2020-08-09

【句集を読む】精神の自由律 北大路翼『見えない傷』 平山雄一

【句集を読む】
精神の自由律
北大路翼見えない傷

平山雄一

俳句結社誌『鴻』2020年8月号
連載コラム“ON THE STREET”より加筆・転載


刃物みな淑気に満ちて台所

石鹸玉祈る言葉がつぎつぎと

北大路翼の第3句集『見えない傷』の冒頭で、この2句に出会った。何の外連もない詠みぶりに、俳人・翼の変化を感じた。真っ向から事物を捉え、心情を直裁に述べる。第1句集『天使の涎』から5年、第2句集『時の瘡蓋』から3年。翼の句に何が起こったのだろう。 

爆発的な跳躍力を発揮した『天使の涎』(田中裕明賞)と、アナーキーな文学表現を目指した『時の瘡蓋』で、北大路翼は俳人としてのポジションを確立した。しかし、そこには必ず“アウトロー”という枕詞が付きまとった。“アウトロー”は俳壇以外と翼を結ぶキーワードになった。同時に、既成の俳壇が北大路の俳句とまともに向かい合おうとしない事実をも示している。それでも翼はこの第3句集『見えない傷』で、己の俳句の深層に果敢に降りてゆく。

冬の蛾の粉になるまで踏まれたる

雪載せて有刺鉄線ひそかなり

日直が捨てる月曜日の金魚

冷蔵庫の中は暗かろ麺のつゆ

動かない鴨を見てゐて動かない

『見えない傷』というタイトルを彷彿とさせる句を挙げてみた。以前の句にはなかったタイプの淋しさが顔を覗かせる。

それをとことん突き詰めた「冬の蛾の」には、凄味が漂う。以前、翼は「ハロウィンの斧持ちて佇つ交差点」(『天使の涎』)で、無自覚な大衆を真正面から挑発していた。しかしこの句では、完全に無抵抗になっている。都市の無慈悲な雑踏は、孤独さえも粉々にしてしまう。

「雪載せて」には、淋しさに首まで浸かりながら虎視眈々と何かを狙う秘めた闘志がある。「日直が」では、日常の中で見過ごされがちな悪意のない惨禍を的確に掬い上げる。
「冷蔵庫の」では、翼の淋しさと「麺のつゆ」が不思議な共振を起こす。茅舎に「金剛の露ひとつぶや石の上」の句があるが、この「露」と翼の「つゆ」は同量の孤独を宿している。翼は淋しさを、弱者への労りとして昇華している。

これまで淋しさを「淋しい」と表現して来なかった翼が、無防備な姿を曝け出す。だから「動かない」の句が面白い。究極の無防備を凝視するうちに、己と鴨が一体化してしまったのだった。

次の句群は「死」を基調に作られている。

風鈴と同じ柱で首吊らむ

カーテンにかなぶんの脚夜涼し

ばらばらになつても脚がかなぶんだ

昔から網戸についてゐた死骸

虫籠は死んだら次の虫が来る

我が訃報咥へて蜥蜴隠れけり

以前の翼は「夭折」や「早逝」の冠を欲しがっていた。しかし『見えない傷』で描かれる死は、それらとは明らかに違う。新たな死生観が生まれたようだ。

「風鈴と」の句では、自らの死の方法について言及している。風鈴は翼の好きな季語で、「吊る前の風鈴の音をひた隠す」(『時の瘡蓋』)と詠んだ。どんな音がするのか、わくわくしながら風鈴を吊るした柱で、今度は首をくくろうかと述べる。ここには、一茶の「木つゝきの死ねとて敲く柱哉」を連想させる自虐がある。

「カーテンに」「ばらばらに」「昔から」の3句は、ひとつの景を微分してみせる。小さな昆虫の脚を、翼は生の痕跡として憐れむ。脚だけ残して消えたかなぶんへの冷えた共感がある。 

