自由律俳句を読む 157
「橋本夢道」を読む〔5〕
畠 働猫
前回に引き続き、橋本夢道の句を鑑賞していく。
▽句集『無礼なる妻』(昭和29年)より【大正13年~昭和29年】
【四十代】
九月四日わが裸うらおもて獄吏のまえ 橋本夢道
(俳句事件で入獄)と前書きがある。
「俳句事件」あるいは「新興俳句弾圧事件」と呼ばれる言論弾圧により、2年間、夢道は拘留されることとなる。
治安維持法違反を理由として「京大俳句」の同人8名が、1940年2月に逮捕されたことを皮切りに、以降多くの俳句誌の同人たちが次々と逮捕された。
夢道や一石路の「俳句生活」同人が捕らえられたのは1941年2月のことだった。国家主義の高まりの中で、共産主義的思想、反戦や厭戦の表現、そして何よりも「自由律俳句」の掲げる「自由」が、弾圧の対象となったのだろう。
獄中での句は、以後三百句に及ぶ。
涼しく裸のうらおもてからほくろ写しとらる 同
前句同様、入獄の際に受けた身体検査を描写したものだろう。
混乱や怒り、恐怖もあっただろうが、ここではまだ「涼しく」という余裕が見られる。それは見せかけのものだったかもしれないが、そこに夢道のロマンチシズムが見え隠れするようにも思う。
泣いても獄房、涙を嚥めばつめたきかな 同
流れ出る涙は、体温と同じ温度を持っている。
その涙がすぐに冷えてしまうほどの獄房の寒さを表現しているのだろう。
泣いてしかるべき状況である。しかし泣きながら、ふとその自分を客観視できる視点がこの句に表れている。
大戦起るこの日のために獄をたまわる 同
これこそまさに表現者の矜持である。
生きることと表現することの一致がここに在る。
うごけば、寒い 同
1月の投稿で問題にしたいと述べた句である。
つまり、この句には果たして、ただ一句として名句足り得る強度があるのか、という疑問である。
論路的には、ない。はずなのである。
少なくとも私の定義する名句からは外れるはずだ。
しかし私の心はそれを認められない。
句の背景、ほかの句など、何の予備知識もなくこの句を見て何を感じるか。
それはもはや自分には体験できない思考である。
この句に至るまでの夢道は動き続けていたのである。
自分と同じ労働者の代弁者として、愛に生きる者として。
しかしそうして動いたことにより拘束され、「自由」を奪われている。
「うごけば、寒い」とはそうした生き方の結果を受け止める句でもあったのかもしれない。
出獄後の句には「野菊咲き続く日あたりはある山路」と詠んだ若い頃の快活さを見ることはできない。
この投獄生活が夢道の思想を変えることはなかった。しかしその姿勢には大きな変化をもたらしたように思う。
もう書くところがないわが句作紙石板に三百句 同
「紙石板」とは、当時紙が貴重であったため、ノートの代わりに学童が用いていたもので、ボール紙に軽石の粉が塗られたものであったらしい。そこに蝋石で文字や絵を書いた。
この紙石板と蝋石を静子は布団の綿の間に隠し、獄中の夢道に差し入れた。
メモを取れない状況で、思いついた句やフレーズをどうにか記憶にとどめようとして、結局忘れてしまい、永遠に失われてしまう、という経験をこの原稿を読むような人はみなしたことがあると思う。
そうした人は、獄中において、書き残すことを制限されたり禁じられたりする状況の苦しみも理解できることと思う。
浮かび上がる表現の断片が無為に失われてしまう。そんな状況で正気を保つ自信は私にはない。
だからこそ、この夫人の苦心が、どれほど夢道を救ったかと思うのである。
前回の稿で「一石路を衝き動かしたものはジャーナリズムであり、夢道を支えたものはロマンチシズムであった」と私は述べた。そのロマンチシズムの源泉は間違いなく静子夫人の存在であっただろうし、それを支え続けたのもまた彼女であったのだ。
二十四房を出るわが編笠にふり向かず 同
(出獄)と前書きがある。
自身の変化をも自覚していただろうか。
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 同
あれを混ぜこれを混ぜ飢餓食造る妻天才 同
妻の留守に押入れをのぞき驚き飢餓日記 同
苦労な妻よ飢餓食に凌ぎ慣れ来てもう十年 同
すいとん畳に下してきて不服を言わさぬ妻 同
食糧難つづく夕餉鶴のごとく飲み下す 同
楽しみは一つ一つ食べて猿のように淋しい日 同
獄中の夢道のロマンチシズムを支え続けた妻は、その後の生活もよく支えた。
戦後の食糧難の中、夢道と子供たちの食を満たすため大変な苦心をしていたのである。
その様子を見る夢道の妻への愛は変わらない。しかしその姿勢は変化している。
動き続けた夢道は今や、座って世界を観測する存在になっている。
汗を目に元先生よろめき山形の米負い帰る 同
ぶつかると不平だらけの人にすれ違つてゆく 同
めくら滅法に働いて来てほら穴のように深い空 同
これらの句も、夢道の変化を顕著に表している。
貧しい者たちのために詠っていた夢道が、今やだれもが貧しい世界を定点観測観測するように眺めている。
苦しいぞよく見よ妻よ泥鰌は裸でいる 同
