ハイク・フムフム・ハワイアン 5
続・荻原井泉水とハワイ
小津夜景
風、葉の葉の夕風や椰子やカマニや 荻原井泉水
さて、1937年にハワイまでやって来てしまった荻原井泉水の滞在スケジュールを調べてみました。新聞で拾うことができたのは以下の情報です。
6月11日 ホノルル入港 各方面への挨拶
12日 布哇俳句会同人、新聞、雑誌、文芸愛好家主催の晩餐会、歓談会(於・春濤楼)
13日 昼・観光。夜・歓迎句会(於・ワイキキ「汐湯」)
14日 講演会「心と言葉」(於・フオート仏青会館)
16-17日 俳書展および即売会
18日 ハワイ島ヒロへ出発
19日 昼・ヒロ蕉雨会および大正寺俳研同人との顔合わせ。夜・講演会(於・シーサイド倶楽部)
20−22日 火山鑑賞・句会・俳書展(於・ヒロ)
23日 ホノルルに戻る
24日 鳳梨工場視察 俳句研究会
25日 一般文芸愛好家向け文芸講話(於・ペレタニア街商業組合事務所)
26日 布哇俳句会出席・同人作品選評(於・カイムキ見田宙夢氏宅)
27日 朝、耕地巡り 昼、句会(於・料亭「春日」) 夜、集会&晩餐会(於・井田東華市宅、丸山素仁主催)
29日 俳談会(於・モイリリ河重夏月氏宅)
7月1日 日布時事訪問、送別晩餐会
2日 出ホノルル港
これによると句会は最低4回、講演会も最低4回しています。それから即売会込みの俳書展が2都市。晩餐会が3回。おもてなし観光や移動にかかる時間をかんがえると、毎日忙しかったみたいですね。
ヒロ蕉雨会や、日系2世の若者に日本語の読み書きを継承するために活動していた大正寺俳研など、有季定型派の人たちとも有意義な交流をしたようで、ヒロに到着した翌日の新聞には「十七字型本格俳句大繁盛のヒロ市に自由律俳句の大先生井泉水氏にホノルル同派の闘将古屋、泰両雄随行として乗込んだ(反響如何生)」といった囃し記事が出ています。前回書いたように、井泉水はヒロ蕉雨会の早川鷗々が編纂した『布哇歳時記』に序文を寄せているといった意味で、そもそもハワイとの関係は有季定型派との出会いから始まっているんですよね。さらに早川鷗々は『層雲』にも創刊当初から投句していましたし、井泉水のヒロ訪問は長く待ち望まれていた出来事だったようです。
さて、13日ワイキキ「汐湯」における布哇俳句会の句会は21名が参加しています。冒頭の〈風、葉の葉の夕風や椰子やカマニや〉はその句会で井泉水が詠んだ句です。語のスタティックなポジションとキネティックなバランスとがいずれもよく練られ、安定したうねりのある書法を感じさせます。また27日の料亭「春日」における句会は17名、持ち寄り6句で行われました。この時の井泉水の句は〈海には雲の影、草に牛のゐる〉というもの。
以下、日布時事に2回にわたり掲載された句会の様子から、荻原井泉水選の句をいくつか紹介(実際の紙面はこちらとこちら)。
銅像の影も夕べとなれば人通りも多くなる道 川端端月
苺の花、家が一軒また建ちました 同
ぱらッとまいた星が、椰子の木みずにうつつてゐる 木原晶
庭にいろいろの蝶が来る、縫(ぬひ)かけにしておく 秦幸子
椰子の木椰子の木と水平線が明けてくる 同
いちじくは枝に、夕風の米といで置きます 河重十九子
その他、選から漏れたもので、わたしの気に入った句も少し。
熱もとれたので昼時のペパーの木に風ある 古屋翠渓
ひるねの、わたしも眠れてガデュアのかほり 同
マンゴのまだ青い、下駄はいて湯から出てゐる 河重夏月
虹、みなとのそとにも船のゐる帆ばしら 同
見上げる崖の覇王樹の、そらふかし 北原晶
黍の穂、この女も日本から来て先生をしてゐる 同
飛行機の通る空へ大きなくしやみして朝 東海林隈畔
オハイの茂(しげり)をタロ田の夕風を豆腐買いにゆく 丸山素仁
蝶々、ふと日本のことが出てゐる 見田宙夢
野鳩、降つて鳴いて照つて鳴いて、くつきり山の緑 小川美佐子
《参考資料》
■「日布時事」1937年6月11日-7月7日号
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