【週俳8月の俳句を読む】
気配その他
荻原裕幸
箱庭の小屋に潜伏切支丹 堀田季何
実際のところその小屋に隠れキリシタンの人形か何かがあったのか、箱庭の中にまぼろしを見ているのか、どちらにも読めそうだけど、私は、前者として読んで、精巧な箱庭をイメージするのが楽しい。潜伏キリシタン、は、たぶん社会的に正しい呼称なのだろう。潜伏切支丹、という表記には、その社会的正しさや呼称の未定着感への揶揄のようなものも少し感じた。
さまざまな星に生まれて昼寝覚 堀田季何
ここ出て来る、星、は、幸運の星の下、というような、運勢にからむ星だと読むのが妥当な気がする。妥当な気がするのに、そう読む気にはならない。星の下に、と言わず、星に、生まれて、と言うから、つい、その語感を真に受けたくなる。三島由紀夫の『美しい星』のようなSF的妄想でもいいし、ハードなSFを考えてもいいんだけど、いずれにしても、星、は惑星であってほしい。
圏外と思ふ水母の体内は 森尾ようこ
圏外とはガラケーやスマホで言うところの圏外か。携帯した端末に電波が中継されない状態で、他者とのコミュニケーションができない領域を、隔絶された淋しい場所だと考えるか、落ち着ける静かな場所だと考えるか、人それぞれだろう。私には後者の印象がやや強いのだけど、この句の世界は、そこをうまく半々に見せているように思うし、電波の届きやすいところはどこかという物理的な理屈を完全に欠いているのにも好感をもった。
龍淵に潜むけはひの空家かな 森尾ようこ
空家にはたしかに色々な気配があると思う。転居して間もないかどうかで、人の気配の残り具合も違って来るし、人間ではない何かが宿りはじめれば、わかる人にはわかるのだろう。この句の場合、感じたのは、龍淵に潜む気配。住人が人生の苦しい時期にいて、機が熟すのを待っての転居だったと考えれば、住んでいた人が残した気配だと読める。本物の龍の気配があると読む方が楽しい気もするけれど。
秋晴やフルスイングの四番打者 池田奈加
秋晴とあるので、たぶんプロ野球ではないのだろう。草野球か、部活か、そんな感じの、アマチュアの、楽しんでする野球だと思う。四番打者と言えば、これはもうフルスイングするものである。いや、ほんとはそんなことは決まってないんだけど、フルスイングの四番打者、というフレーズには、絶対感のようなものがあって、美しい。結果が、ホームランでも空振りでも、美しい。
夕立に消えるファルセットの校歌 池田奈加
夕立が来て、雨音で声が聞こえづらくなったのか、窓が閉められたのか、あるいは、あるいは、あるいは、と、さまざまな風景を探るように読んで、懐かしさにやられそうになるのは、校歌、学校、十代の日々、というような連想によるものだろうか。がちでかしこまって、を感じさせる、ファルセット。そのとき聞こえなくなっただけなのに喪失感をもたらす、消える。等々、ことばの選択が自然でかつ最善だと思う。
ふらここの軋みてここは石の街 浜松鯊月
石の街、が具体的にどこのことを言っているのかはわからない。ググったら宇都宮が出て来たけれど、どうなんだろう。私は、何となくではあるけど、仮想現実的な空間をイメージするのがいいような気がした。一人でブランコを漕ぐと、その場所がスタート地点となる、まずは石の街があらわれる。孤独の中にあって発見する、そんな物語やゲームの幕明け感のようなものかなと思った。
花冷えや道着の帯を締め直し 浜松鯊月
帯を締め直し、とあるので、柔道着系の道着か。ことばの流れが、ちょっと綺麗過ぎるかなとも思う。でもこういう綺麗さは綺麗過ぎてもいいかなとも思う。花冷えの冷えから帯の締め直しに展開する感じは、試合ではなく練習の印象をもたらす。体格も性別もはっきりとは見えないんだけど、花冷えの一語は、この語にふさわしい人物を連想してね、という作者の希望のあらわれでもあるのだろう。
2018-09-09
【週俳8月の俳句を読む】気配その他 荻原裕幸
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