【句集を読む】
万華鏡のような句集
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』 を読む
……上田信治
「俳句」2019年3月号より転載
再読、再々読にたえる句集だと思う。
その美質は、多くの要素が響きあう重層性から生まれている。
眠い沼を汽車とほりたる扇風機
蟻の上をのぼりて蟻や百合の中
開巻すぐの同じページに並ぶ二句。摂津幸彦を思わせるシュールな味わいと、髙野素十に倣ったような写生句を、一皿に盛って供するのが作者の方法で、ひょっとしたら、蟻が画家ダリの愛好するモチーフであることも隠し味になっての、この配列なのかもしれない。
岡田一実は1976年生まれ。第3回芝不器男俳句新人賞・城戸朱理奨励賞、第32回現代俳句新人賞を受賞し、現在「らん」に所属。本書は第三句集にあたる。
魚焼けば皮に火の乗る暮春かな
動詞が二つ。ことばの無駄を嫌う考え方からすれば、上五に魚の名前を入れて「○○の」としたくなるところだけれど「焼く」火が、皮の上に「乗り」移るという、小さな移動にこそ、この句の妙味はある。
蠟燭を灯しつ売りつ石蕗の花
暗渠より開渠へ落葉浮き届く
蠟燭のイメージが、単数から複数へ、夜から昼へと変化し展開していく語順の妙。二句目は暗から明への移動を「浮き届く」という縦と横を複合した動詞の身体感覚がトレースする。これも同ページに並ぶ二句。
多めの要素、多めの動詞、そして多くの方法が並行して試されているという特徴が、この句集に特筆すべき多彩さをもたらしている。
それは平成の流行をなした「言葉に無理をさせない」「余すところなく意味が分かる」書法からの「イチ抜け」であり、いわゆる昭和三十年世代の問題設定に対する「次の一手」でもある。
岡田一実は、その意味で、俳句の最も新しい書き手である佐藤文香、生駒大祐らと並走する関係にあるのだけれど、さらに言えば、河原枇杷男、三橋敏雄、永田耕衣、原石鼎、渡邊水巴といった大俳人の名前もまた次々と連想され、その印象は万華鏡のようだ。
海を浮く破墨の島や梅実る
海「を」浮く、は破格だけれど見事なフレーズで、水墨画の破墨の技法で描かれたように見えるその島は、海との関係において、自律的かつ非現実的に浮いているらしい。そこに上書きされる梅の実の色彩と量感。
具体世界の豊穣と言語的冒険、さらには濃厚に心理的なものまでを指向する重層性を持つ、この書き手に、今後も注目したい。
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