2020-08-02

〔今週号の表紙〕第693号 詩 堀田季何

〔今週号の表紙〕第693号 

堀田季何




アラビア文字は右から左に読む。表紙の写真に書かれているのは「詩」(الشعر)。「髪」という意味もある。図書館の棚に表示されていた。アラブ首長国連邦(UAE)では、多くの図書館では、文芸のセクションは詩だけが独立していて、小説など残りの文芸は他のセクションで一緒くたに並べられている。それだけ詩の扱いが別格なのだ。

アラビア語は、日本語と同じく、文語(フスハー。正則アラビア語)と口語(アーンミーヤ)があり、それぞれに定型詩も自由詩もある。もっとも格調高いとされているのは、フスハーの定型詩で、非常に長い歴史がある。アラブの知識人や支配階級は、フスハーの定型詩を読み、そして、彼らのうち、志のある人間は書く。ドバイの首長も皇太子もフスハーの定型詩を書く。基本的に、アラブの知識人は歴史、文語、定型、詩を重んじるのだ……と書けば、一部の読者はわかるかもしれないが、私が俳句について説明をすると、「食いつき」がとてもいい。「haiku」と「Basho」を知っている人は多いし、遠く東の彼方にある日本という国のイメージと重なるらしい。さらに、短歌について説明し、千何百年の歴史、宮廷での歌のやり取り、現代でも天皇から庶民まで書くこと等を伝えると、心から尊敬される。そして、日本では多くの国民が俳句や短歌を書いていると知ると、日本がテクノロジーやアニメだけでなく、文化のレベルも高い国だとはじめて認知してくれる(※基本的に、彼らは、太古の時代から中東に住み、その時代の言語の直系に連なるアラビア語を話し、唯一の神であるアラーを正しく信仰している自分たちが歴史も文化も世界で一番だと思っているふしがある)。

また、同地域の住民はベドウィン(アラブの遊牧民族)の末裔がほとんどであるが、戦に出陣するときも、オアシスで日常生活を送るときも、詩を大声で朗詠もとい歌唱する伝統がある。ドバイは海に面していて、御木本幸吉が養殖に成功するまで天然の真珠採りも盛んだったが、漁師たちは真珠の在処を歌にすることで口承していた。部族間で、どちらの方が優れた詩人がいるかを競う風習もあった。それぞれの部族が詩人を出して(ときには即興で)歌わせ、それぞれの部族の人間たちが一緒に歌ったり、剣で舞ったりして応援するという具合である。

そういう土地柄、詩の扱いだけでなく、詩人の扱いも別格である。優れた詩人はスター扱いである。テレビで行われる詩のバトルで優勝すると数千万円相当の賞金が出ることもある。さらに、そういった番組でデビューすると、歌謡曲の作詞の依頼が殺到し、人気曲に恵まれれば、巨額な印税収入を得られる。しかも、詩人たちが自作の詩(詞)を朗詠したり歌ったりするイベントも多く(当然、人気曲に使われた歌詞も含まれる)、一晩の出演料は数百万円相当になる場合もある。詩人(俳人、歌人等を含む)と作詞家がもはや別の生業になってしまった日本では有り得ないことであるし、それ以前に、現代の日本において、詩で食べてゆくのは至難である。羨ましいとしか言いようがない。

その上、ドバイには「詩の家」という、詩人たちのために作られた専用施設も存在する(下写真)。執筆スペース、図書室、自作の詩を録音するための機材と録音部屋、自分たちが交流するための団欒室・カフェ等がある。詩人以外の文芸家用の施設はなく、この事からも、詩人がどれほど大切にされ、どれほど愛されているかわかるに違いない。

日本は真似しろとは言わないが、政府による詩歌の粗末な扱いやメディアが小説家を持ち上げる傾向を考えると、遣る瀬ない気氛になってくる。




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