■2017角川俳句賞「落選展」第2室■
テキスト
6. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)
よき事のあふれ出でよと初湯浴び
春昼の送電線のたるみかな
パスワードの解けぬ妻とはおぼろおぼろ
紐もつれ喉に曲者春の風邪
明日もまた地球転がせ四月馬鹿
さえずりやコンビニ前の女高生
蒟蒻にも憂鬱はある花の雨
札幌の人を惑わすリラの冷え
花の宿夏目雅子とすれちがう
お茶漬けを食って別れた二月尽
悪僧も膝つく菫地獄谷
カフェテラスナプキンの色夏立ちぬ
動いてみよどこがうまいか大鰻
理髪師のまじる鼻歌にらの花
夏風邪に皮膚一枚の微熱かな
一点の翳りがすべてサングラス
紛糾する会議にメロン丸机
すべり落ちた大事はどこへ心太
地下鉄や肩抱き合って熱帯魚
熱弁に法も汗かく裁判所
六月の思案深まる樹海かな
美女冗舌オーデコロンはときめいて
夏を知るモデルの脚はスカイツリー
また来たわよ美女は無遠慮青簾
首を這う蛇のぬめりや白い指
お元気でね背中が言うた夏帽子
わちゃわちゃ言う禿げのおっちゃん玉の汗
蛸焼けばグリコが走る戎橋
越してきて竹四五本の野分かな
胎内にあらぬ送り火内視鏡
三日月や駱駝の夢は無神論
嫁くらべ老婆三人鉦叩
ホッチキス散歩に出よう天高し
コンビニでコピー三枚秋夕日
三代目もわが畑好む稲雀
ゆく禿の人それぞれの秋思かな
タクシー待つ黒装束の残暑かな
打つそばや延べて均して待つ平和
放物線に夢あるものか秋刀魚焼く
猫町だったテロは大うそ曼珠沙華
健脚を競うふたりの春隣
テレビキャスターニュース入らず餅を焼く
ポケットの破れどこまで寒の入り
四、五人のはしゃぐ風花六本木
白菜はしろがお似合いニヒリスト
暗闇の影寄りあって焚火かな
地下街のくらがり好むサンタさま
猪肉や仁王の腕の毛深さよ
大泥棒海鼠息する桶の底
●
7. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その2)
怒る火の冷静が舞う薪能
持ち帰る吉野の名残り花筵
春の闇に絶えた狼吉野山
花明かり母がもどった木戸の音
もの言わぬ牛はキリスト花吹雪
謎深まるモナリザの笑み薪能
鎌倉や鍔に彫り込む花菖蒲
霾やかの長安の遣唐使
春昼の牛の涎れの落ちどころ
花盗っ人よもしやあなたは夏目雅子
椿落ちて地底の民の大音声
淀の堤菜の花売るは蕪村とも
かなしみは前衛が抱くアマリリス
花の名を問うて近づく夏野かな
海の日やマストをあげよ勝海舟
門前に使者の気配や蛍の火
ぞんぶんに水を呑んだか夏の蝶
手術前夜合歓の花咲く癌病棟
尽きた命未練を残す岐阜提灯
たましいや蛍を追うて正倉院
虫の闇に仏の思念東大寺
月光に濡れた欲情東京駅
前世も現世もなお曼珠沙華
目が合って僧は澄むなり秋禅寺
月の夜に起つ事あるか盧遮那仏
列島の朝のざわめき野分来る
生ごみに罪の匂いや鰯雲
取り落とし弾むスプーン秋の風
洋梨のころぶ世紀にいたピカソ
ポケモンゴーの解せぬ次第や赤とんぼ
落書きに才のはしくれ秋蛍
宗論の渇きの果ての仏手柑
けだものも歩幅のゆるむ花野道
金沢に人待つ予感冬木立
北へ行く牛は咎めぬ鶴になれ
みちのくの雪は漫漫春隣
尽きぬテロは神の相克枇杷の花
テロ無残北斗星とも自爆せん
雪の朝に妻語りだす金閣寺
まつる祖師石うたがわず冬禅寺
焚火から退かぬ男の胸のうち
楕円形は堕落とも言う褞袍着る
気もそぞろスマホの街は着ぶくれて
名園や菰のあるじは冬牡丹
突っ走る地下鉄道や虎落笛
地下街はわが都なり冬の蝶
