹らをゲストに迎え、俳句の価値や考え方を、俳句の内部で言い馴らされた説明によらず、一から伝えているが、それは佐藤が初心者向けののワークショップを多く行うことで培った、オリジナルの方法である。また二〇一七年には、佐藤編による若手アンソロジーの刊行(左右社)が予告されている。

台風や飛行機を降り手の長さ 佐藤文香

公開句会「東京マッハ」は、作家・評論家の千野帽子、長嶋有らが運営する公開句会だ。注目の文化人や人気俳人をゲストに、句評における丁々発止のやり取りなど、才能にめぐまれた書き手による言語的離れ業を見せる場として、年数回、百人単位の観客を集める。

これらの従来の境界を超えて活動する書き手たちが「トリックスター」と呼ばれることを肯うかどうかは分からないけれど、彼らには、自らの吹く笛で人々を魅きつけるカリスマがある。

そして、とりわけ北大路と佐藤の場合、彼らが伝える俳句の価値は、彼ら自身の作品が、俳句の「外」にいる読者に普通に届くものであることに、基づいている。

そういった既存の俳句の外側にある関心や活動が、俳句のインサイダーが考える俳句に、接続していく未来があるのかどうか。それは分からない。

現象的には、桂信子が「月刊ヘップバーン」などについて「そういうのとこっちの俳句と一緒にされたら困る」(インタビュー「証言・昭和の俳句」1998)と語ったことを連想させもするのだけれど、今しているのは、それから更に二十年が経過して、桂信子もいなくなった結社と協会からなる俳句界は、このまま進んでいけるのだろうかという話だ。

そういえば、俳句甲子園を経由した若手俳人について、結社に入らないことで限界に突き当たるのではないかと危惧する声があった。

中原「自分たちで固まっているのはいいけれど、まずはいろいろな結社を見つけて、リゴリズム(厳格主義)ではないが俳句の基礎を体の中に入れてから、作風を壊せばいいと思うんだが。受け皿がないのもだから、「今さら結社に入りたくない」という人が多いんでしょう。その行く末はちょっと気にかかる」
小澤「自分たちで楽しめたらいい、うるさいことは聞きたくないという感じなんでしょうか。残念だなあ」
(……)
中原「若い人たちが結社に入らないのは、大結社にはいわゆるヒエラルキーみたいなのがあるでしょう(…)やっぱり旧態依然というか、そのヒエラルキーがいやなんじゃないかなあ」
小澤「恐れずに、結社に入ってきてほしいですねえ。毎回の投句毎に、責任を持って、育てるという意志を持って選にあたる指導者を戴いてほしいと思います。選者と向き合って作っていくことで育つということがあると思うんです」(『俳句』2017年1月号「特別座談会・今年、この俳人から目が離せない!」より、中原道夫、小澤實の発言)

今井聖は、主宰誌「街」の二十周年記念号において「師系の内側と外側」という特集を組んだ。今井は「従来の師系重視の俳壇ヒエラルキーが変化し」つながりが多様化したという声も「大勢は変わらない」という声もあるとしつつ、若手俳人に、どういう意識で「師系」に連なるのか、あるいは、その外側に活動場所を求めるのかを、問うている。

中原、小澤、今井という主宰誌を持つ三人に共通するのは「結社に入る」「師系の内側に立つ」すなわち師に就くこと、誰かの弟子になることが、連綿と受け継がれてきたシリアスな俳句の世界に参入することだ、という認識だ。

今井は、若手たちの選択が文学的志向ではなく世に出る効率という観点で行われているのではないかと疑い、中原、小澤は、若者はうるさいのが嫌なんだろうと、感情ベースの問題だと思っている。

しかし、そういう話ではないのではないか。

やはり2016年の年末に出た「角川俳句年鑑2017」では、「年代別収穫」に今年から「二十代・十代」のセグメントが生まれ、担当執筆者の鴇田智哉が「気付いたら、十代、二十代の俳句の人、すっかり多くなった。私が俳句を始めた二十年前とは、数が違う」と書いている。

挙げられている名前に大学生が多い。堀下翔、大塚凱、安里琉太、青本瑞季、青本柚紀、青木ともじ、宮﨑莉々香らは、出身高校はさまざまだが、俳句甲子園の常勝校・開成高校の指導者でもある佐藤郁良の「群青」に属している。平成25年にスタートした同誌が、俳句甲子園出身者が俳句を続けるための受け皿となったことの寄与は大きい。

この年代の層の厚さは、十年前、神野紗希、佐藤文香、山口優夢、谷雄介らが学生だった当時を思い出させるのだけれど、彼らを定期的に句会に集めていたのが「群青」を共同代表として創刊した櫂未知子だった。「群青」ははじめから「若手を結集」することを目的とした俳誌であり、非常にユニークだ。

