2018-09-09

【俳誌を読む】北海道に「雪華」あり 「雪華」創刊四〇周年記念増大号 堀下翔

【俳誌を読む】
北海道に「雪華」あり
「雪華」創刊四〇周年記念増大号

堀下翔


「雪華」は一九七八年一月に深谷雄大が旭川市で創刊した結社誌。師系は石原八束。一九八六年までは年四回刊で、以後月刊。二〇一六年からは橋本喜夫が主宰を継いでいる。先の八月に「創刊四〇周年記念増大号」と銘打った特別号が発行されたので読んだ。

結社誌の記念号の頁数が通常よりも増えるということはよくあるが、「雪華」記念号は二七七頁という大冊で、まして通常号がいつもだいたい六〇頁弱だから、この分厚さは文字通り通常ではない。どうしてこういう本になっているかといえば、公開座談会や記念大会の講演の文字起こしをおそらくはノーカットと思しい体裁で掲載していること、加えて「評論まつり」と称して会員の散文を八本も載せているほか、四〇周年の節目に関わる文章がいくつも草されていることによる。世の結社誌の記念号とは気合の現れ方が段違いで、吃驚して、せっかくなので紹介する次第である。いや、筆者が旭川出身だから、その贔屓目とかじゃなくて。

四〇周年記念特集を順繰りに見ていこう。

雪華四〇周年を彩る巻頭四〇〇句供覧(大柄輝久江抄出)
巻頭句を読む

①は平成二九年一二月号(通巻四一五号)までの巻頭句から抄出したもの。ちなみに通巻数と抄出句数が合致していないのは、一号から二句引いている場合があるのと、一九九七年以降何度か合併号を出しているという事情である。この資料に挙げられた句について言及しているのが②の節で、橋本が総論として「巻頭句からみた「雪華」四十年の歩み―郷土性と時代背景との関連―」を、そして橋本のほか九名の主要会員が鑑賞文を執筆している。橋本の総論が懇切で、会員の俳壇的慶事なども織り交ぜながら、時代を追って巻頭の趨勢を紹介しつつ、一誌を貫く特徴を、

「雪」、「氷塵」、「雪まんじ」、「氷像」、「黄連雀」などの旭川ならではの季語を使用した郷土色豊かな俳句と、(引用者中略)ネガティブな境涯を詠んだ俳句と、これからの超高齢化に先駆けた「老いの俳句」がほどよくミックスされて進化を遂げてきている。
と結論する。

四〇〇句を通読してなかでも強く感じるのは郷土性で、これは特に、年四回刊行の時代の句に顕著なようである。

角曲がるたびの雪嶺訃の使ひ 天内雅枝(一九七八年、創刊号)
氷像展魚族のごとく通り過ぐ 松橋孔太(一九八〇年、通巻一〇号)
雪まんじ追はれ来し日を明日へ追ふ 畠山廣子(一九八六年、通巻三五号)

一九七〇年代後半以降という時期に、深谷雄大とその周りの作家たちが、北海道で郷土にこだわって作句していたのは記憶しておきたいことがらだろう。一般に郷土と俳句ということで言えば、八戸の村上しゆらが登場して「風土俳句」が云々される一九五〇年代が最初の盛り上がりで、以後、俳人たちの大きな関心となって浮上するのは、一九九一年から一九九四年にかけて角川書店が『ふるさと歳時記』シリーズを刊行するのを俟たねばならない。宮坂静生が「地貌」の概念を主唱し、知られるようになるのは二〇〇〇年前後である。

だが、この間隙の時期にも各地方で各作家が努力を続けていたわけであり、その一例が「雪の雄大」という二つ名もある深谷雄大率いる「雪華」だったということだ。尤も北海道にあって「雪華」のみがこの志を持っていたわけでは当然なかろう。塩野谷秋風『新選俳句季語集』(霧華発行所、一九四六)から木村敏男『北の歳時記』(にれ叢書、一九九三)に至るまで、道内の俳人が、北海道の風土に合致した歳時記を編むことに腐心した事実からもそれは推察できる。

深谷雄大の俳句を読む/附一〇〇句抄出(五十嵐秀彦)
橋本喜夫の俳句を読む/附五〇句抄出(籬朱子)

この二つの節は主宰二代の作品抄出と作家論である。抄出は論者が句集単位で抄いている。これは非常にありがたい。なにせ深谷雄大という作家は一四冊も句集を出しているし、逆に橋本は二〇〇五年に『白面』という第一句集を一冊出したきり。「雪華」の会員にも両主宰の句業を通覧したことがないという方がおられるのではないかと察する。いわんや誌外の読者をや。結社誌の記念号ではまさにこういうのが読みたいのですよ。僕なんて地元なのに雄大さんの句集は邑書林句集文庫に入っている『定本 裸天』(一九九八)しか読んだことないもん。

