【句集を読む】
別の場所から別の句が
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』の食べもの句
西原天気
ページをめくっていくつかの食べもの句にさしかかったとき、別の場所から別の句が到来した。
(はじめにはっきりと、蛇足とは知りつつ言っておかねばならない。ここで話題にするのは、いわゆる類想やら類句、既存句といった事態とはまったくの無関係)
さて。
麺麭が吸ふハムの湿りや休暇果つ 岡田一実
冬空やサンドヰッチのしつとりと 田中裕明
時空を隔てた場所でサンドイッチの湿りが感受されたという悦ばしい事態。
かたつむり焼けば水焼く音すなり 岡田一実
エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く 金原まさ子
時間経過として、こう並べるのがただしい。
前者、殻の中の水分がぷつぷつと煮える音なのだろうが、殻からの熱伝導の激しさを思えば、「焼く」は妥当。クローズアップが効果的な一句。
魚焼けば皮に火の乗る暮春かな 岡田一実
春ふかし鰥といふはさかなへん 八田木枯
このふたつは内容的には無関係。なのに、近しさを感じるのは、なぜだろう。不思議。
おそらくは、魚という共通項と、そして、季節(暮春、春深し)との照応の具合。なんともいえぬ〈情〉が伝わる。後者、死別という背景からしてなかば当然として、前者は事象を述べる/描くのみにもかかわらず、じんわりと〈情〉がにじむのは、やはり季語の効果と認めないといけないのか(認めたくないけど。機能主義的な季語理解に落ち着きたくないけど)。
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なお、ここに書いた2句の出会いは、作者側ではなく読者側の出来事として捉えている。作者が何かの句を下敷きにするとか、踏まえるとか、そうした方法論・技術論の話ではなく、読者が味わう経験の話として。
遠く時空を離れた二句が、自分(読者たる自分)の手のひらの中で隣り合う。別の場所で鳴っていた二句が目の前で交響する。これはもう、読むこと愉しさ、読むことの快感。
言うまでもないが、読者が違えば(つまり、私以外の誰かが読めば)、また別の出会いや交響がある。これはもう無限に、ある。
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