【歩けば異界】⑨
黄金町(こがねちょう)
柴田千晶
黄金町(こがねちょう)
柴田千晶
初出:『俳壇』2017年12月号「地名を歩く」
掲載にあたり一部変更したところがあります。
黄金町は、京浜急行電鉄の黄金町駅から日の出町駅にかけての大岡川沿い一帯の細長い町で、大岡川の両岸の桜並木は観光名所となっている。
かつては川沿いに捺染工場が立ち、女たちが川の水で横浜スカーフを染めていたという。赤や緑のインクで染まった川面に、いつしか風俗店やラブホテルのネオンが滲むようになり、桜並木の上に、ストリップ小屋「黄金劇場」の看板が煌煌と灯っていたこともある。
黄金町駅の高架下、初黄町内会のゲートが掛かる路地には、「ちょんの間」と呼ばれる木造二階建ての小さな店が密集していた。表向きは飲食店だが店の奥や二階は売春のための小部屋となっており、最盛期には約250店舗に、千人以上の娼婦がいたという。
半間ほどの間口の店には、原色のビニールの庇が掛かり、そこに「君子」「レモン」「太陽」「水香」「桃太郎」などの屋号が同じ行書体であっさりと描かれていた。赤い照明のこぼれる間口には、ぎりぎりまで肌を露出した異国の女たちが佇み、路地に迷い込んで来る男たちに声をかけていた。
倶楽部の奥寝室在るや雪ちらつく 鈴木しづ子
まだOLをしていた頃、私は通勤電車の窓からこの風景をいつも見ていた。電車がこの辺りに差し掛かると、つと窓に身を寄せて路地を覗き込んだ。
或る夕刻、路地にいつもの女たちの姿は無く、軒並ぶ原色の庇の下に切断されたような女の脚だけがぼおっと浮かんでいた。
ぴったりと閉じられた無表情な女の脚だけが、ひっそりと闇に並んでいた。
私が惹かれる性と死の匂いが、この路地にもあった。
だが、この風景を見ることはもうできない。
2005年1月、神奈川県警による違法飲食店「バイバイ作戦」が実施され、ちょんの間は消滅し、異国の女たちも姿を消した。
今、路地には、ちょんの間を改装したカフェやアトリエが並んでいる。
明るくきれいになった高架下を歩いていると、消えてしまった路地の風景を思い出す。この喪失感は何処から来るのだろうか。
路地を抜けて大岡川に出る。
向こう岸に、赤い髪の女がひとりたたずんでいる。
くりかへす他郷の冬や髪長く しづ子
0 comments:
コメントを投稿