自由律俳句を読む 159
「藤井雪兎」を読む〔2〕
畠 働猫
以前の橋本夢道の記事において、夢道の映画的手法と雪兎との類似性について少し触れた。(昨年の4月の記事である。振り返ってみると、昨年は1月から7月までで橋本夢道の記事しか書いてなかったのですね。)
夢道の映像化が、「見ていないもの」や「見えないはずのもの」をも描き出すドキュメンタリー映画であるとするならば、雪兎のそれは劇画やアニメーションのように、より自由な創造に基づいて詠われる。そうして、「ここにないもの」「(もう/まだ)あるはずのないもの」でさえも描きだすのである。
▽自由律俳句誌『蘭鋳』(平成26年)より 【50句中18~34まで】
知らん花だと春のおじさん 藤井雪兎
「春の」と断っているところから、本来「おじさん」は他の季節の季語なのだろう。自分は秋の季語だと思いますがみなさんはいかがですか。
おじさんの中でも「春のおじさん」は、やべえ奴の代名詞ともとれるが、この句のおじさんは今のところ無害な感じがする。名前など知らなくとも美しいものを愛でる感覚を持ち合わせているのだから、一応会話は成立しそうである。
しかし一瞬後何をされるかわからない。そんな緊張感もある句である。殺伐。真の吉野家を知る者かもしれない。
私も最近、一人称としてしばしば「おいさん」を用いるようになってきた。大橋ツヨシの漫画の影響である。「おいさん」は「おじさん」よりも無害な印象を与えるため、おすすめである。
「おいさん」の最終形は、高田純次であろうか。
そういうものにわたしはなりたい。
二番目に好きなことなら教えた 同
一番は人に言えないことなのだろう。
おそらくは性的な嗜好についてであろう。
いやらしい……。
そのように読んでしまう人間の心の汚れが心配である。
もっと爽やかに読むことを試みてみよう。
爽やかなカップルを想像しよう。
チッチとサリーがよかろう。
穏やかな春の草原で、二人並んで好きなことを言い合っている。
本当は「二人一緒にいること」が一番好きなことなのに言えない。
ああ。胸が苦しい。
そんな爽やかな青春の句と読むのが人として正しいのではないか。
吉田戦車の漫画(たぶん「伝染るんです」だったかと思う)において、事を終えたカップルが「セックスより好きなことはないのか」と互いに質問し合い、同時に「蟹」を思い浮かべて恥ずかしがるという四コマがあった。「一番好きなこと」を教えるというのは裸をさらけ出すよりも恥ずかしいことである。
秘するが花ということもある。
とかく現代は、人との繋がりの大切さが強調され、そのための自己開示が求められる社会である。その上で大勢と異なる価値観は徹底的に攻撃され排斥される不寛容な社会である。
無責任で暴力的な開示請求に対する自己呈示として「二番目に好きなこと」を用意しておくのも、現代社会を乗り切る処世術と言えるかもしれない。
うでをひろげてそらのまね 同
秀逸な句。
冷静に考えればちょっと何言ってんのかわからない句である。
この状態で「そらのまね」と言われても普通は共感できない。
はずである。
しかしこの句には異常な説得力がある。
両腕を広げて立つ者の笑顔の向こうに爽やかな青空が見える。
それが「そらのまね」だと言われれば、否応なく、そうだ、と思わされる力がある。美しい日の光。草原に吹く風の匂い。そこにいる人々の穏やかな関係性。そうした初夏の美しさが、たった12文字のひらがなに凝縮されている。
ハンニバル・レクターの言葉にクラリス捜査官が引きこまれるように、強烈なサイコパスはこの句のように、本来ないはずの(あるいは無意識にあった)共感を呼び起こすのだ。雪兎の天才(狂気)が遺憾なく表現された句であると言える。
春の終わりにスライダーが甘く入りました 同
これも前句同様、ちょっと何言ってんのかわからない句である。
ただ、季節を感じる事象から観戦する野球への視点の移動として単純に読むこともできる。あるいは初夏のバッターボックスに立ち、打ちごろの球につい手を出してしまった様子を詠んだものか。
凡人にも共感しやすい形に自らの狂気を翻訳したやわらかい句と言えるだろう。
