2019-10-20

【空へゆく階段】№19 詩情の速度 田中裕明

【空へゆく階段】№19
詩情の速度

田中裕明
「街」第15号掲載/「水無瀬野」1993年3月号に転載

「客観写生」と「花鳥諷詠」の評判はあまりよくない。高濱虚子に対する反発が、虚子の発明した言葉に対する不評に転嫁されたようにも思われる。

言葉にも寿命がある。虚子が「進むべき俳句の道」で客観写生を提唱したのが大正のはじめ、「虚子句集」の自序で花鳥諷詠をスローガンとして用いたのが昭和のはじめである。文藝のひとつのジャンルの方法論を体する用語としては既に寿命を終えていると言ってもよい。

ただこの二つの言葉が何か非常に近い概念として扱われているようなところが気になる。客観写生は虚子の四十代はじめ、花鳥諷詠は虚子五十代なかばの発明である。俳壇の状況もずいぶん違っている。客観写生のほうがより虚子の作家としてのエネルギーの込められた言葉のように思われる。森澄雄氏が花鳥諷詠を子規以来の現代俳句でわずかに思想を持ちえたものと呼ぶように、言葉の格は花鳥諷詠のほうが高いかもしれないが。
後年の虚子は二つの言葉を並列して用いることが多く、それもひとつの戦略だったのであろうがかえって誤解を招く結果となった。客観写生は花鳥風月すなわち伝統的な自然美を描写するものとされたのである。あるいは客観という文字を浅薄にとらえて、極力私情や主観をまじえずに(「純客観」などという俳句の外では使えない表現も生まれた)写すことに解されたこともある。

「進むべき俳句の道」の中で虚子は「われ等は常に自己の主観に信頼しながら不絶客観の研究を怠ってはならぬ」「叙する事柄は単純であって深い味ひを蔵してゐる句が一番好ましい」と書いている。この時期の虚子は蛇笏・普羅・石鼎などの主観的な俳句を作る投句家と強い緊張関係にあった。

 鎌倉を驚かしたる餘寒あり    (大正三年)

 一人の強者唯出よ秋の風     ( 同 )

 葡萄の種吐き出して事を決しけり ( 同 )

「進むべき俳句の道」を書いた大正三年に虚子は右のような作を残している。伝統的な自然美でも、主観の全くない写生でもないだろう。この頃のホトトギスの雑詠の投句者は現代の結社誌の投句者とは異なる質のものだった。虚子の「弟子」とは言いがたい「作家」なのである。それだけに虚子も「客観写生」という言葉にみずからの強い意志と方法論を負わせた。ある意味で作家虚子にのみ通用する用語だったのかもしれない。

では「客観写生」と「花鳥諷詠」という方法が言葉としての寿命を終えた現在、俳人は何を基軸とすべきなのだろうか。ひとことで言ってポエジーではないかと思われる。さきの虚子の言葉でいえば、「叙する事柄は単純であって深い味ひを蔵してゐる」ことが俳句のポエジーだろう。ものを見て、それを言葉によって描くことによって生れる詩情が俳句の生命である。

「物の見えたるひかり」はいそいで言葉にしなければ消えてしまう。ポエジーには速度が必要だ。
「街宣言」に書かれている「言葉から言葉以上の思いが湧き出す奇跡」という一行を、言葉から生れる詩情という意味に私は解している。「街宣言」の躍動感が、詩情の速度そのものであるように感じられる。

 木下闇耳の尖りし童をり   聖

 天の川三度来し猫入れてやる

 秋風や烏丸車庫に突き当る

素材やテーマが現代的だから俳句が新しくなるとは限らない。右の作品はものをとらえてから言葉になるまでの時間がごく短かいから詩情が新鮮である。こういう句が新しくかつ古くならない。


≫解題:対中いずみ

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