短日や人みないそぐ駅の道
東京駅ひとはそれぞれ寒鴉
つつましく咲く柊の棘のわけ
つまずいて日の暮れ易し法円坂
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8. 杉原祐之 上堂は難し
どぼどぼと溢れてゐたる若井かな
結納の席に獅子舞踊り込む
挨拶のマイクくぐもる事務始
ラーメン屋の湯気もうもうと寒に入る
雪掻きの大小置かれ山の宿
子が放る思ひの外の雪礫
竹藪を揺さぶる風や午祭
ぶらんこもジャングルジムも余寒かな
麦の芽の朝日を返しをりにけり
隧道に雪解水の染み出せる
弓放ちお水送りの始まれる
雛段を支ふるビールケースかな
卒業の戯れあひながら泣きながら
春昼の喇叭検定試験かな
雉鳴くや足湯に村を見晴らして
春の夜や喃語のシャワー浴びせられ
マフラーを巻きては外し花の宴
地に着けるまで輝ける落花かな
桃色の小さなリュック花筵
花筏浚渫船が分け進む
新築の庭にはびこる諸葛菜
炊飯器より豆飯の湯気と音
仮設集落跡地薇干されたる
放生の池を暗めて若楓
半休を取りて田植を済ましたる
ナイターの風の湿りを帯びにけり
指図出るまではだらだら神輿舁
踏切を待ちゐる山車の囃子急
予備の竿短く握り鮎を釣る
表彰を終へてダービー騎手小柄
神主の屋敷の土間の梅筵
まちまちに梅干色を深めつつ
夕凪や赤子のシーツ干し足せる
朝曇あと一日で休暇来る
ただ浮かむだけのプールに来てをりぬ
プールより上り海鮮丼喰らふ
警備服着せられてゐる案山子かな
鳥居のみ塗り直されて里祭
台風の夜に買ひ足せるカップ麺
鶺鴒の芝の起伏をなぞり飛ぶ
公園に居眠る人と綿虫と
落し穴ありさうで無き落葉径
半袖に短パンで刈る砂糖黍
畳みたる店舗に年木積まれあり
悴める手を双臀の下に差す
おでん屋の液晶テレビ曇りたる
縄を張ることに始まる年用意
餅搗を終へ豚汁の鍋囲む
電球を一つ取り換へ年の夜
水色を残し暮れゆく初御空
●
8. 鈴木総史 こゑを探して
草萌や時間を空けて飲む薬
針の数だけ影があり針供養
恋猫のきのふとはまた違ふかほ
ふらここや人間はみな空へ帰す
下向けば道はレンガで入試かな
薇のまはりの土のやはらかき
置かれては少しずらされ雛飾る
蒲公英にまみれてゐたる消火栓
春愁やこゑを探してみづを汲む
がりがりとなにかを喰らふ花見かな
先生はチューリップ抱き離任せり
米兵の躯に似合ふ春コート
たちまちに船現るる海市かな
古本を重ねて匂ふ樫の花
街に出てそのにぎはひの遅桜
時鳥まぶしき雨を葉は抱へ
かざす手の昏く端午の陽を統べる
はつなつの傷いきいきと脚にあり
鳥声を薄暑の川へ展げたる
薔薇の咲く部屋に連れられたる恐さ
坂に猫裏がへりたる夏の暮
花は葉にブロンズ像のやや痩せて
島風を銀色と言ひ花蜜柑
なかぞらを鳥は制して麦の秋
薫風や車掌の腕のよく伸びて
夕立の街原色の風生るる
その島は鳥がおほきく花樗
あをぞらや河鹿のこゑの乾ききり
真珠抱くためのかたちに帆立貝
夕涼やみづにはみづの流れ方
対局に終はりの見えて旱星
日盛の硝子は色をもてあます
握りかへすための手であり青田風
炎昼のベルトのやはく置かれたる
銀漢や島に少しく詩がありぬ
こゑはもう出なくて新涼の転居
鵙日和ピンクの傘が晴れをゆく
骨董に硬き文字あり秋の蝶
金網のなかの小鳥のうるはしき
調味料あまねく集め九月尽
症例の少なき病蔦紅葉
古雑誌二三部買ひて秋思かな
明滅はひかりのはじめ寒牡丹
凍星やチェロより音の滴りぬ
初めてといへば毛糸を編むことも
寒暮なりすべて出払ふ消防署