月皎々と貧乏一と月ずつ切り抜けてゆく 同
さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ 同
芋を食うて日日赤貧に近ずいてゆく 同
天が不仕合せをたまわる如し芋を食う 同
貧しくても 疲れたゴム紐のように家に帰る 同
これらの句では、自らの生活さえもどこか他人のように眺める姿を表している。
戦後の誰もがそうであったのかもしれないが、PTSDの症状であるようにも思う。
金策なき辰之助を億兆の菌が肺を食う音 同
万力尽きて辰之助死にしも両手は天にあげず 同
貧乏と仕事に辰之助は立派な衣服つけず死ぬ 同
(石橋辰之助の死 三句)
そしてその貧しさの中、新興俳句の盟友である石橋辰之助を失う。
「億兆の菌が肺を食う」に映画的技巧、「貧乏と仕事に辰之助は立派な衣服つけず死ぬ」にはプロレタリアの思想が見える。
友の死に際して、白黒だった夢道の表現に色彩が戻ってきたようにも見える。
悲しみの中、再び修羅として立つ気概がよみがえったのかもしれない。
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2か月ぶりの投稿である。
本業が繁忙期であったこともあるが、夢道の時代と現代の状況とが重なるようなムードがあり、筆が極端に重くなっていたことは事実だ。
この期間に、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」をめぐる議論や騒動があり、6月15日早朝の強行採決による成立を経て、7月11日より施行された。
この法案と治安維持法との類似点は多くの有識者によって指摘、あるいはその否定がなされている。
賛成派はこれを「テロ等準備罪法案」と呼び、反対派は「共謀罪法案」と呼ぶ。
しかし私は、政治的信条とは関係なく、ただ自らが表現者としてあるためにこの法律に異を唱えたい。
この法律が戦前の治安維持法の再来であるという意見に対しては、多少大げさであろうとは思っている。しかし、この法が恣意的に運用される可能性、その余地があることも危惧して然るべきであろう。
為政者、権力者にとって最も厄介なものが「自由」である。
先日インターネットで見た意見なのだが、まったく俳句に興味のない人々の中にも「自由律俳句」の「自由」にむかついてしまう人がいるようである。
「自由」とはある種の人間を不快にするのだ。
私はカミュの言う「自由(自由とはよりよくなるための機会)」に全面的に同意しているため、こうした人種の不快感については、「よりよくなる機会」が得られぬ者、あるいは自ら放棄した者が勝手に抱くルサンチマンであろうと考えている。
しかし、為政者の「自由」に対する憎悪はそれとは違う。
それは現在の地位や権力を脅かすものであり、自らの支配の正当性を揺らがせるものであるがゆえの、恐怖にも似た憎悪である。
古来、国家と自由民とは常に対立するものであった。
プロレタリア俳句が弾圧を受けたのは、その思想ではなく、その標榜する「自由」という語(あるいは姿勢)が時の権力と対立したためだろう。
この法律を「共謀罪」と呼ぼうが「テロ等準備罪」と呼ぼうが、そんなことはどうでもいいことだ。
ただ、「内心の自由」や「表現の自由」を侵し、あるいは萎縮させるものに対して、表現を志す者が反対するのは当然の反応であろう。
しかしすでにその法案は成立し施行されてしまった。
ただ、これで「表現の自由」は無くなった、などと嘆くのは愚かなことである。
表現者とは修羅である。
修羅ならば、萎縮することなく自由を叫び表現するべきだ。
より一層の覚悟を持って抗うべきだ。
ただ「自由」を叫んでいた修羅が、ある日突然捕らえられ、獄に繋がれたなら、この法の異常性が白日のもとに晒される日になることだろう。
大戦起るこの日のために獄をたまわる 橋本夢道
まさにそれこそが表現者の矜持であろう。
「自由」とは、何に抗うか、ということでもある。
時折、自称表現者が、世の中の禁忌に軽く触れ、メディアを巻き込み炎上を起こすことがある。
その醜い承認欲求の発露もまた、表現の自由として認められるべきなのだろう。しかし、抗うべきものを見極められない者には、修羅として、あるいは抗う者としてのセンスの欠如を感じる。
何に抗うのか。そしてその抗いが何を生むのか(あるいは壊すのか)。
そのセンスが、変人と修羅の境目になるのだろう。
矜持を持って抗う修羅でありたいものである。
次回からは、以前の稿で夢道の映像化の技法を受け継ぐ表現者として紹介した藤井雪兎の句を鑑賞したい。
次回は「藤井雪兎」を読む〔1〕。
※句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。
法務省HP
「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00142.html
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