【句集を読む】
バナナと西瓜とマスカット
西村麒麟『鴨』
西原天気
西村麒麟『鴨』(2017年12月24日)/文學の森)は第一句集『鶉』から3年。
どの部屋に行つても暇や夏休み 西村麒麟『鶉』
八月のどんどん過ぎる夏休み 同『鴨』
暇なのに時間が過ぎるのは早い。矛盾ではなく、夏休みの2様相。肩の力の抜けた感じの良さは変わっていない。
陶枕や無くした傘の夢を見て 同『鶉』
紫陽花や傘盗人に不幸あれ 同『鴨』
傘に関しては、全体のマイルドな作風から少し突出したこだわりが見て取れる(ここ、そんなに本気で読まないでくださいね。ちなみに、500円傘しか想像できないところが、この作者の味です)。強迫観念から呪詛へ、ちょっと進展したが、ここも基本は変わっていない。
働かぬ蟻のおろおろ来たりけり 同『鶉』
手を舐めて脚舐めて蟻働かず 同『鴨』
lazybones(反=勤労)を愛する点も変わっていない。
お酒はどうだろう。『鶉』には《へうたんの中に無限の冷し酒》(無限!)をはじめ愛酒の句がたくさんあった。
金沢の見るべきは見て燗熱し 同『鴨』
これも変わっていない。
変わらない(俳句とは神話的無時間の中を、降っては消えていく、あるいは漂うばかりのテキスト片であるかのごとく変わらない)句群を、私たち読者は安寧な心持ちで味わう。それはこの作家の特質であり美徳である。
一方で、句集から次の句集へ、なんらかに更新されたもの、新展開、変化、増幅、それらもまた句集を読む楽しみのはずだ。
では、『鶉』から『鴨』へ、どんな変化があるのか。
幅が広がった。と、こんなふわっとした言い方しかできないが、例えば、食べ物を詠んだ句。今回、そこに妙味を感じた。
靴下に大きな穴やバナナ食べ 同『鴨』
朝食の西瓜が甘し思ひ出帳 同『鴨』
サイレント映画の中のマスカット 同『鴨』
いずれも二物をつなぐ糸(意図)があけすけではない。わからなさ、地に足のつかなさ(どちらももちろんのこと良い意味)が残り、興趣ひときわ(2句目はやや直線的な構造ながら、「思ひ出帳」の語の選択は新鮮)。
こうした組成は、
秋澄むや一人で食べるナポリタン 同『鴨』
といった、共感によって成り立つ(よくわかる)秀句と並べてみると、違いがよく見える。
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最後に、これまで述べたこととは無関係に(あるいは淡く関連させて)、
入社試験大きな声を出して来し 同『鴨』
冬の雲会社に行かず遠出せず 同『鴨』
会社勤めにまつわる2句を挙げておく。
大きな声なんか出したくないから俳句をやってるんだろうなあ、この作者は。休みの日も家と家の近くで俳句を読んだり詠んだりが一番の楽しみなんだろうなあ。そう想像して、うれしくなる。
(了)
≫西原天気・西村麒麟句集『鶉』を読む
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