【歩けば異界】①
新世界
柴田千晶
初出:『俳壇』2017年3月号「地名を歩く」
大阪を舞台に女子高校生が芸能界のドンになるという漫画「女傑」の原作を書くため、取材を兼ねて、2002年の冬、通天閣のある新世界を訪ねた。
地下鉄御堂筋線動物園前で下りて、ジャンジャン横町を歩くと、串かつだるま、ホルモン道場、どて焼てんぐの看板が目に飛び込んでくる。呼び込みの声と、酔っ払いの高笑い、観光客の話し声が入り混じる真昼の商店街を、中村草田男の〈野の男外套胸より吹かれ開き〉といった風情の日雇労働者がゆらゆら歩いている。ここからあいりん地区も近い。
のんきやの関東煮の湯気の向こうで、大阪弁をまくし立てる男たち女たち。ニッカボッカ姿のたこ八郎やレオナルド熊、ズーズー弁の若水ヤエ子、清川虹子に似た老女もいる。もうみんな死んだ役者だ。
ジャンジャン横町は、飛田新地と新世界という、ふたつの異界をつないでいる。遊郭で魂を抜かれた男たちは、ジャンジャン横町をさ迷い、新世界で黄泉帰る。ここは死んだ人間が生まれ変わる地。
新世界の真ん中に、エッフェル塔に模した通天閣が立っている。HITACHIのエレベーターで、五階の展望台に上ると、幸運の神様、ビリケンがちょこんと坐っている。生まれたての赤子のように尖った頭をして。大きな口を結んだままにんまり笑うビリケンの顔は、どことなく叔父に似ている。家族を持たずに放浪し、最後は川崎の簡易宿泊所で、笑ったままの顔で死んでいた母の弟。
通天閣の地下には、地獄と呼ばれた囲碁将棋センターがあった。伝説の真剣師、大田学が一局500円で対局指導をしたという将棋の聖地。土日に開催される歌謡劇場では、通天閣を頭に乗せた歌姫、叶麗子が、「通天閣人情」を熱唱していた。
漫画「女傑」の舞台はこんな地獄がいい。廃れた大衆演劇の芝居小屋のイメージが次第に出来上がる。
通天閣から下界に戻ると、新世界はもうたっぷりと暮れていた。づぼらやの巨大なふぐ提灯が点る南本通をゆけば、ドヤ街の男たちであふれる立ち飲み屋に、ビリケンに似た叔父もいる。だれが死者で、いったいだれが生者なのか、もうわからない。串揚げの安い油の臭いが、地獄まで流れてゆく。
死相のみの幽霊はよし梅咲いて 草田男
写真:西原天気 ※今回異例。以降、著者・柴田千晶撮影の写真を掲載いたします。
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