俳句の自然 子規への遡行 65
橋本 直
初出『若竹』2016年6月号 (一部改変がある)
引き続き、俳句分類丙号の呼応関係の分類について検討する。前回確認したとおり、子規の使っている「係結」は、今日におけるいわゆる「係り結びの法則」のこととは異なり、文法上の「呼応表現」全般を指している。今回はまず、「の係けり結」。全部で四十一句分類されているが、まず、現在の俳句界では主に「上五、中七、下五」と言われる呼称を、子規は「一句、二句、三句」と書いていることを断っておく。この呼応を、①「一句ト二句」、②「二句ト三句」、③「一ト三・同句」というように、呼応の場所ごとにさらに下位分類し、十三句、十四句、十四句に分けてある。なお、三つ目の分類中の「同句」は、中七の中で「の・けり」の呼応になっているものをさし、五句ある。二句ずつ例句をあげる。
①実石榴の歯をこぼしけり秋の風 茶良
鶯の嘴洗ひけり紙屋川 暁台
②白菊の白きに友の来ざりけり 為貞
花木槿折手に妹の狂ひけり 都雀
③畠主のかゝし見舞て戻りけり 蕪村
羽を当て鷲の過けり凧 闌更
最後の闌更の句が「同句」の例である。なお、暁台、蕪村、闌更はいわゆる天明調の俳人。そのせいか、このような「の、けり」の呼応は、現在でもポピュラーなものであり、読んで違和感のある句は少ないように思う。
次は「の係なりたり結」で十句分類されている。句中のどこかで「の」と「なり」または「たり」の呼応が見られるものである。数例あげる。
紅梅に馬具の見えたり小玄関 元壽
山蟻のあからさまなり白牡丹 蕪村
何となく地を這ふ蔦の哀なり 越水
なお、十句の内訳は多い順に、「なり」が句末のもの五句、「たり」が中七末のもの三句、「なり」が中七末のもの二句。
次は「の係し結」一七句。①「除ケリ結」と②「除一ト二」に下位分類されている。前者はサ変動詞に接続する「~しけり」を除く、の意で「しけり」の句は前述の「けり」の方に分類されている。後者は上五の「の」を中七の「けり」で呼応するものは除く、の意で、そちらは前者に分類されている。それぞれ二句ずつ例をあげる。
①新米の阪田は早し最上川 蕪村
口上のけさは短し氷室の日 木五
②買手より売手の涼し心太 二荻
明いそく夜のうつくしや竹の月 几董
次の「の係かな結」は以下の一句のみ。
山鳥のさわくは鹿のわたる哉 暁台
その次は、「誰何係結違法」と題され六句分類されている。この用語はおそらく子規独特のものであり、どういう意味かわかりにくいが、疑問詞の呼応のことをいう。
月今宵何を限りに鎖すべし 應美
祭酒と誰名付たる濁り哉 傘下
いかにして真中刈るべき深田哉 隼石
誰住て樒流るゝ鵜川哉 蕪村
我宿にいかに引べき清水哉 同
何として張良逞し橋の霜 盧元
前回触れた松平円次郎著『新定日本教科書』によれば、文中に「誰」「何」「いかに」「いつ」「どこ」などの疑問詞が用いられている場合、現在の係り結びの法則とは別に、「誰が車ならむ」「何とすべきか」のように、原則として結びには「む、らむ、か、ぞ、や」が呼応するものとされていた。「違法」とあるのは、これら六句がその意味では例外であるということである。例えば一句目なら、疑問詞の「何」は原則に従えば結びは「べし」ではなく「べき(か)」等になるのが正しいことになる。この項は、いわゆる結びの省略や流れにあたるものと考えていいのであろう。
次に「ぞやかの係る結」。「ぞ」、「や」、「か」はいわゆる係結びの法則をつくる係助詞であるが、ここでは「なむ」と「こそ」がない。「こそ」は数が多いため後に別枠で分類されているのだが、「なむ」は分類されていない。見つけられなかったのかもしれない。八句分類されているが、ここでは一例ずつあげる。
鯖焼かば曇りもぞする盆の月 古巣
喜びの色にや笑める春の山 宗因
又も見る闇かは花のあかりなる 秋之坊
なお、「か」はこの一句のみで、あとは「ぞ」が五句、「や」が二句である。この後一旦、係結びの表記はなく「『る』(毎句最終字)」と題された分類が挟まれ、七句分類されている。
行春を近江の人と惜みける 芭蕉
初雪やまづ馬屋から消そむる 許六
文箱の先模様見る衣配り 曾良
星の夜や寝られぬ罪や蚊かはいる 来山
青柳や是貫之が絲による 窓柳
堀川や水滴ながら月澄る 可楽
夕顔や実のなる果は不形なる 古道
この分類はどうもすっきりしないのだが、係助詞「や」の結びと、句歌の技法としての連体終止がまぎらわしいものを中心に、「る」で分類しようとしたものかと思われる。
(つづく)
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