2019-07-28

【歩けば異界】⑤我老林 柴田千晶

【歩けば異界】⑤
我老林

柴田千晶
初出:『俳壇』2017年7月号「地名を歩く」
掲載にあたり一部変更したところがあります。

我老林(がろうばやし)は、山形県鶴岡市を流れる赤川西岸に位置する農村地帯。我が老いる林、という不思議な地名の由来は、川原林が訛ったとも言われているが、しっくりとこない。我老林は、私が畏敬する詩人、阿部岩夫の生地であることを思えば、もっとおどろおどろしい地名の由来があるに違いない。

阿部岩夫の自伝的な詩集『月の山』を開くと、暗く湿った庄内地方の風景が生々しく立ち上がってくる。大網、七五三掛(しめかけ)、伊勢横内、羽黒、櫛引(くしびき)、黒川、そして我老林。
月の山で
死となかよく暮らしている
人びとの姿が
ミイラになったり 悪霊になったりして
消えてゆくのがみえる
—「死の山」より—
冒頭の詩からは死の匂いが濃く漂う。この詩集には二人の母が登場する。生まれて直ぐに生き別れた実母と癩病に犯された養母。二人の母の姿が、飢えと差別と病の中で、湯殿山の即身仏に重ねられる。生と死が、性的なエネルギーを浴びて輝く。

阿部岩夫の言葉に導かれて、我老林の中に佇むと、
ある日
ミイラ寺が焼けだぁ
行者のミイラも焼けだぁ
そこで困った村の衆が
行き倒れの他所者(よそもの)を
行者のミイラにつぐった
—「死の山」より—
と唄う女のダミ声が聞こえてくる。あれは、実母の声か、養母の声か。ダミ声は赤川を遡り、湯殿山の御神体に突き当たる。女性器の形をした赤い巨岩の御神体。その割れ穴から濁った赤い水があふれている。貰い子も死児も歓声を上げながら赤川を流れてゆく。

湯殿山には即身仏への信仰がある。

「木食修行」と「土中入定」という想像を絶する修行の果てに、自らミイラとなるというのだ。

我老林とは生きながらミイラになることか。

この暗い地名から一体の即身仏が立ち上がる。

あれは阿部さんだ。ベーチェット病という難病に苦しみ、凄絶な詩をたくさん残して逝った人の姿が即身仏と重なる。
死の山の
庄内弁のミイラよ
癩の養母の死よりももっと深く死ね
化膿しかけた皮膚の悪霊に
言いようのない怖さが走る
義眼の網膜に
見えない死の粒だけが浮遊する
展けた呼吸音に
棺の釘を打つ音が流れ
おらぶ声と笑う声が
牛の背にまたがって
走っていく
—「月の山」より—
阿部さんは走っている。我老林を抜け、赤く濁った水が迸る巨岩の向こうの、死に向かって激しく走り続けている。

  幽霊画に描き足す赤子百日紅  千晶



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