花の名前で雨に濡れている 同
美しい句。これも季節は夏であろうか。
花の名前を持つのは女性であろう。
傘も差さず濡れているのには事情がありそうだ。
ただ見つめているのは相手との関係が浅く距離があるためか。
それとも、相手の感情に寄り添うことよりも、情景の美しさを味わうことが優先されている修羅の句であるのかもしれない。
稲妻にこの姿見せに行く 同
まず「ショーシャンクの空に」のキービジュアルで、ティムロビンスが腕を広げて雨を受けている姿を思い起こした。鬱屈した感情が解放されるカタルシスがここにある。
それにしても、悪天候にテンションが上がるという感覚は、誰しもにあるものだろうか。雨の中駆け出していく姿はなぜか全裸であるようにも思う。
私も稲光の美しさに目を奪われ、嵐の度に雨の窓から離れられずにいる。
古来、雷は多くの共同体によって神格化されるものであった。
世界を水没させるほどの大雨、神の怒りの発露である雷鳴に私たち人間は原初の恐怖、世界の終わりを思い浮かべる。
それに抗うように、その姿を見せに行く男。全裸で。
なんとなくいい感じにまとまってはいるが、これもまた雪兎の狂気が垣間見える句である。
ガム噛んで思い出す過去もある 同
記憶に密接に結びついているのはその匂いであろう。
この句でいう過去を思い出させるガムと言えば、ロッテのイブであろうか。
ノリオがよく持っていた。(私はコーヒーガム派であった。)
ノリオ以外では、ちょっとお姉さんがよく噛んでいた記憶がある。
細い煙草とイブがそうしたお姉さんたちの記憶を呼び起こす。
イブも今では販売されなくなってしまった。
これも昭和と平成の断絶の例と言えよう。
野球捨てた筋肉が鉄打っている 同
1987年のECHOESのアルバム「GOOD-BYE
GENTLE LAND」の5曲目に収録されている「Tonight」の歌詞において辻仁成は、「ハイスクールの頃はいつもクォーターバックで頭を下げたこともなかったヒーロー」が卒業後、懊悩を秘めながら黙々とクリーニング屋で働く様子を描き出した。
こうした夢の途上に挫折した者の姿を雪兎はしばしば句にする。
ただ、この句で描かれる人物が置かれているのは、辻の描いた元ヒーローよりもポジティブな状況であるように思う。「制服のしわを伸ばすこの俺は誰だ」と嘆く元クォーターバックと違って、「野球捨てた筋肉」は今、鎚を握り生かされているからだ。
これも前回触れたことと重複するが、雪兎のこうした視点は、「あるがままに認める姿勢」から生まれるものである。
いいも悪いもなく。たとえ捨てた過去であろうとそれは現在につながっている。そのことをあるがまま受け容れ詠む。それが雪兎の姿勢であり、読む者によっては救いがもたらされる部分である。
よい鍛冶屋とはこのように、鉄に過去を封じ込め、いつも多くを語ることはないものである。
「神は喜んでいる」(エオルンド・グレイ・メーン)
偽名も一緒に眠っている 藤井雪兎
「眠っている」を睡眠ととるか死の婉曲表現ととるかで印象が変わる。
死であると考えるならば、これは墓碑前で詠まれた句である。
知人ではなく、過去の偉人、有名人の墓かもしれない。
ただし、「偽名」という言い方がこの解釈では不自然である。
やはりここは睡眠ととるべきであろう。
偽名というからには、素性を隠すために用いる名前である。俳号や芸名、あるいはハンドルネームならば「偽名」という言い方はしない。偽名とはより匿名性の高いものだ。
となればこれは源氏名、あるいは特殊な出会い方で知り合った相手の名乗った名前、そのように考えるべきか。
行為のあと眠ってしまった相手を眺めながら拾った句ではないだろうか。
セックスという行為は、最も深い部分でのコミュニケーションであると思う。
互いの秘部をさらけ出して触り合う。そうして互いの身体を知り尽くしても、言葉がなければ相手の本当の名前さえ知ることはできない。
本名こそ名乗らないが、自分に心を許してくれている寝顔を眺めながら、そんなことを思ったのではないだろうか。
描かずに大樹の前 同