寒林へ向かふ列車の黒さかな
木を喰らふ木があるらしや義仲忌
蜜柑畑ひかりのごとき人とゐて
待春の少し大きめなる切符
●
9. 高梨章 そのあかるさを雨といふ
早春の窓の夜あけやパンの耳
早春の床にミルクの白さかな
早春のもうぬれてゐる光かな
早春の吸取紙もぬれてゐる
早春の水の底まで水の空
春寒しハンマー投げのピアノ線
ひんやりと立たされてゐる桃の花
オブラートかすかに甘し桃の花
一本の花えらばれて虻とまる
表札のなき家となり桃の花
ぽつかりと口をひらいた春の駅
空をおりるやうにひとびと春の駅
なんとなくしやがんでしまふ春の土
ゐないので停まらないバス春一番
たんぽぽを気にもとめずに来てしまふ
たんぽぽのところで止まるうしろ足
たんぽぽに気がつくまでを歩きけり
春の野に自転車も寝て雲量三
たんぽぽやクーペに乗つてとほるひと
たんぽぽのところで靴をぬぐ予定
雲雀鳴く目をつむらずにひばりなく
たんぽぽはちひさな歩幅かもしれぬ
その声が目に見えるほどヒバリ鳴く
雲雀鳴く蛇口のなかの細き闇
眼鏡をはづしそれぞれねむる沈丁花
母と子とねむるヒバリのゐない空
テーブルは水面のやうに花明かり
ふいに墜つ雲雀のやうにさびしさは
パン屑のこぼれしままや春炬燵
春の画のなかの金管楽器かな
クレヨンの折れてありけりチューリップ
風にさはる雨にもさはる子猫かな
濡らしてはまた乾かして春の土
水仙かなんの波音なんだらう
ひつそりとあのこは病気風ぐるま
石鹸玉空のうしろへ消えにけり
よわくよわく指はひらかれ牡丹雪
いま何も抱いてゐなくて春の雨
春は水うす桃いろの洗面器
春の夜のそのあかるさを雨といふ
梨咲いて空にあらはる雲の位置
春の雨ちひさな卵抱かせて
キャラメルの紙はましかく春休
蜂の屍やほんのわづかな塩の味
晩春や息をひそめて魚の眼
夕ぐれのくるたび蝶のおとろへし
晩春やパンダをいまだ見てゐない
かた足をひきずりぎみに夏近し
そら豆の空やはらかくあひにゆく
足音をそつと持ちあげ捕虫網
●
2017-11-05
2017角川俳句賞「落選展」第2室 テキスト
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2 comments:
『舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1&その2)』の落選者の自句自解
私はすべて口語表記とした・・今に生きるのだから今の言葉、表記を使う・・芭蕉もそうだった・・文語表記?「それ違うだろう!」時代錯誤だ・・
不自然なので“花鳥風月”のみに限っていない・・日々の生活の万象のすべて・・“コンビニ”“パスワード”“テロ”“ポケモン”“スカイツリー”“地下鉄”“ピカソ”等々を句にした・・時代の変遷から生まれる新しい言葉=新ネタ(対象)は、私の心をゆさぶる・・俳句にせずにおけない感動、驚き、共鳴、衝撃がある・・
苦労したのは、新ネタ=生まれてホヤホヤの言葉(意味する社会性)を575の俳句という日本旧来の文化・文芸の中に如何に溶け込ませて“華”にするかだった・・新しい言葉は意地悪だ・・私に文化的、精神的葛藤を要求した・・
そういえば芭蕉も“蛙”の新ネタを取り入れ発句・俳句を成り立たせた・・俳句の創造者は、新しい時代の新しいネタの新しい言葉への勇気あるパイオニアなのだ・・使い古しの花鳥、文語表記等の過去への馴れ合い、呪縛からは“粋のエエ俳句”は生まれない・・古希の私の“しんどい”試みを評価いただけなかったのはまことに残念だ・・