一点、欲を言えば、句集の書誌情報(版元、刊行年)は知りたかった。「評論まつり」を催す結社なればなおさらである。以下、本稿では適宜補って示す。

作家論は読者諸氏ご自身に確認していただくとして、筆者が好きな句。

ラムネのむ喉へ汽笛が殺到す 雄大『裸天』(思潮社、一九六八)
母の死の夜を坩堝なす雨氷音 同『日の川』(雪華社、一九八八)
荒星を消す天涯の死者の数 同『寒烈』(現代俳句協会、二〇一四)

現代詩から出発したという雄大。郷土という問題意識を抱えながら、それを抒情という自身の資質の中で消化していったと思しい。一句目は若書きの句。ラムネの気泡を「汽笛」に例えるモダニズムには懐かしさも覚える。

地球史に人類見つけがたく春 喜夫『白面』(文學の森、二〇〇五)
花過ぎのくすしにもある店終ひ 同『白面』
天上は善人ばかり蠅叩 同『白面』
俳諧よ半身相撲のしぶとさよ 同『白面』以後

「銀化」同人でもある橋本。作風は中原道夫の影響の方が強いようにも見える。三句目の季語の付け方とかそうでしょう。善人ばかりのとこに行っても退屈だよ、とか思いながら、蠅叩で殺生。

なお籬朱子による喜夫作品五〇抄出中にある〈昼の灯にとどめなき海霧霧多布〉(『白面』所収)は〈昼の灯にとめどなき海霧霧多布〉の誤りです(原典で確認済み)。

雪華四〇周年記念座談会「俳句の未来・俳句における評論の意義を語る」

当年三月三一日に札幌市内のかでる2・7において催された座談会の文字起こしである。外部からは堀本裕樹、月岡道晴、「雪華」内からは橋本(司会)、五十嵐秀彦、松王かをりが出演している。〈現在の俳句、将来の俳句を見据えて、現在ご自身が注目している俳句、あるいは、現在一番、愛唱している俳句〉(橋本発言)を五句ずつ提出するという形式で行われている。また短歌でもよいということになっており、これは月岡が歌人であるという事情によるものだろうが、結果的に座談会では五人がそれぞれ俳句と短歌を五点ずつ持ち寄っている。愛唱作も可という不思議な条件があるため、話題は拡散してしまっているようにも見えるが、やはりこの手の、一句ごとにこだわった話題は読んでいて楽しい。

月岡が柿本多映〈日の蝕や髪はいつより吹かれけむ〉というマイナーな作品を挙げており、なんでまたこの句を……などと思っていたら、〈「や」「かな」「けり」が使いやすいからこればかりを使うのだけれども、もっとバリエーションを日頃から多く実践してみてはいかがでしょうという、そんなおすすめをしてみたい〉とのことで、なるほどその通りだと得心した次第。ちなみにこの句は現代俳句協会のデータベースで検索して発見したらしい。

松王かをりはgAIの〈卒業のおほきな幹が濡れてゆく〉を挙げている。gAIとは大塚凱のおよそ五千句を学習した北大工学部の俳句AIである。この句に関わって座談会ではAIの俳句が話題になる。現状は発展途上という趣の俳句AIで、座談会でも「まだまだこれから」というムードになっているのだが、〈作者のいない文芸って何の意味があるのか〉(五十嵐)という問題提起があったのは興味深い。何の意味があるのかといえば、本来何の意味もないはずだ。単に日本語の言語処理をAIに組み込もうという工学研究の側のツールとして俳句が選ばれているだけだから。すでに旧聞に属する囲碁AIの開発過程にあっても、卓抜な性能を持った「AlphaGo」シリーズが人類の棋士を打ち負かしたさい、主導権が研究者側にあるために肝心の棋譜が囲碁界にわずかしか提供されなかったという話がある。

しかし純粋に囲碁のルールのみを学習し、棋譜は読んでいないという「AlphaGoZero」が一定の成果を上げるに至り、現役棋士たちはパラダイムシフトを強いられ、囲碁AIから人間が学習するという機運すら高まっているのである。いずれ俳句AIの研究が進んだ暁には、定型というルールと『図説俳句大歳時記』の解説と『日本国語大辞典』だけを学習して名句を吐くAIが登場する、ぐらいの想像力はいまのうちに持っておいたほうがいいと思うのだが。AIは道具なのか、疑似的な人権を持つのか、といった議論はあちこちでこまごまと進んでいる。その意味で堀本の〈AIが人間性を持ち得てきたときの俳句というのは、結構すごいんじゃないかなと思います〉という感想は一つの見識だろう。

座談会の後半は〈評論の意義とは〉がテーマで、ある意味ではお定まりの評論不在の話になっている。中上健次や山本健吉などの名前が挙がったあと、月岡が、穂村弘を広める一端を担った山田航の例を挙げているのだが、それに応じて橋本が〈俳句の方でもし期待するような人がいるのであれば、実名を挙げて……〉と問いかけるや、パネリスト一同、〈うーん…〉と沈黙。

