2019-02-10

成分表79 声 上田信治

成分表79 声

上田信治

「川柳スパイラル」2号(2018.3)より改稿・転載


妖怪や精霊といった存在についての語り部であった漫画家・水木しげるは、彼らの存在を確かめ記録するために、東南アジアや南米のジャングルを繰り返し訪れ、聖地と呼ばれる場所の環境音やそこで行われる部族の儀式を、テープに録音した。

日本でそれを聞くと、自室にいながら現地での感覚が呼び起こされて、自分が精霊になったように感じ、木になったり石の中に入ったりできるのだそうだ。そして、精霊や妖怪はつまるところ音としてあらわれる、人は古来、特別な音の響き方をする空間を祈りの場所としたのだろう、というようなことを書いていた。

引っ越したばかりの土地に、よく名を聞く神社があったので、参拝をした。

装束をつけてあらわれたのが、高校生にしか見えない若い人で、巫女さんのバイトは当たり前だけれど、まさか神主さんがと思っていたら、彼は、祝詞を、しずかに聖書でも読むように(つまり素読みで)「かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ、つくしのひむかのたちばなの」と唱えはじめた。

若い人がいかにもな祝詞らしさに抵抗があることは、心情的に理解できるのだけれど(自分の俳句の方法も似たようなものだ)、その祝詞が、神様に届きそうな気がしたかと言えば、全くしなかった。

祝詞は、あの発声で、空間的なものを、いきなり立ちあげる。そして、そこにいる私たちを、共同的な記憶の場に参入させる。

典型を迂回すれば「自分の」祝詞になると考えるのは素人の発想で、何かを取り除いたら、同時に何かを持ち込まなければ、表現は成立しない。あの発声を使わずに神掛かろうとしたら、おそらくよっぽどの切実さが必要だし、同時に、スタイルの発明が行われなければならない。

切実さと新しいスタイルは切り離せないもので、たとえば、セックスピストルズで登場したジョニー・ロットン(ライドン)の歌唱には、あの口先でゆがめた発声がふざけて聞こえないだけの、切実さがある。同じように口先でゆがめたミック・ジャガーの歌唱からは、電車の車掌さんのような職業性、あるいは芸能性が感じられるのに。

要はその声が、その時、祈りとして成立しているか、どうかだ。

神はだいたい沈黙しているので、その成否は、自分で「返り」を聞いて判断しなければならない。

あるとき山中をドライブしていて、小さな人工湖に心をひかれ、車を止めた。

写真を撮ろうと、ドアを開けたら、そこはいくつもの種類の声が重なり響く、ものすごく鳥が鳴く場所だった。その空間では特別に声が響くということを、鳥は知って歌っているのだと思った。

ところで、私たちの表現が向けられる「空間」とは、じつは、いつでも「時代精神」なのではないかと思っている。

  その森にLP廻っておりますか   石田柊馬


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