俳句とアニミズム
波多野爽波──原始彫刻と怪人の笑い
上田信治
『澤』2018年7月号「特集/俳句とアニミズム」より転載
甜瓜握りて鶏舎の前通る 『一筆』
波多野爽波の、この句にはアフリカを感じる。「アヴィニョンの娘たち」のパブロ・ピカソに決定的な影響を与えた、原始彫刻のアフリカだ。
ピカソ自身は、こんなことを言っている。
それら(原始美術)の仮面や文物は、彼らを取り巻く恐ろしい力との間の調停として、形と力を与えられ、恐れと畏怖を乗り越えるために、神聖な魔力的目的で制作されたのだ。この瞬間、私は絵画とは何であるかを悟った。絵画は美的操作ではない。それは、(…)我々の欲望だけではなく、恐怖に対して与える形であり、つまり力の形なのである。(『ピカソとの生活』F・ジロー/他 一九六四年)
アニミズムと呼ばれる思考は、人間がまだ弱く、自然や世界に圧倒的に負けていた時代に生まれた。彼らの彫刻の激しくデフォルメされた形象が、恐怖に充ちた世界と闘い、また和解するためのものであることを、ピカソは直感したのだ。
甜瓜の句。農家の庭先を通る人の無意識の行為が言葉に置き換えられるとき、その人と世界の間にずれが生じる。自分は何をしているのか。
その意識のずれに現場の全てが照応している。甜瓜の手応え。小屋の中の鶏。外は明るく中は暗い。鶏は自分を見ているかもしれない。
意味は無い。しかし、これがピカソの言う「力の形」でなくて何だろう。
彼の記述は、虚子なき世にあって、すでに届けるべき宛先がない。あるとすれば、その記述を強いる世界そのものが宛先だ。だから、この句は、まるで世界のように無意味で馬鹿馬鹿しいのだ。
人間を圧倒する諸力を打ち返すために、あの仮面を造形したアフリカの人の心と、同じ孤立無援のタマシイがこの句には露呈している。
世界とつり合うほどの無意味さを、世界にそのままお返しする。それが爽波の写生だった。
関西前衛派との交流以降、句集でいえば第二句集『湯呑』以降の爽波の二物配合には、異様な迫力と不気味さが加わる。それは、無意味な世界の一部としての生きることの、苛烈さの報告である。
葵咲きのぼり石鹸箱が空ら 『湯呑』時代
世界は馬鹿馬鹿しく苛烈で、それなのに呆れるほど美しい。咲きのぼる花の運動の先にある夏空。その宇宙的空虚につり合うものとして、空の石鹸箱がある。アニミズム的には、石鹸の泡立つ白い力が植物の運動へ貫入し消失したと言えるだろうし、その全体が季節の力に駆動されているのだとも言える。
掛稲のすぐそこにある湯呑かな 『湯呑』
「すぐそこにある」と記述した主体であり中心であるはずの人間の存在はほぼ消えて、主人の位置には湯呑がある。二つの「もの」の関係が、中心のない危ういバランスを保ちつつ、まるで永遠のようにそこにある。そして、その空間を秋の空気が満たしている。
ここに至って、爽波の写生は、視覚像の言語化でもなければ、自然美や生活感情の肯定的確認でもない。「自然」や「もの」の、ただナマナマとした姿、動的関係や力の相のもとにあるそれを現出させることに、価値の中心はある。そのとき、十七音の言葉の塊は、無意味な世界を無意味なまま、美として、あるいは驚きとして統合する。
爽波にアニミズムがあるとしたら、それは、彼が日常意識を離れ、ひどく深い次元で「自然」がその姿をあらわすことを待っていたということの帰結に他ならない。そこは蛇笏のような自ら「霊的」表現を企図する作者とは異なるところだけれど、しかし、爽波が写生を突きつめ打ち開いたのは、例の、人間を圧倒する諸力が行き交う場であった。
西アフリカのサバンナに暮らす部族に認められ、シャーマンの修行を経験した日本人画家の言葉を引く。
(シャーマンが)自らの内的野性に触れながらこれと官能的に一体化することは、人間が内的空間において野性的な自然を人間の自然としての文化に転位させることであり、結果的にこれを統べる力を得ることを意味するのです。(『文化のなかの野生』中島智 二〇〇〇年)
つまりシャーマンは一種の「狩人」だと考えていただきたいわけです。狩人というものに求められている感覚とは何でしょうか。それは一言で言えば自らを消滅させる能力です。(同)