健吉ほどの大評論家はいなくても、穂村弘を紹介した山田航に匹敵する論者であれば、没後すぐに金子兜太の詳細な年譜を書いてみせた田中亜美、月並宗匠から「オルガン」までを扱う青木亮人、現代俳句はなんでもござれの読み魔・関悦史、俳諧研究出身で最近は万太郎や龍太を読み進めている髙柳克弘、「俳句新空間」「俳句」に続いて今は「現代詩手帖」で時評を書いている外山一機などなど、目利きは何人もいる。「俳句」で井上弘美がもう二一回も連載している「弘美の名句発掘」などは、時評的機能を持った優れた同時代批評である。俳句史を見渡す包括的な視点を持った論者としては、河出書房新社の池澤夏樹編「日本文学全集」の『近現代詩歌』(二〇一六)で俳句の選と解説を担った小澤實にも注目したい。これらの作家の散文がすぐれた評論に値しないとは思えないのだが、どうなのだろうか。(ただし関については橋本が座談会中に〈評論はもう少しわかりやすく書くべきだと思いますが、凄いです〉と言及している)。

評論まつり

会員による長短さまざまな八本の評論が掲載されている。「形而上的俳句の名句化――河原枇杷男小論」(橋本喜夫)、「開かれた書物、堕胎された言語」(五十嵐秀彦)、「メディアにおける〈公界〉と〈無縁〉」(同)、「不在の死」(同)、「未来へのまなざし―「ぬべし」を視座としての「鶏頭」再考―」(松王かをり)、「龍之介句を読む―最後の講演旅行から絶筆へ―」(同)、「『おくのほそ道』永遠の旅人(The travellers of eternity)は誰?」(籬朱子)、「女性俳人はなぜ肉体感覚の表現が巧みなのか」(長谷川忠臣)の八本である。評論不在という情況に一石を投ずべく企画されたものなのだろう。一次資料を豊富に引用する松王の二作に惹かれた。

雪華四〇周年記念俳句大会・祝賀会

当年五月二六日に旭川市のアートホテル旭川で行われた結社大会の詳報で、坂野榮子による大会レポート(これがまた、大会の全発言が事細かに文字起こしされている)と、中原道夫による記念講演「能村登四郎・その人」の文字起こしからなる。雄大の結社に、現主宰のもう一人の先生が来ちゃうというのが自由でいいよな。

中原の講演は能村登四郎の生涯を裏話交じりに語った漫談。え、これ著者校通ったんですか? とこっちがひやひやしてしまうような話の連続で、演題が「その人と作品」ではなくて「その人」になっているのもむべなるかなである。

穏やかな話を少しだけ搔い摘みます。
(中原中也記念館からの帰路――引用者註)そのまま銀座に帰ってきて鈴木真砂女の店に行って「おかあさんねぇ、あんたと中原中也どっちが年上だと思う?」って訊いたら「なぁに言ってんのよ、中也の方に決まってんじゃない」っていう返事がすぐに返ってきました。実はこれもタイムトリックでありまして、中也の方が真砂女より生きていればでありますが、若いです。
(主宰誌「銀化」創刊後も――引用者註)林翔先生が生きているうちは、同人を抜けないようにして、会費は納めてました。
ね? 面白いでしょう? 続きは本誌で。

なお二〇八頁の〈東京柳句会〉は〈東京やなぎ句会〉が、二一〇頁の登四郎の句〈春ひとり槍投げて槍に歩みよる〉は〈春ひとり槍投げて槍に歩み寄る〉がそれぞれ正しい表記です。



以上、駆け足ながら特集パートを紹介してみた。ちなみに本稿表題の〈北海道に「雪華」あり〉は、橋本の「巻頭句からみた「雪華」の四十年の歩み」の末尾にある〈ゆくゆくは「北海道に雪華あり」と言われるような俳誌に育ててゆきたいと切望している〉という所信から採った。この一号で存在感は少なからず示しているのではないだろうか。

特集のボリュームだけではない。会員数も増加している。記念大会での橋本の挨拶によると、二〇一六年の主宰交替のタイミングで五〇人を切っていた投句者は、引き継ぎ後の現在では七五人になったという。講読会員を含めると六〇人の新会員を得たそうだ。雑詠欄を見る限り、その面々には橋本や五十嵐が関わる俳句集団【itak】の参加者が一定数いる。〈結社や経歴を超えて集まった集団〉(【itak】公式ブログ(itakhaiku.blogspot.com/ )のプロフィール欄、二〇一八年九月七日最終閲覧)を標榜する以上、人脈の重なりはやや気にならないことはないが、福井たんぽぽ、田島ハル、柊月子、三品吏紀ら、これまで句会の現場やインターネットをベースに活動してきた層の作家が、紙媒体である結社誌に定着したというのは興味深い。

最後に、通常の作品欄から、心に残った句。

臥す夫へ苺真つ赤につぶしゐる 三国眞澄
取り出せぬラムネの玉と炉心かな 青山酔鳴
流れくるメロンの薫り仏間より 澤谷泰枝

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