島田牙城の「里」にも若手が多く入った。堀下翔、青本瑞季、青本柚紀、小鳥遊栄樹は「群青」と「里」の両誌に属しており、他に、中山奈々、佐藤文香もいる。

「群青」の佐藤・櫂は、中原道夫のいうリゴリズムに近い、現行の俳句のルールや方法論を厳格に運用する立場の指導者だけれど、たとえば彼ら大学生の作品には、必ずしもその指導の影響を見出しにくい。また「里」は島田自身が「お世話係代表」と名乗る同人誌であり、ひとつの価値観や方法を掲げる体質ではない。若手たちは、自分が勝手に成長できそうなスペースを確保することを、優先して動いている。

彼ら世代が、特定の俳人の指導を受けることなく、作家であろうとする意志は、動向として明確にあらわれている。

彼らと個別に話をすると、それぞれ意中の現存俳人をもっていて、同時代俳句の試行の価値は大いに認めているのだけれど、それと、従来の俳句の「指導」や「修練」を是とすることは、別なのだ。彼らは、新人賞への応募などには総じて熱心であり、同時代の俳句を担う意志は大いにあるのだけれど、特定の価値観や方法をディシプリンとして受け入れることには、意味を認めないらしい。

もちろん既存の結社に属し、その価値観の内側で書いていこうという若手もいるけれど、彼らはしばしば、平均年齢六〇歳〜七〇歳を超える結社の秘蔵っ子として、それぞれの場所で孤立している印象がある。どの結社も、もちろん平均年齢は六〇〜七〇歳を超えている。

若い俳句作家が、結社よりも同年齢集団に属することのほうが生産的だと考えている現状は、トリックスター的な俳人の活躍と軌を一にする現象だ。

それは、これまでの俳句の行き方に残された可能性の減少に、対応しての行動だと思う。

かつて、結社に入って誰かの弟子になることは、俳句の「中心」に連なることだった。その「中心」とは、いわゆる俳壇のヒエラルキーの「中心」であると同時に、同時代の俳句が目指す価値の「中心」でもあったのだけれど、現在、その序列に連なることは「本気の」俳句を書くための、選択肢の一つであって、それ以上ではない。

そういえば、櫂未知子も、最近は保守本流の代弁者というポジションに収まっているけれど、元来、トリックスターに近い立ち位置の人であった。彼女の十年来の活動も、俳壇にオルタナティブ、つまりもう一つの選択肢、もう一つの居場所を創り出すことを志向していたのかもしれない。

俳句史への再接続と、個々の探求

同時代の俳句に「中心」が見出しがたいということは、かつて俳句が集団として目指していた「高み」の価値が、不分明となっているということでもある。言い換えれば、ジャンル内部の美的規範が説得力を弱めているということだけれど、しかし、それと関わりなく、個々の俳人による孤独な探求がたゆまず行われていることも、確かだ。

平成25年に同人誌「白茅」を創刊した中田剛は、「翔臨」(竹中宏代表)に「飴山實ノート」、「円座」(武藤紀子主宰)に「宇佐美魚目ラビリンス」という、二つの注目すべき仕事を継続している。

飴山實、宇佐美魚目は、ともに中田が親炙した大俳人であり、主宰誌をもたなかったという共通点がある。二人に年代の近い、飯田龍太、森澄雄、藤田湘子、金子兜太、能村登四郎といった俳人がそれぞれの結社に多くの会員を所属させたことと対照的に、宇佐美・飴山には、それぞれに豊かな人的交流があったにもかかわらず)「孤絶」という印象すらある。
 
 中田の文章は、結論を急がない。どこかへ向かうというふうですらなく、あるときは一句を取り上げ、あるときは発言や文章の断片を取り上げて味読し、そこからゆっくりと俳句のことを考えていく。すでに五年にわたる両連載だけれど、おそらくは、ライフワークとして想定されているはずだ。

宇佐美・飴山の孤立(とあえて言えば)それは、中田の孤立でもある。いや、中田剛が孤立しているという意味では、竹中宏はもちろん、長谷川櫂ですら、すっかり孤立して見える。

気がついてみれば、俳人の名の連なりとしての俳句史、あるいは精神的系譜としての俳句史が、ひどく見えにくくなっているのが、俳句の今日であった。

しかし、たとえば、飴山・宇佐美の二人が希求した価値は、まだ価値として失われずそのままに存在する。そのことを明らかにしていく中田の仕事は、俳句史への再接続の試みであるように見える。

道に迷ったら、迷ったところまで後戻りして、またやり直すしかない。かつてあったシリアスな俳句から、自身の現在へと線を引き直すことは、いまや各人の責任となったのかもしれない。

山鳩は山鳩を連れ冬に入る 中田剛
なすびみな鞍のごとしや艶やかに 

平成七年生まれの堀下翔は、昨年末「いまこの時代に確かに俳句を書いている我々が俳句史の空白を是としてよいのだろうか。我々がリアルタイムで読んでいる俳句はいったい何者なのだろうか(…)僕の夢は、未だ手つかずに近い昭和後期以降の俳句史に実態を与えることだ」と書いた(「俳句あるふぁ」2016年12月・1月号)。

