2019-05-26

俳句のライトヴァース 波多野爽波──速度がもたらす直接性 上田信治

俳句のライトヴァース
波多野爽波──速度がもたらす直接性    

上田信治

『傘』2号「特集・ライトヴァース」(2011年)より転載
「速度がもたらす「世界」」改題

波多野爽波(1923ー1991)の晩年には、軽いと言うのもばかばかしいような、いくつかの句がある。

だから縕袍はいやよ家ぢゆうをぶらぶら  『一筆』時代
月今宵犬猫病院急患あり
たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん
お昼頃ラクダのシャツの干されけり    『一筆』以後
肝つ玉母さん賀状書きに書く

これは、いったい何なのか。

爽波の俳句の言葉は、同じく大正十年前後の生まれである、龍太、澄雄、兜太、晴子、湘子、敏雄、六林男らと比べて、とても「軽い」。

同年代の彼らにしばしば、戦後詩に並走するような熱気や重さ、晦渋さや生真面目さが見出せることを踏まえれば、爽波を、昭和俳句におけるライトヴァースと呼ぶことは、あながち間違いではない。

爽波の持つ軽さは、彼が育った昭和十年代の「ホトトギス」誌上に、例えば風生、杞陽、左右らの作風として既に開花していたもので、とすれば、爽波、泰、零、秋をといったモダンボーイ達は、戦前の都市文化・大衆文化の拡大の、戦後への延長を生きたのだろう。

そして、その系譜は、いったん途絶える。

爽波の後期の二句集『骰子』(1986)『一筆』(1991)は、「他結社の若手がこぞって読んだ」という証言もあり、一部で熱狂的に支持されたらしい。しかし、その二句集とそれ以前の『舗道の花』『湯呑』の、代表句を比較してみれば、爽波は全く変わっていないことが分かる。

作家の関心は一貫して、感情を排した物、人、それらの関係から生じる、サムシングの追求にあった。

要は、時代思潮の方が変わったということで、軽さが価値として語られるのは、常に、重さに対する反動としてなのだ。



冒頭の「軽いと言うのもばかばかしい」いくつかの句に戻るが、。「俳句スポーツ説」と「多作多捨」で名高い爽波のこれらの句が、その自動筆記的作句スタイルから生まれたことは想像しやすい。

〈だから縕袍はいやよ〉は〈脱いである縕袍いくたび踏まれけり〉〈縕袍着て鏡にぶつかりさうになる〉〈縕袍着て一人息子はアメリカに〉他計六句の縕袍の句と共に「青」昭和六二年一月号に掲載されている。

田中裕明が「爽波のヒューマンインタレストの句」と呼んだのは、〈おでん煮えさまざまの顔通りけり〉〈巻尺を伸ばしてゆけば源五郎〉〈大金をもちて茅の輪をくぐりけり〉(『骰子』)〈壺焼が運ばれてなほ浮かぬ顔〉〈黄あやめや紙幣のやりとり盆の上〉(『一筆』)のような句のことと思われるが、これらの句も冒頭の句も、いわゆる「ヒューマン」な内容ではない。

そして、アンチヒューマニズムといえば虚子だけれど、虚子句の気宇壮大さ、対人的な非情さといった特徴は、爽波には見られない。

言わば虚子の場合、自分が大きすぎて他に対して非道い人になってしまうのだが、爽波の場合は、逆に、句中にあまり自分というものがないために、ヒューマニズムが発生しないように見える。

というか、爽波の句には、心理や感情のようなものを書いていても「何か」がない。何か大事なものを書かずに済ませているという感触がある。

だから、鳥の巣に鳥が入っていくように、おでんの向こうを顔が通っていくのだし、ソース瓶と野分の無関係が、茅の輪と大金の、黄あやめと紙幣の無関係に延長される。

その「何か」を書かないことが、爽波にとっての写生だったのだ──と考えてみる。



かなしみの我ら兄弟夏休〉(『舗道の花』)は、爽波二十三歳、母の急逝に際しての句だが、ここには明確に、その「何か」が書き込まれていて、爽波句としては例外に属する。

誰だかさっぱり分からないものに巻尺を引っぱらせるか、作中主体を〈かなしみの我ら兄弟〉と念入りに輪郭づけるかの違いである。

主体を輪郭づけることは、意識の二重化を伴う。

主体に移入する自分と、それを「書きつつある」自分が生じてしまうわけで、写生の徒として爽波は、それを許し難い遅れであると断じるだろう(〈壺焼〉の句には、書く自分と主人公としての自分の分裂が現れかけている)。

しかし、意識を、生きて動いている主体のモニタリングであると考えれば、物を考えることも言葉を使うことも、それ自体、生の二重化に他ならない。

爽波が写生として実践したことは、その二重化を回避しつつ、直接性への接触を希求することだった、と言えないか。

それは、あらかじめ不可能なことのように思えるが「もの」とナマに直面しているかの如き錯覚」「強度の手応え」「見て見て見尽くすことによって、その場所に於ける己が見えてくる」といった彼の写生論の言葉は、正に作家がそれを志向していたことを伝えている。



それをいきなり書くために、爽波が専らに使った「道具」は、筆記の「速度」であった。

書くことは「ほぼ」意識に追いつかれてはならないので、その速度は、ときに季題や文語や、その他の形式的なものを抜き去って置き去りにしてしまう。

その結果が、ぱっと見、アウトサイダーアートのようであったとしても、それは俳句の一つの究極であると言えるだろう。

だから縕袍はいやよ家ぢゆうをぶらぶら〉〈縕袍着て一人息子はアメリカに〉のような句においては、発生しかけた主体の輪郭が速度に振り切られ崩壊し、結果として、新しい人間像と危うさの漂う日常が描出されている。

たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん〉は、自己意識をはるか後ろに置き去りにした、生の直接性の記録だろう。

生の直接性とは、自分はなぜ、こんなにおばさんの句ばかり書くのか、ということでもある。

「写生の世界は自由闊達の世界である」波多野爽波  




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