世界を取り込むとも世界に移入するとも表現できる一種の「熱情的忘却」によって大量の情報が「他者的世界」から流れ込んでくる。(同)
ここでシャーマンの技法、あるいはシャーマン体験として語られている内容は、爽波の写生論そのものだ。
どんどん書いていって身体じゅうのアクを抜いていって、だんだん「モノ」に近づいていって、そこで漸くハッとするような「もの」との出遭いに到達する。(波多野爽波全集第三巻「対談・座談」より)
究極のところは向こうから来るものを「待つ」という、謂わば対象を深く見つめながら徐々に自分の心をとぎすまして、自分の「心の鏡」に向こうから映ってくるものを待つ(…)「追う」という意識は写生の過程で強く働いているが、句が制作されるその瞬間においては結局完全に打ち消されているわけですね。(同)
僕は今、何かしら非常に目の前が明るいわけですよ。長いブランクみたいな期間を経てきてね、本当に自然と言うものに対して自分がこう、分け入っていけばきっと驚きに出会うんだと、出会えるんだという確信めいたものがだんだん培われてきてね。(同)
シャーマンがダイブする最も深い心的領域と、爽波が分け入っていくそこが、おそらく同じ場所なのだ。
爽波自身は理屈が嫌いで、日常においてはおそらくガチガチの現実主義者(そうでなければ〈凍鶴に立ちて出世の胸算用〉〈雲の峰小型タクシーよく稼ぐ〉〈理屈などどうでもつくよ立葵〉とは書かない)。モチーフも、目に入るものを何でも書けばいいという考えに違いなく、アニミズムの象徴理論などには、耳を貸してくれそうにない。
たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん 『一筆』時代
しかし自分は、たとえばこのような句に、アニミズム的思考が働いていないとは思わない。
たんぽぽもヨーグルトもシンボル事典の類には立項されていないけれど、たんぽぽという幼さを思わせる植物と「ヤクルトのおばさん」という女性像を二重写しにすると、イメージの別次元が動き始める。その制服は幼稚園のスモックめいているのだし、この人は労働から解放されて自由で明るく、そして何より、こちらに向かって「くる」彼女は、これまで何をしていたのか、たんぽぽの野のむこうで?
彼女は、幼女とおばさんをつなぐ時間を越えてきたのだ。
複雑に隠蔽されているけれど、この句には艶笑性と呼ぶべきユーモアがある。これは没価値的に見える爽波の「ただごと」が、あらゆる深層の思考とイメージの通底を駆使して、構造を成立させていることの一例である。
箴言に「汝が深淵を覗き込む時、深淵もまた汝を覗き込んでいる」と言うけれど、世界を交通し貫通し続ける力に、自らが貫かれる(それこそが爽波にとって写生の実践ではなかったかと思われる)そのとき、人はどうなるか。
たぶん、その人は笑う。
「笑い」は、爽波俳句のアイコンだ。ものすごく目立つ上、ほとんど誰にも似ていない。たとえば、その「笑い」は、山本健吉の「会得の微笑」とはほど遠く、知的操作も自己憐憫も価値紊乱もその本質とは思えない。
(変性意識状態にあっても)消去しえない一点が私の「玄」だとすれば、それは恍惚と死を同居させた一種の内なるカーニバルでもあり、私を彼岸の笑いに包み込むものです。この時、私の意識は既に私のものではなく、この笑いそのものであり、笑いの波によって激しく明滅しているのがわかるだけです。(中島前掲書)
爽波の「笑い」は、子供番組のヒーローや怪人のわははははははははというけたたましい高笑いに似ている。それは、大きな力と一体化や、自我の爆発的拡大にともなっておとずれる、禅僧の呵々大笑のような笑いだ。
春暁のダイヤモンドでも落ちてをらぬか 『舗道の花』
秋草の中や見事に甕割れて 『湯呑』
親切な心であればさつき散る 『湯呑』
福笑鉄橋斜め前方に 『骰子』
いろいろな泳ぎ方してプールにひとり 『一筆』
裂かれたる穴子のみんな目が澄んで 『一筆』
第一句集のエピグラフに「写生の世界とは自由闊達の世界である」と記した爽波は、自分があまりに自由なので、きっと生涯笑いが止まらなかったのだ。
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