【週俳4月の俳句を読む】
鳥を充たす
曾根 毅
春眠やあこがれて鳥降りてくる 吉川創揮
鳥に見られている視点のことを思った。
はじめは夢と現実の間に鳥の存在があるのだが、その鳥が降りてくる途中、近づくにつれてこちらの存在を認識してゆく視点。
作者の目線で見れば、鳥を固有名詞にするなどして、句意を明らかにして追い込んでゆく方法もあるだろう。しかしこの句の場合、鳥に名を与えない代わりに象徴性を持たせ、鳥であって鳥でないというような像を結ぼうとしているように読める。
飛び立つのではなく降りてくるというのも、鳥が明確なかたちで現れる以前の、まだはっきりと見えない光のうちの影を表しているようだ。この場合、鳥に何を見出すかは読み手に委ねられている。
しかし、作者が限定的に読ませる領域も、読者が読者の視点で感受するイメージの領域も、この鳥の視点からすれば、それほど大きな違いはなく、もしかすると問題にするほどのことでもないのかもしれない。
物や自然からの視点を思うとき、己は無化される。そんな複数の領域の接点に、鳥もあこがれも存在しているのではないか。
塩充たす八十八夜の塩の瓶 三輪小春
塩に纏わるイメージ、八十八夜の季語のもつ柔らかいムード、最後に瓶を据えて留める。巧みな句だと思う。
塩に関する言葉は多く、神道における清めなど神聖な印象が強い。人間の存在に必須のため、古くから政治的、経済的にも重要な位置を占めていた。例えば、インド独立運動の重要な転換点となった「塩の行進」。上杉謙信が敵対する武田信玄に塩を送ったという「敵に塩を送る」という滋味のあるエピソードなども思い当たる。
しかし、私はこの句にそのような意味や付加を盛り込んで読もうとは思わない。
只々、「充たす」という言葉の豊かなニュアンスを静かに味わっていたい。
塩も瓶も八十八夜も、「充たす」を感受するための手掛かりに過ぎないのではないかとさえ思えてくる。
2018-05-13
【週俳4月の俳句を読む】鳥を充たす 曾根毅
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