【句集を読む】
暮らしのひとこま
津川絵理子『夜の水平線』を読む
小林苑を
鏡餅開くや夜の水平線 津川絵理子(以下同)
選ぶのに困る。どの句にも静けさ、穏やかさ、懐かしさという、和色のような微かなくすみがあり、佳い悪い、好き嫌いで選ぼうとすると、どれも佳いし好もしい。淡々とした日常、住み慣れた定型。俳句が伝えてくれる好いものが詰まっている。
掲句は句集のタイトルとなった句であろうが、実は、この句集ではむしろ特異。句またがりで二物衝撃或いは衝撃的。切れの強さも他の句にない気がする。だからと言ってなにがあったというわけではなく、鏡開きという年始行事の終わりを、いつも年のように行ったというだけのこと。むろんハレからケへの移行の行事でもある。この「や」をどう捉えたらよいのだろう。餅を割ったとたん、現れるのは夜の水平線。白から闇へ、動から静へ。この突然の場面転換はなんだろう。
収められた句は作者自身が言うように「日々の暮らしのなか、ささやかだけれど心に留めておきたいもの」に違いないが、当たり前に過ぎてゆく日常のひとこま、ひとこまに、夜の水平線が横たわっている気がしてくる。心に留めるのはさり気ないひとこまの中にある永劫のようなもの。人の生よりも遥かなもの。普段、わたしたちは気にも留めないで過ごしているけれど、ふっと気づくことがある。
冬の雲疾し一本の電話のあと
なんの電話だったのかはわからない。冬の雲が動く。「疾し」の不穏さ。大仰に言えば生きていくとはこんなひとこまの繰り返しでもある。余計なことは言わなくてもいい。それは俳句そのものだという気がする。
山の音太きつららとなりにけり
金盥ぐわんと水をこぼし冬
鎌倉の立子の空を初音かな
麻服をくしやくしやにして初対面
加茂茄子のはちきれさうに顔うつす
たどりつくところが未来絵双六
春寒き死も新聞に畳まるる
ちよいちよいと味噌溶いてゐる桜どき
病院の廊下つぎつぎ折れて冬
水に浮く水鉄砲の日暮かな
津川絵理子『夜の水平線』2020年12月/ふらんす堂
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