俳句の要件 金子兜太の場合
今井 聖
『街』2017年10月号より転載
俳句が俳句であるための要件とは何でしょうか。
定型は絶対でしょうか。字余りも含めた十七音定型は俳句の絶対条件とする俳人は多いのですが、それすら要件としない自由律俳句のような主張もあります。一般的に考えられる次の重大要件としては、季語(虚子は「季題」と言いましたがここでは同義と考えて「季語」に統一します)でしょうか。あとは付随するものとして文語使用、切字などが考えられます。俳句で表現すべき「詩」つまり「情趣」についてはどうでしょうか。「情趣」に要件があるの?と思われる方がいるかもしれません。俳句の情趣は芭蕉が「わび、さび」を提起して以来、その情趣に基づいた「詩」が俳句固有のものとなりました。季語もその情趣と密接に結びついています。
俳句の要件とその「情趣」について高濱虚子と金子兜太を比べてみたいと思います。
大寺を包みてわめく木の芽かな 高濱虚子〔*1〕
遠山に日の当りたる枯野かな 同
此村を出でばやと思ふ畦を焼く 同
これらの句はいわゆる「伝統俳句」、
きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 金子兜太〔*2〕
屋上に洗濯の妻空母海に 同
石炭を口開け見惚れ旅すすむ 同
これらはいわゆる「前衛俳句」と呼ばれてきました。
伝統と前衛を区分するものは何でしょう。
「わかりやすさ」と「難解さ」でしょうか。
僕はそうは思いません。
それぞれ一句ずつを比較してみましょう。
まずは両者の冒頭の二句。
虚子の句は大きな寺を包んでいる木々の芽吹きがまるでわめいているかのように一斉に噴き出していると表現しています。喚(ルビ・わめ)くという比喩を通して春の芽吹きのエネルギーが伝わってきます。
兜太の句は、汽車の汽笛が「きょお!」と音を高らかに発して、噎せ返るような新緑の闇の中を進んで行きます。
汽笛の音にポーとかボーとか擬音を配するのは陳腐。詩人の為せる表現ではありません。汽笛が「きょお」と喚くのと芽吹きが「わめく」のは同じ。両者とも詩人の独自の把握が生かされていると言えましょう。
次に両者の二句目。
虚子の句は遠近法。遠景に山を配し、作者の眼の位置である手前の方まで枯野が続いています。遠近法の構成。
兜太の句は遠近法の中に動的なカメラワークが加わります。屋上に洗濯物を干している妻をまずは近景から映し、そこから俯瞰する位置にまでカメラを引いてくると沖合にある空母が視野に入る。遠近法の構成の中に突如介入してくる現代の危険な異物。無季の作品です。
最後に両者の三句目。
虚子の句は農村の苦しい生活の中で、都市部での就職やら出稼ぎやらを望みながら畦を焼いている現実を描いています。農村の現実は社会状況。虚子の眼は、因習や貧しさの中で喘ぐ「個人」の在り方に向いています。
兜太の句は、経済の高度成長政策に伴って大量の石炭が採掘されているさまを描いています。また、ここにはその情景を口を開けて見るしかない「個人」が描かれています。
虚子も兜太も現実を起点として、その中に呑み込まれていく「個人」の存在へと思いを向けています。
こういうふうに見て行くと虚子も兜太も少しも難解ではなく共通する点も多い。実にわかりやすい内容です。
しかし内容的に理解は「簡単」なのに、虚子と兜太を「伝統」と「前衛」に分ける理由は何でしょうか。
それは一つには俳句を俳句たらしめている要件に対する考え方の違いと、その要件を用いて俳句が表現すべき情趣つまり「詩」というものの目標設定の違いにあります。
きょお!と喚いてこの汽車は行く新緑の夜中
には、これまでの俳句の概念では禁忌とされた要素が細かく言えば三つあります。一つは俳句の中にイクスクラメーションマーク(!)を用いたこと。二つ目は大幅な字余り。三つ目は季語の用法で、季語「新緑」は、昼間の可視の範囲で緑が横溢している初夏の景に限定されるという「本意」を無視したこと。「伝統俳句」は「夜の新緑」を認めません。
兜太はもちろんこれらの禁忌を百も承知で用いています。
その理由も明解です。俳句を俳句たらしめている特徴を「俳句性」と呼ぶとすると、俳句性は「定型」以外には無いというのです。表記も季語の有無も自由。季語の「本意」を尊重するかどうかももちろん自由。表現というのはそもそも自由なものだという考え方で、俳句性の唯一の縛りは「定型」であると日頃から述べています。
それにしてはこの句、大幅な字余りじゃないかと思うのは考え方の違い。兜太は十七音定型という基本の縛りがあるからこそ字余りも存在価値が出てくる。定型を意識するからこその破調なのだという考え方です。
虚子にとっての要件はまず季語。「花鳥諷詠」の最大の要件は「四季」を詠むこと。連歌以来の約束事として季語を尊重することという考え方は理解できますが、「俳句性」にとって季語は絶対不可欠という「規定」は偏狭に過ぎるような気もします。
兜太の二句目のように「写す」という俳句の手法を生かしながら、風景の中で空母と遭遇するという命に響くような「驚き」も俳句で表現し得る「詩」の範囲と考えます。
もう一つ、季語を使う場合は、歳時記に記された「本意」を詠むことに心を砕くのではなくて、「自分」に引き付けて詠むこと。「新緑は木々の緑。蘇つたやうな木々の葉の艶やかな色栄え。」(虚子編新歳時記)という「初夏の明るい昼間の緑」という本意に対して兜太は敢えて「新緑の夜中」と詠みます。兜太が意図したのは、木々の息吹が噴き出す夜中の雰囲気を五感で捉えてその中を突き進む「この汽車」を設定する。「この汽車」がその時「自分」になります。季節によって、自然によって生かされている受け身の自分ではなくて、季節を含む現実の空気を呼吸しながら驀進する主体としての自分が見えてくるのです。
〔*1〕高濱虚子『五百句』1937年
〔*2〕金子兜太『少年』1955年
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