2021-02-14

成分表81 定義 上田信治

成分表81 定義

上田信治

 

大きな言葉の定義を考えるのが、趣味。

ウィトゲンシュタインが「哲学的な命題の多くは、言語の現実の使用についての誤解によるものだ」というようなことを言っているときいて、言葉の使用について見極めることが問題解決になるなら、ウィトゲンさんが簡単すぎるといって解かなかったパズルを、アマチュアとして楽しむこともできるかもしれない、と思ったのだ。

たとえば「愛」とはなにか。とか。

それは、いわゆる「車輪の再発明」「ピタゴラスの定理の再発見」のような、典型的な、かわいそうなアマチュアの仕事かもしれない。

(既に、各分野の研究者や辞書の編纂者が綿密にやられていることであり)(しかも、ウィトさんが言っていることは、そういうことではなかったらしい)

だから、自分なりの「愛」の定義ができたときは、うれしかった。

その後も、いろいろ考えている。

「恋」の定義なら簡単で、それは「自分が、その人の性的対象としてふさわしい、と知りたい」ということだ。

ほんとうは「その人に性的対象として認められたい」なのだけれど、相手の気持ちが目に入らない恋もあるので、この言い方になった。

かなかなや師弟の道も恋に似る〉(瀧 春一)は、そのまんまである。

「仕事」の定義は「託された役割」だ。

人類史のほとんどの場面において、人は共同体の機能の一部を分割されて(それが「役割」)託されてきたので「仕事」とは「分業」であるともいえる。

ロビンソン・クルーソーの無人島での営みに「仕事」という言葉を当てにくいのは、彼には自分自身しか、発注者がいないからだ。

もしロビンソン・クルーソーが、朝起きて「仕事をしよう」と思ったなら、彼は自分の生存のための work を、自分が託されているという体(てい)で日々を過ごしているということだろう。

一人暮らしの人の家事も、犬の散歩も、その人しかやる人のいない「託された役割」である。

地球最後の人に「仕事」があるとしたら、それは人類という種から託された、という体(てい)で、営まれることだろう。

さて。

今日、考えているのは「カッコいい」とは何かということだ。

「カッコいい」は「美」の一種で下位概念なので、それが、どういう種類の「美」であるかを言えれば「定義」になる。

たとえば「モナリザ」はあらゆる意味で卓越しているけれど「カッコいい」とは言えない。

そこで「カッコいい」ものの例をいくつか挙げ、それらには共通してあって「モナリザ」にないものが見つかれば、それは「カッコいい」という語の使用範囲を確定したと言える。

「モナリザ」になくて「ポルシェ」にあるもの、「モナリザ」になくて「嵐」あなたがカッコいいと思うアイドルを代入してください)にあるもの、「モナリザ」になくて「花田清輝」(あなたがカッコいいと思う個人を代入してください)にあるものは何か。

「モナリザ」になくて「疾走するチーター」にあるもの、「モナリザ」になくて「チェンソーマン」にあるもの、「モナリザ」になくて「見事に縫われた背広」にあるもの、「モナリザ」になくて「新しい感覚で装丁された本」にあるものは何か。

あ、これ、ナルシズムの投影か。

投影がむずかしそうな相手(女性→男性とか)を「カッコいい」と思う場合は、対象にナルシスティックなものを見出して移入が起こっている、たぶん。

定義:「カッコいい」とは、ナルシズムの投影、または移入をともなう「美しい」である。

「美しい」の定義については、すごくいいのが出来てるので、また、いつか。

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