彼は「里」誌連載の時評において鍵和田秞子、岡本眸の再評価を試みるなど、昭和後期から平成の俳句を、積極的に意味づけようとしている。彼の試みが、俳句の同時代精神のありかを見出し(中田とは違う形になるだろうけれど)俳句の現在を俳句史に再接続することを期待したい。

春の雲花入れし炉のつめたさに 堀下翔
水くらくあをぞらうつす松ぼくり 同

澤好摩の率いる同人誌「円錐」が、2011年の50号以来五年にわたって連載した「戦後派俳人作品鑑賞」は、昨年70号でいったん区切りを迎えた。戦後俳句のいわゆる代表句一句一句に対して、俳句としての価値を問い直す読みをぶつけていく試みは、まさに俳句史を現在につなぎ直そうとする意志によるものだろう。

手の皺を抓みて高し鳥帰る 澤好摩
暗きよりセロリの出たり乳母車 山田耕司

昨年は多くの句集が出た。第四回星野立子賞を受賞した『櫻翳』(藺草慶子)は、観念的なアイディアを、暗い抒情に展開したドラマチックな句が、高く評価された

その翳のにほひなりけり藤の花 藺草慶子
月光や葎を抜けて遊び蔓 

暗い抒情、ドラマ性といえば『寒林』(髙柳克弘)にもその傾向は見られる。

人は鳥に生まれかはりて柿の空 髙柳克弘
雪投げの母子に我は誰でもなし 同

観念性とドラマチックな身ぶりは『羽羽』(正木ゆう子)『片翅』(高野ムツオ)の持つベクトルでもあり、平成俳句のひとつの鉱脈となりつつあるのかもしれない。

十万年後を思へばただ月光 正木ゆう子
全身をたましいとして蛇眠る 高野ムツオ

『フラワーズ・カンフー』(小津夜景)は、とつぜんと言っていいような現れ方をした作者の第一句集。一句に音韻的なアイディアとサブテキストを交叉させる方法は、加藤郁乎や摂津幸彦の方法を思わせる。

あたたかなたぶららさなり雨のふる 小津夜景
あさがほのかたちで空を支へあふ 

機会詩的な即興と連作と音韻の強調を前面に出した『夢想の大地におがたまの花が降る』(四ッ谷龍)とともに、俳句には方法的実験の余地が多く残されていると感じた。

君は墓石(はかいし)小田急線に乗り西へ 四ッ谷龍

鴇田智哉を中心とした同人誌「オルガン」のメンバーが、それぞれの領域を持ちながら、共通の方法意識のもとに作品を展開しているように見えることも興味深い。

むづかしい祈りやさしいかたつむり 鴇田智哉
たけのこに躓くとアイコンが光る 田島健一
あれははやしのうまおいだってやさしい怪物が言ってた 福田若之
二階建てバスの二階にゐるおはやう 宮本佳世乃

「オルガン」のメンバーでもある生駒大祐は、第三回摂津幸彦賞を受賞し、同賞の一人審査員であった関悦史から絶賛を受けた。そのポエジーの抽象性は、中田剛、あるいは村上鞆彦の志向するところにも近い。

地を掃きし箒濡るるは鳥曇 生駒大祐
手に団扇宵の渚のあるばかり 
半分の空は雨降るさるすべり 村上鞆彦
水落ちて水に音生む暮秋かな 

まとめ

二〇一六年の俳句界は、この二十余年変わらない求心性の低下の過程上にあり、ジャーナリズムは序列的秩序の追認においてのみ機能し、同時代俳句の可能性・方向性を示すことに成功していない。

いわゆる俳壇とは別個に活動する俳人が俳句の「顔」となり、若手俳人も同年齢の集団に属することに軸足を置くという現象は、俳句のメインストリームの継承がいったん途絶えたような状況の反映ではないだろうか。

とはいえ、ジャーナリズムの空白を埋めるようなかたちで「俳句史への再接続」という遠大な仕事が、個々の探求として試みられている。作品的にも、従来の平成俳句の主流をなした傾向、すなわち生活詠、了解性、日常性、レガシーへの順接等とはまた別の、多様性が生まれる兆しがある。

筆者の管見によって、取り上げられなかった成果や試行については、他の書き手が言及して下さっていることと思う。

1 コメント:

Y.M. さんのコメント...

結社に入りたくない理由の一つは、個々の結社の性質・ローカルルールが
事前に判りにくいという点が一つとしてあるかもしれません。
なぜか結社誌を定期購読し始めた時点で、そこの主宰の弟子扱いにされてしまうという
謎ルールを展開しているところすらあると聞きます。
(そして、事前にそのことは知らされないのでしょう)
そんな、どんなローカルルールが展開されているかわからない閉鎖的なところに
近寄りたくないというのは、ごく自然な流れのように思います。
結社そのものが悪いというより、「どんな場なのか事前に分からない」という、
情報公開のされなさ加減が悪いのでは。