雪兎の句中でもまさに白眉の句。
これこそが荘子の言う「至人」の姿であろう。
中島敦は「名人伝」の中で邯鄲に帰ってきた紀昌に「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と語らせている。
だれもが描かずにおれない大樹を前にして、なお無為であること。
その境地がこの句には描かれている。
表現方法が句ではなく絵画である点が巧みである。
「詠まずに大樹の前」では詠んでいるのでパラドクスに陥る。
これは無為の境地を目指しながらもまだ到達できない存在として自分を詠みこんでいるのである。「至描」という無為に達した姿を感応できる、あるいは頭では理解し想像はできる。しかし未だ自らはその境地に至らずにいる。未だ言を去ることができず、無為の存在の前で言葉を尽くしてしまう。至人ではない修羅の業をこの句は表現している。
嫌いな人と台風の中ゆく 同
呉越同舟。困難の前に手を結ばざるを得ない、そんな状況である。
皮肉なことだが、場合によっては最期の時をともにする相手になるかもしれない。複雑な気持ちで歩いてゆくのだ。
何を話すべきか、話さないべきか。
嫌いだからこそ気を遣うこともある。
自分だったらごめんだ。なんとか避けたい状況である。
「稲妻にこの姿見せに行く」と叫んでこいつを置き去りにして走り去りたい。
それぞれのにおいのする金で払っている 同
労働句であろう。
高架下のドラマがある。
労働者が集まって、なけなしの金を出し合って飲んでいる。
そんな情景が浮かぶ。
今日という一日を労働に費やし、汗や油にまみれた手でつかんだ金である。
その金が今日の自分の価値のすべてである。
出口のない不況、明日の生活への不安。そうした閉塞感と今日の疲れをひととき忘れて、気の置けない友と過ごす。
そんな情景であろうか。
酒はいいちこであろう。
この手のひらを選んでくれた雨粒 同
一転ロマンチックな句である。
感傷的と言ってもいい。
無数に落ちる雨粒の一つにフォーカスし擬人化する。
小さなもの、主役ではないものに対してもあるがままに受け入れる視点のやさしさ。ふと漏れる吐息のような一瞬の甘やかさ。それもまた雪兎の一側面である。
窓ガラス冷たいから割らない 同
因果関係が破綻している。
しかし本来、人間の行為にすべて理由があるかと言えばそんなことはない。
ジェームスディーンに「理由なき反抗」があるが、この句は「理由なき服従」というべきか。
しかし「やらない」ことに理由を探すのは、本当は「やりたい」からか、それとも「やるべき」と思っているからか。
あるいは「誰かがやっている」からか。
その「誰か」は尾崎豊であろう。
夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったという物語は、おそらく尾崎と同年代には単純に共有されるものであるのだろう。しかしその次の世代である雪兎はじめ我々の世代にとってそれは失われた物語である。のちに詳述するが、こうした物語に対する屈折した受容こそが我々世代の特徴であると言えるだろう。
共有できなかったものの共有である。
この句にはその周辺人としての特徴が表れている。
静かに目を病みいつもの海 同
背景に長い物語があることを感じさせる。
映画ならば冒頭のシーンであろう。そしてそこに至る壮大な物語が過去を語るモノローグの形式で展開されてゆくのだ。
「ロードトゥパーディション」の影響かトム・ハンクスを配役したくなる。
新年の闇に放ってみる雪玉 同
黒と白のコントラストが美しい句である。
この句で真っ先に思い浮かべるのが、王欣太の「蒼天航路」において、荀彧の死が描かれる回である。(「ラストワルツ」)
「蒼天航路」はそれまで三国志の悪役として語られることの多かった曹操の再評価に成功した。作中では曹操の悪行として伝えられている様々な行為に対して違う視点、新しい解釈が示される。
三国志演義において、曹操が病に伏せる荀彧に空き箱を送るエピソードがある。魏公就任について曹操と確執の生じていた荀彧は、その空き箱から曹操の意図を読み取り自ら服毒して死んでしまう。