そもそも編集部の“予選通過”の基準は何なのか?明らかではない・・それが“不安”なのだ・・不通過の562人すべての思いである・・せめて主催者として作品募集の目的=どのような作品を求めるのか?=予選基準をオープンにしていただきたい・・応募者への丁寧なやさしい説明(責任)があってもいい・・作品募集の熱意も語られず、応募者への慰労の言葉も見当たらないのではストレスが溜まる!(苦笑)
ところで、素朴な意外な疑問ですが・・四人の選者は常に超一流大家・豪華メンバーである・・にもかかわらず、受賞者(63人以上)の中からその後大成したという俳人の名はあまり聞かれない?・・何故?この“無力感”“違和感”“断絶”は何なのか?・・素っ気ない作品募集と共に理解に苦しむところである・・
掲載された予選通過作品は失礼を省みず、率直に言わしていただければ没個性、逃避的、自己の周囲数メートルの身辺俳句、つぶやき俳句、日記俳句、四畳半的俳句、私小説俳句・・社会や他者へ向けられた目線はなく内々に自閉している・・私の琴線に触れるものはない・・「俳句の可能性」はここまで狭まれたかの感は極めて残念だ・・しかし、さりながら38篇は“それなりに”ご立派と言うより他なく優劣はつけられない、すべて受賞でも合点する・・この賞は、良くも悪くも「予選通過作品の選考」の作業ですべてを完了、終えているように思われてならない・・
私の100句は“レトロ”だ・・友人からの第一声「古ーッ!読んでみましたけど30句くらいでしんどくなりました。残りは、元気な時に読ませてもらいます」(笑&笑)・・昭和19年生まれ73才・・私の感性は日本古来の文化的伝統の上にある・・作家は時代の制約から逃れられない、宿命だ・・でも新ネタに挑戦するスタンスは崩さない、逃げていては「作句力」は衰える・・
次回は落選展の14人の句を評します(しばらく時間を下さい)・・私は50句全体を論じる・・作品論は究極は人間論だ、その生き様だ・・そしてさらにその人間を生んだ時代論である・・どうぞ、お楽しみに(笑)・・
片岡 義順
『舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1&その2)』の落選者より・・
落選展14名の作品を論じるとしましたが、とり止めます・・14作品(38予選通過作品も)と私の「俳句観(論)」との間には断絶=ジェネレーションギャップがある・・読めば読むほどその大きさに絶望した・・もはや私が云々するのは“徒労”“阿呆らしい!”と考えるに至った・・
“無色無臭人畜無害”“幼稚稚拙”“末期的衰弱”・・日本の歴史や文化との係わり、社会や他者との交わりからも、ここまで乖離したのでは私には俳句と言うより“廃句”だ・・
近未来的に考えるなら、俳句は「スクラップ&ビルト」の真っ只中にある・・俳句は、100年?ほど先には欧米、アジア、アフリカの文化と混合一体化された「世界の新俳句」(季語は形骸化した超短型ポエーム詩=グローバルスタンダード化=現日本人には想像不可能な575)として、再生を果たしているだろう?・・そのための“スクラップ”とみる・・
再生のためには、滅びなければならない!
まあ、暇つぶしに俳句は続けるがこの先は“サロン俳句”に徹したい・・「真剣真っ当な俳句」は、金輪際作らないことにした・・“奥さま方”に喜んでいただける俳句なら他愛はない(笑&笑)・・
片岡 義順
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