【句集を読む】
バナナとか雨とか
橋本直『符籙』の二句
西原天気
幾らでもバナナの積めるオートバイ 橋本直
雨季蟬は優しく鳴くですとBON氏 同
「タイ・カンボジア十二句」のうち二句。
バナナは形状として、いかにもスタック(積み重ね)ができそうで(コップとかスタックできるタイプに限りますね、余談だけど)、見たことはなくても、容易に、ありありと目に浮かぶ。作者は、その場で、シンプルに驚いた、かつ感心したのだろう。それがシンプルな書きぶりにあらわれている。
対照的に、蟬の句は、句のほとんどが引用(直接話法的引用)という点で意匠・趣向が凝っている。カタコトの日本語で、ご当地の風物を伝えてくれる、その口吻もなんだか優しい。
「BON」は愛称のようでもあり(タイは長い名前が多い。ソムバット・バンチャーメーとかスラチャイ・ジャンティマトンとか)、本名のようでもあり(ガンボジアは短い名前がめずらしくないようだ)。いずれにしても、語感から好人物を思い描く。
ところで、エキゾチックな(異国)情趣を盛り込むこと、観光的であること、異文化を描くこと、それらはつねに、植民地主義的・帝国主義的との批判にさらされる可能性/危険性を孕む。「オリエンタリズム」の用語でエドワード・サイードが指摘した西欧と中東の関係性は敷衍が可能だし、私たち(日本人)をどこに位置づけるかはさておき、異国、他者、外部に関連する事物は、文学文芸の素材であると同時に、政治的な色合いを帯びざるを得ない。
そこのところの問題を俳句は、というのは、海外詠と称されるものの多くが、大袈裟にいえば「文化的収奪」の罪を免れるのか否か、という問題。ううむ、これは困難。煩雑。複雑。
ただ、前掲二句に、(少なくとも私は)居心地の悪い関係性や感じの悪い視線は見て取れない。なんだか呑気な読者態度のようでも、その誹りを浴びるにしても、この二句には、作者・報告者・描き手の無垢な驚きやら、環境(異国への無理のない順応が見て取ってしまう。
つまり、いろいろあっても、外の世界、遠い世界は、驚きに満ち、しばしば優しい。そうした結論こそが批判されるべきものだとしても、あえて、この二句には享楽という態度(ああ吃驚、ああ気持ちがいい)で接したい。
なお、この句集で、いわゆる海外詠の占める部分は大きくない。別の面のこと、主調音を形成する別の要素のことも、機会を見つけて書き留めておきたい。
橋本直句集『符籙』2020年7月/左右社
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