「蒼天航路」でもこのエピソードを取り入れ、これまで行われてきた様々な解釈を荀彧自身の思考の中で語らせる。そして最終的には、空き箱に丸めて入れられていた白紙はかつて約束した「雪合戦」の雪玉に見立てたものだった、という君臣の変わらぬ絆の物語とした。幾百万の血塗れた死体の上に成り立つ曹操の覇道の中にありながら、荀彧だけが無垢な存在であると、白い雪玉を比喩として描いた美しい回であった。
一昨年の大河ドラマ「真田丸」もそうだったが、通説に対する新しい解釈が示される物語が私は好きである。真実というものは、一つの事実に対しておこなわれる各個人の解釈であり、したがって人間の数だけ無数にあるものであるからだ。通説を踏まえて生まれてくる新しいものは、それだけでも楽しむことができる。しかし通説を知っていればさらに多角的に楽しめる。創作者、制作者との解釈をめぐる会話が成立する。
自由律俳句も同様に、季語や古典という「共有されるべき物語」について知識を持っている方が、作句においても鑑賞においてもより楽しめるのではないかと思う。
泣き疲れて夕暮のまんなか 同
幼い日に見た情景を思い出す。
あるいはこれは、赤子の自分が母の背でみた景色かもしれない。
あの日見たような夕暮れの記憶は、平成の今を生きる者にも、終戦後の焼野原を生きた者にも、もしくはもっと原初の人類創世の頃に生きた者にも共通のものであろう。
だれもがこうして泣きながら夕暮れにふと顔を上げた記憶を持っている。
普遍的で断絶しない物語がここにはある。
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以前言及したように、雪兎の句作に橋本夢道の影響は少なからずあるだろう。
しかしそれがすべてでは、もちろんない。
夢道が、当時のメインカルチャーである文学にポップカルチャーである映画の手法を導入したことは、プロレタリア思想的にも自然なことであったのだと思う。
その後、時代の変遷の中で、映画は大衆化もしながら一方で芸術としてハイカルチャー化もしてゆく。雪兎や私が生きた時代はそうした時代である。そうした時代における呼吸は、新しいサブカルチャーやポップカルチャーを肺に取り込み、満たしていった。
夢道が俳句に導入したものは、当時の大衆文化である映画であった。
時代を約50年下って雪兎が導入するものは、より大衆の文化、より傍流の文化である。例えば、漫画やアニメ、テレビドラマなどがそうだ。それらはしかし、現代において「クールジャパン」などと呼称されソフィストケイトされたものとは本質的に異なっている。それらは、昭和という猥雑で暴力的で洗練されることのない時代の象徴である。
雪兎の句風を育んだものはそうした時代の空気であり、昭和と平成との境界に立ち、どちらにも完全には属することができない周辺人としての青春であった。
例えば手塚治虫が生み出した鉄腕アトムはまだあるはずのないものである。そして鉄腕アトムとは、高度経済成長期以降失われてしまった、夢や希望の具現化でもある。つまり、昭和の終わりに少年時代を過ごした我々の世代にとって、鉄腕アトムとは「まだ無い未来」であるのと同時に「もうすでに失われた未来」でもあるのだ。
私たちはそれを「共有できなかったもの」として共有している。
このように昭和と平成の境界で周辺人として生きた者は、昭和の物語について屈折した受容の仕方をしている。
すなわち、「共有できなかったものの共有」であり、「あらかじめ失われた未来という物語の共有」である。
雪兎の句は、そうした背景を持っている。
そしてそうした「共有される物語」とは、従来の俳句においては季語が担っていたものではなかったか。
季語に代わる物語を持ち得たとき、俳人は初めて季語から自由になれるのではないか。
したがって、雪兎が自由律俳句という表現形式を選択したのは必然であったのだと思う。
次回は「藤井雪兎」を読む〔3〕。
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