【句集を読む】
目が覚める
大森藍『象の耳』を読む
西原天気
目が覚めるときの、あの感じ。と口に出すと、お互いにわかり合えるような気になるが、はたして、あなたと私は、似たような「感じ」を、あるいはイメージを感知しているのだろうか。
ドラマなどで、眠りから覚めるとき、まずぼんやりと天井が見え、あるいは人の顔が見え、それがだんだんとはっきりした像を結ぶ、といったシーンをよく目にするが、私自身に、あの「感じ」は、ない。だったら、どんな? と問われると困ってしまうが、つまり、目覚めるとき、私たちは、ばらばらにさまざまな感覚にいるのかもしれない。
三月の空の切れはし麻酔覚む 大森 藍
「空の切れはし」を、具体的・現実的に、例えば、窓に区切られた空と解するのも悪くはないのだろうが、それだと、あの(といっても、それは前述のごとく、私個人の話に過ぎないのだが)、目覚めの「感じ」とはすこし違う。切れはしは、空といういわば布一枚の青さの、文字どおり切れはしと、《そのまま》解したほうがいい。それが、目覚めのきわに、ふわりと訪れる。
この作者の目覚めは、明るく、青い。
一睡のあとの日の斑や春の風邪 同
目覚めてからすこし時間が経って、というより、直後のほうが、「日の斑」にはふさわしい。この目覚めも、明るい。
目覚めが明るいのは、当たり前のことだが、私たちが句で味わうのは、明るさという事実ではない。明るさの機微のようなものだ。どんな、と問われて、ひとことで明答できないような明るさ。
朝顔の紺や百万都市夜明け 同
この句もまた、目覚めの句。一人の人間に、ではなく、都市という場所に、膨大な数のまぶたに訪れる目覚めの景として、心にしみわたる。
大森藍句集『象の耳』2019年3月/金雀枝社
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2019-05-05
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