「虫籠は」は、まるでコロナに侵されたブラジルの病院のベッドのようだ。これらの句に漂う直接的な死の匂いは、「我が訃報」となって隠匿される。

湯上りの爪やはらかく五月来る

ミネストローネは秋色の寄せ集め

陽のあたる場所に片手袋置かれ

これが本当に翼の作なのかと思わせる素直な句群だ。これまで見たことのないロマンとセンチメントに溢れている。「湯上り」も「秋色」も向日性が前面に出ていて、「片手袋」の句にはホッとさせられる。

こうした新生面の一方で、従来の饒舌な句も健在だ。

Tシャツの柄に育ちの悪さかな

テントウムシダマシの二倍忙しい

何歳になつても雪は触るもの

雪礫どうした俺に惚れたのか

さうなのか昨日のあれが新米か

尊大な角度で鍋の葱を切る

治つたら行くよ卒業おめでたう

翼は意外と育ちが良い。だから笑って「Tシャツの」を作る。「テントウムシダマシ」は、アウトローと呼ばれることへの皮肉かもしれない。「何歳に」は、翼ならではの童心。「雪礫」は自称・モテる男の楽しいハッタリだ。「さうなのか」の謙虚さ、「尊大な」の自惚れ、「治つたら」の人懐こさが楽しい。口語俳句に新機軸を見い出した“翼節”とも言える魅力にあふれている。

ただし、相変わらずの減らず口だが、こうした句を読んでいると、ヤンチャな句作りに対する熱情がやや醒めてきているようにも感じる。

そして淋しさやセンチや死やヤンチャを掻き混ぜた末に、『見えない傷』の核となる句が生まれた。

よく晴れて風の鋭き大試験

『見えない傷』でこの句を見つけたとき、翼の志の高さを改めて確信した。露悪趣味すれすれの第一句集にも、それはあった。だからこそ『天使の涎』は、多くの人の心をざわつかせた。学年を締めくくる試験に臨む、凛とした青年の気概が風の速さに託される。斜に構えたところは微塵もない。

薙刀に巻き付けてある春ショール

伝統的な季語「春ショール」と、時代がかった武具「薙刀」を遣いながら、この句が示すのはとても新鮮な抒情だ。薙刀部を持つ高校の、最寄り駅のホームでの光景だろうか。イマドキのJK(女子高生)の一面を、格調高く切り取っている。

海市立つ流木踏めば骨の音

老成を感じさせる句だ。それでも、大人しくはない。ましてやセンチメンタルでもない。これまで怒りを交えて描写していた事象から、汗と涙を蒸発させて、非常に乾いた表現に行き着いた。『時の瘡蓋』収録の「郷愁の果ての鮃の寄り目かな」と着眼点は変わっていない。ただ表現の角度が変わったのだ。

新学期画鋲の穴にまた画鋲

着膨れの中に肩凝りしまひたる

翼は新しく獲得した傾向の句であっても、おどけてみせる。わかり易く言えば、”面白過ぎない句”を作っている。「新学期」は、かつての一年生が進級し、新しい生徒が学校に入ってくる高揚感を、画鋲の穴に重ねて描く。「着膨れの」は、着膨れが肩凝りの原因かもしれないという柔らかなアイロニー。

立ち食ひの重心変へて秋の雨

翼の主食は、立ち食い蕎麦だ。細長いカウンターに寄りかかって蕎麦を啜っていると、時折重心を掛ける足を交代したくなる。この卑小な発見と、繊細な秋の雨が見事に呼応する。紆余曲折のある感情表現ながら、絶妙なバランスで人の心を打つ。

どうやら翼は『見えない傷』で、“精神的自由律”と呼ぶべき句柄を身につけたようだ。彼の出発点となった種田山頭火がこの句集を読んだら、きっと喜ぶことだろう。『見えない傷』で、翼の俳句はついに成熟を開始した。

大根も過去もいづれは透き通る  翼

おそらくこれは、自身への追悼句。やはり翼は、愛すべき男なのである。

( 了 )


北大路翼『見えない傷』2020年6月/春陽堂書店

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