2020-01-26

「俳句」アンケートに見る“自分” 吉川わる

『俳句』アンケートに見る“自分”

吉川わる

『都市』2019年6月号から加筆のうえ転載

『俳句』(角川学芸出版)は「俳句とは○○○○○○○○○〇のようなものである」というアンケートを実施し、平成31年3月号に俳人1,200人の回答を掲載しているが、その背景や結果の集約はない。そこで、この稿ではアンケートから見えてくるものを紐解いてみたい。

まず、すべての回答をエクセルに入力し、頻出の言葉(検索ワード)を含む回答を抽出、さらにその中に気になる言葉があれば、すべての回答からまた抽出するということを繰り返した。例えば、“鏡”で抽出した回答の中に“自分”という言葉が出てくれば、“自分”を含む回答を抽出してみる。その結果をまとめたのが次の表であり、括弧書きは同じ意味の言葉とみなして抽出数に加えたものである。


回答は「鏡」(複数回答。表記はママ、以下同じ)のみという場合もあれば、「自分を映す鏡」(複数回答)のようにセンテンスのこともある。ランキング上位の“自分”、“心”、“自然”、“人生”、“命”、“生きる”といった言葉は主にセンテンスの頭に使われており、これは主体が誰なのかということを表している。すなわち、鏡に映るのは、自分なのか、自然なのかということだ。

表を見ると“自分”を含む回答が最も多いのだが、2位の“心”も「心を写す鏡」(複数回答)のように主に自分の心という意味で使われており、“生きる”も「生きる証」(複数回答)というような回答が半数近くを占めることから自分のことと言えよう。また、“人生”には普遍的な意味合いもあるが、そこには当然、自分も含まれることになる。それに対して、“命”はすべての生命のことであり、“自然”は無生物をも含む大きな存在であるが、“自然”を含む回答の半数近くが「自然と人間の共生の詩」(有馬朗人。敬称略、以下同じ)、「自然との共感装置」(奥坂まや)というように“と(の)”で繋がるセンテンスになっており、後者については“自分と”が省略されていると考えられることから、意図しているのは自然と自分との関係ということになる。つまり、これらの回答に共通しているのは俳句に自分が存在しているということであるが、センテンスのお尻にくる言葉からみると、自分というものの位置付けは一様とは言えない。

6位の“鏡”については、“自分”を含む回答が16、“心”を含む回答が5(“自分”との重複を除く)あり、「鏡」(前掲)のみの10を除けば、映るのはほぼ自分ということになる。また、“映(写)す”は14あるのに対し、“写る”は一つしかなく、自分を映すことに能動的だ。筆者は、俳句は自分を詠むものではないが結果として滲み出ることはあるというように考えているのだが、それとは異なる意識を読み取ることができる。ただ、鏡とは必ずしも自分が思っているようには映らないものであり、“影”、“自分探し”のように、俳句にもう一人の自分、未知なる自分を見るという感覚があるのだろう。これと対照的なのが“自分史”であり、句集を想定しているのかも知れないが、散文のそれは人に見せる前提で主観的に書かれるイメージが強く、脚色されることはあっても未知の自分は存在しない。一方、“日記”は日々の記録ということであるが、見せる前提のものではなく、もう一人の自分がいてもおかしくない。

さらに検索ワードを見ていこう。4位の“詩”については、「有季定型自然を詠む詩」(稲畑汀子)から「念いの丈を述べる詩」(疋田芳一)まで幅が広いが、いずれも俳句は詩であるという共通認識がある。26位の“文学”にも同じことが言えよう。

9位の“友”は詠まれた内容ではなく、「大切な友達」(星野高士)というように俳句が自分の支えだということである。“薬”、“ご飯”、“杖”、“水”もこれに類するものであり、“力”も「生きる力」(複数回答)というように使われている。なお、“薬”に“麻薬”(複数回答)が含まれているのは意味深長だ。

11位の“言葉”は、「言葉による錬金術」(山地春眠子)、「言葉の組体操」(小野あらた)というように、言葉そのものの組み立てを楽しんでいる回答であり、何を詠むかではなく、詠むことそのものに興味を持っている人たちと言えよう。22位の“遊び”にも「粘土遊び」(矢野玲奈)というように同じニュアンスがある。

14位の“季節・季語”は順当にランクインしたわけであるが、25というのは意外に少ない。“季語”、“季題”、“有季”に絞れば11であり、同じく俳句の重要な要素である“切れ・切れ字”に至ってはゼロだ。もちろん、お題の「のようなもの」に“切れ字”はなじまないのであるが、「有季定型自然を詠む詩」(前掲)のように「のようなもの」はけっこう無視されており、「俳句は切れ字」という回答があってもよかった。

17位の“風”には、“風景”や“風船”などの熟語を含むため、いわゆる気象用語としての“風”は11ということになる。18位の“旅”とともに、芭蕉、そしてその憧れである西行のイメージがあるだろうか。同じく18位の“つぶやき”も俳句のイメージとして納得できるものである。

22位の“日常”と“宇宙”は正反対のもので興味深いが、後者には「十七音の言葉の宇宙」(丸田信宏)というように“小宇宙”という意味の回答も含まれる。前者は「日常生活の句読点」(田中貞雄)というように“日記”に近いだろうか。

さて、これまで分析らしきことをしてきたわけだが、検索ワードを含む回答は重複を除いて全体の五割強に過ぎない。他に「鳥の重さ」(井越芳子)、「百目簞笥」(土肥あき子)など魅力的な回答もあったが、オリジナルなものは分析のしようがない。取り上げた言葉にしても、回答がすべて同じニュアンスに使われているわけでもない。しかしながら、何かしら共通するものがあるからこそ、同じ言葉を使っているのであり、全体の傾向として的外れとは言えないだろう。最後に筆者の感想を述べれば、俳人がこんなにも“自分”というものを意識しているとは思っていなかったのだが、どう感じただろうか。

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